ほらね、食べて元気!




 宇野一弘の母親・・・宇野一美は仕事からアパートに帰り、自室で寝ていたところ、目を覚ましてゆっくりと上体を起こす。



「今、何時かな?」


 暗い室内。一美は自身の頬についた畳の跡をさすりながら、時計を見る。


「あっ!もうこんな時間!晩ごはんを作らなきゃ!」


 時間は午後の7時を少し過ぎていた。

 幸い、今日は夜勤明けの休みである。いつもなら一美はこの時間には起きていた。

 一美の夜勤明けのスケジュールは、午前の9時に帰宅。10時に朝食兼、昼食を済ませ、11時に入浴。正午12時に睡眠をし、午後4時に起きて夕食と明日のお弁当を作り、午後5時半には出勤をしていた。


 この夜勤スケジュールは今日までの三日間連続で続いたのである。


 辛いように見えるが、看護師としての勤め先によってはよくあることであり、案外それに慣れるものである。


 だが、夜勤明けの休みとはいえ、一美がこのローテーションを崩すことは今までになかった。では今日は何故か?それはせっかく一弘のために作った弁当を捨てられたことに起因する。


 はっきり言って、ショックだった。そのせいで、ここ数日、あまり睡眠もとれておらず、ここにきて心身ともに疲れが溜まり、倒れるように寝てしまったのであった。


 一美は近くのテーブルに手をついて重たい足腰を起こしてやおら立ち上がる。

 その時に、つい「はぁ~」と、重たいため息を吐いてしまう。


 ため息のワケは当然、一弘にある。


 なんでお弁当を捨てたのか・・・どうしてあんなことをしたのか・・・


 ある程度の察しはつくが、ここまで悪い態度は初めてであった。



 これが、反抗期。



 ひとり息子の初めての反抗期。一美は一人で一弘を育てているのだ。不安になるのも当然である。


 そんな息子にどう接したものか・・・


 そう思い悩みつつ襖を開けて自室を出ると、ふと、良い匂いが漂う。

 何事かと台所に入れば、誰かが用意した夕食がテーブルの上に並んでいた。

 夕食のメニューは焼き魚、卵焼き、ほうれん草のおひたし、それとお吸い物であった。


「え、こ、これ、かずちゃんが作ったの?」


 一美は洗い場に背を向けて調理器具を洗っている一弘に聞いた。

 一弘は振り向かずに応える。


「ん?ああ、その。疲れているかなって思って・・・」

「そ、そう?で、でも、お金は?」


「それなら、ほら、弁当をもらうまで昼食代をもらっていただろ?昼食は食券を使用して、そのお金はこっそり貯めていたんだ」

「そうだったの・・・」


「それよりさ、さっき作ったから、冷める前に・・・な?」

「・・・ええ、そうね」


 色々と聞きたいところだが、一美は席に着き箸を手に取る。


「いただきます」


 手を合わせ、それから卵焼きに箸を伸ばす。


 卵焼きの見た目は・・・やや焦げており、形も完璧とは言い切れない。だが、しっかりと厚みがあり、どれも均一に切られ、お皿に盛り付けられていた。

 それを口に入れると、ぷりっ、とした歯ごたえの後に、ダシ醤油のよく効いた卵の香りがふわりと鼻腔を通っていく・・・実に、柔らかな味であった。


 次に焼き魚。魚は鮭でありこれも美味しい。塩鮭を焼いただけだろうけど、皮がパリッとしていて、焼き加減は良い塩梅である。一美好みの歯ごたえだ。


 ほうれん草のお浸しもシンプルながらにして良い塩加減。湯気で踊る鰹節に醤油を少し垂らして、口の中でシャキシャキと噛む。程よい茹で加減である。


 そして、お吸い物。このお吸い物は少し、ほうれん草が浮いている。お浸しに使ったほうれん草を少し分けて入れたのだろう。白だしと醤油で味をつけ、少しの黄色い卵がふわふわと花のように浮いている。あっさりとして、ノド越しよく喉を伝っていく。


 シンプルな夕食。だが、一美にとってはどの御馳走よりも価値があり、尊く、美味しかった。


「ねえ、かずちゃん。美味しいけど、味付けが家のと違うね?誰かに習ったの?」


 一美に問われ、一弘はため息をつく。やはり、見抜かれたか、と。


「ああ、料理部の人たちに習った」

「そう・・・でも、どうして急に料理なんか始めたの?」


「ええと・・・なんというか・・・だな。経済的に、ほら、厳しいだろ?この家って・・・だから、安く済む料理を習ってだな、それでちょっとでも助けになればと思ってだな」

「そう・・・なのね」


「そ、そもそもだな。お母さんが食券を隠しさえしなければ、こういうことをしなかったんだからな。お金を貯めて、いざという時に置いていたというのに」

「うん・・・ごめん、ごめんね・・・うう」


「ッ!?」


 一弘は驚いた。嗚咽の声を聞き、振り向くと、一美が涙していたのだ。母は箸を置き、口元に手を当てながら。


「な、なんで泣いてんだよ?」

「ごめん、ね?そうと知らずに、食券を隠して・・・なんだか、かずちゃん、色々と危ないことして、食券を集めてるって聞いたから」


「あ、危ないことって・・・」


 思い当たる節は山ほどあった。危険な依頼もあるにはある。猫に顔を引っ掻かれたとか・・・

 そういえば先日も顔に傷を作ったことに一弘は気付く。

 それでお母さんが心配したのだろう。原因は料理部だが・・・


「・・・人助けをしているだけだ。学業に支障はないよ。生徒会長の田中良男、いるだろ?あいつ経由で他の生徒から色々と雑用を頼まれるんだよ」

「グスッ・・・そうなの?」


「ああ、そうだよ。それより、そっちこそなんでお弁当なんか最近作るようになったんだよ?」

「うん、それはね・・・」


 一美は手の甲で頬を伝う涙を払い、顔を真っ赤にして言う。


「同僚の看護師にね、成長期の子供にお弁当くらい作ってあげなさい、って怒られちゃったの。子供の大事な時期にちゃんと栄養を考えて、家庭の味で育てなさいって。それがとても大事なことなんだって」

「そう・・・だったのか・・・」


 それを聞き、一弘は、なるほど、と頷く。エミリカの言った通りであった。

 一弘はてっきり、気まぐれだと思っていた。一美がお弁当を作りだすまで、お金を渡されてばかりだったから。


 なんで、もっと早くそれを言ってくれなかったのだろうか?一弘は思ったが、一美の性格を考えるに、言い出しづらかったのだろう。親として、恥ずかしいと思ったのだろう。同僚に気付かされ、今さらお弁当を作りだしたなんて。

 それに一弘は気付くと同時に、自分が行った、お弁当を捨てるという哀れな行為を恥じた。そして、今度は自分が打ち明ける番であると気付く。


「あの、ごめんなさい。作ってくれたお弁当を捨てて・・・」

「ううん、こちらこそ、ちゃんと、話さなくて、ごめんなさい。かずちゃんを怒らせて、それで食欲がわかなかったのよね?お母さんもそれを分かってて、ちゃんと話しだせなかったことに、かずちゃんは気になったんでしょ?」


「いや・・・ええと、そんな感じ、だが、その・・・ごはん、冷めるぞ?」

「あ、うん、そうだったね」



 一美は再度、箸を手にし、夕食を再開する。

 そこからは会話などなく。黙々と食べ続けた。



「ごちそうさま、美味しかったわ。お皿、洗うね」

「おそまつさま、だが、皿はいい。料理の先生の言いつけでな。準備から片付けまでが本当の料理なんだとさ」


 言って、一弘は食器を下げて、流しで洗い出す。その姿に、一美は息子の背中が少しずつ大きくなっているんだな。と気付いた。

 洗い物の途中、一弘は一美に背を向けたまま。とあることを聞いた。数日、気になっていたことだ。


「なんで、さ、お母さんはお弁当を捨てたことに気付いたんだ?」


 これまで一弘はバレないようにある程度、弁当を食べたように装っていた。

 弁当箱の中は食後のように少し汚してあったし、容器も捨てずに入れておいた。なのに気付かれた。自身の空腹による顔の変化からと思い、満腹にしたが、それでも気付かれた。なら、何故、見抜かれたのであろうか?


「いや、だって、かずちゃん、顔に出やすいもの」

「・・・・・・」


 シンプルな回答。

 そう言えば、ここ数日、態度が顔に出やすいと、学校で何度か言われた気がする。


「そ、そんなに?」

「ええ、そうね。それに、かずちゃんが生まれて十四年も一緒にいるんだから、ある程度は分かっちゃうかな?すごく後ろめたい顔をしていたもの」


「そっか・・・なんだ、そんなことか・・・ふっ、はっはっはっはっ!」


 つい、笑いが込み上げる一弘。今まで悩んでいたことがこんな簡単な理由だと知り、色々と馬鹿らしくなってきた。


「ふふ、かずちゃんが笑うなんて、久々ね。お母さんも、悩みが晴れて、おかしくなってきちゃった」

「ははっ、そうだな。けど、今度、勝手に人の物を隠したら怒るからな」


「お母さんも、今度かずちゃんがお弁当捨てたら、また泣くから」

「ははっ・・・それは、困るな」


「うん、お母さんも困る。ねえ、しっかりとお話しして?なんで怒ったのかとか、かずちゃんのお顔を見て分かるって言っても、学校で何をしているかなんて分からないもの」

「そう・・・だな。あのな、お母さん、あの食券は、人助けの証みたいなものでな・・・最初は家の経済的助けにと思っていたけど、それが集まるとだんだん誇りみたいになっていって・・・」


「うん、うん・・・そうなのね」



 二人はテーブルの上で色々と話し合った。こうした時間は久しぶりだとお互いに思った。

 反抗期という大きな壁・・・一美はこうやってお互いに心の底から想いをぶつけ合い、伝え合い、乗り越えていくものなのだと気付いた。



「なあ、これから晩ごはん、毎日とはいかないが、作ろうと思うんだ」

「いいの?色々と忙しいんでしょ?学業もあるし」


「学業はトップだぞ?お母さんの方こそ忙しいだろうし、身近な人を助けてこそ何でも屋だと思うんだ」

「そう、なのね・・・大変じゃない?大丈夫?」


「ああ、大丈夫だ。最近は料理の知識というのにも興味が出てきてな。それに料理部との契約もある」

「契約?何でも屋としての?」


「ああ、そんなところだ。それで料理部に、変な部長がいてな。エミリカって言うんだが、そいつが・・・・・・」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る