「…はい、これ」




 手にしたものをじっくり眺めて築は渋面していた。


 季節は春。そっと吹く風に結んだ髪がそよぎ、剣の稽古で汗ばんだ首筋にまとわりつく。


 少し前、稽古が終り、庭の井戸の手前で汗を拭っているとき、突然やってきた真砂吾から渡されたものなのだが、ずいと差し出されてそれを受取って広げたまま固まってしまった。おおよそ築の握りこぶし二個分ほどのそれは握り飯だろう。形がやけにいびつなのは気になるものの食べられそうだ。食べろということなのだろうか。




「おばさんが築に持ってってやれって。食え、あ、食べれば」




 言いにくそうに顔をしかめながら真砂吾は言った。無理に丁寧に言う必要はないと思うのだが、それを本人に言うつもりはない。おばさんというのは築の母のことだ。真砂吾は現在村長の家に戻っている。


 近くの石に腰をおろして遠慮なく口に含む。塩の味が口の中に広がる。きつく握り過ぎているため、硬かった。下から立ったままの彼女の顔を伺う。山のほうを見ていた。その表情は曖昧過ぎて読みとれない。


 順調にそれを食べ終え、立ち上がり、汲んであった水を飲む。少しぬるくなっていた。


 そんな築の様子を身動きもせず、彼女は静かに山を見続けていた。


 一息のあと、向き直る。なんて言ったらいいのか。ちらりと確認しても彼女はどこ吹く風で、話しかけてくる気配がない。ため息をつき、気合いを入れた。向き直る。




「なぁ。あれ、作ったのって」




「築は」




 言い切る前に言葉を重ねられた。




「村長になるんだよな?」唐突な言葉にため息をついてから、「なるよ」と、言い切る。




「そう……」




 鬼の死んだ日から真砂吾は少女に戻った。髪の結ぶ位置も下がり、着物も若干華やかになった、気がする。母について家事もよく学んでいるらしい。大人しくなったかと聞かれたらどう答えていいかわからないが、あまり喧嘩になるような行動は起こしていないようだ。


 元を知らないので何とも言えないのだが。そういえば、武術の手ほどきにもほとんど参加しなくなった。だから今日も、築一人で祖父と向き合っていた。真砂吾がいなくなったせいか、祖父は以前よりも容赦なく手ほどきをするようになったような気がする。それはさておき。


 これだけは言える。あの日彼女のなかで何かが変わった。自分と同じように。




「築はきっといい村長になるって、みんな言ってる。喜代ちゃんちのおばさんとかよっちゃんちのおばさんとか」




 そうやって不機嫌そうな顔で言葉を連ねる真砂吾の意見は入っていないらしい。




「そうか」




「……なんでうれしそうにしないんだ、もしかして当たり前とか思ってんのか」




 睨まれた。




「で、何なんだ」




 改めて問い直し、ごまかす。真砂吾は息をつめて、視線を下ろした。けれど、また、すぐに上を向く。力を込められた視線が二人の間をつないだ。




「おれは必要か?」




「は?」




「お前の人生に、おれは必要か?お前が、築が必要だって言うなら、おれはお前のそばにいて、お前の手伝いをすることにする。必要じゃないなら、いつか、この村を出て行こうと思う。鬼の見た広い世界ってやつを自分の目で見てみたいしな」




 彼女の視線の強さに、見入られた。




「なんで、そんなこと俺に言うんだ」




「お前おれのこと好きなんだろう?」




 堂々とした言葉。そんなこと、本人から言われると流石に恥ずかしくなる。けれど、築は目をそらさなかった。




「好きだよ」




「母上は父上のことを知って鬼になったんだろ?だからきっとおれも絶望したら鬼になっちゃうんだと思う。でも、そんなおれでもお前はいいんだろう?」




 真砂吾が鬼になる、そんなこと考えたこともなかったといったら嘘になる。けれど、想像したくなかった。彼女がそこまで誰かに想いを寄せることを考えたくなかったから。けれど、彼女に言われて気付いた。――自分に彼女が想いを寄せることがあるのだろうか?こんな、嫌われている自分に。




「真砂吾はそれでいいのか」




 気付いた時には身を乗り出すように彼女に迫っていた。




「俺が必要と言ったら、俺のそばにいてくれるのか?俺の子を生んでくれるのか」




「別に夫婦になるなんて言ってないけど」




「あ」




 今きっと自分は間抜けな顔をしているだろう。騙された気分だ。慌てて後ろに下がると冷たい視線を向けられた。




「そんなことはどうでもいいよ、将来どうなるかなんてわかんないだろう」




「つまり、俺の頑張りによるわけか」




 小さな声で前向きな感想を述べると、心底嫌そうな顔で見られた。




「で、結局、おれは必要なの?」




「そんなの、必要に決まって」




 言い切る前に気付いた。


 もしかして、真砂吾はただ自分の存在を肯定してほしいだけなんじゃないだろうか?別に築じゃなくてもいいんじゃないだろうか?そんな形でそばにいても真砂吾は幸せになれないんじゃないだろうか?


 選択肢はあったほうがいい。今、自分が必要だと言った瞬間に真砂吾は自分に縛られてしまうに違いない。そんなのは、そんなことはしたくない。


 突然黙り込んだ築に真砂吾は気付いたのか気付かなかったのか、真砂吾は言葉を重ねた。




「おれは今、自分が何をしたいかわからないんだ、だから、築の意見を聞いても、もしかしたらそんなの簡単に破って違うとこに行っちゃうかもしれない。でも、」




 雲に鋭い日差しが遮られ、一帯が陰る。消えた真砂吾の影を追うように築は顔を上げ、彼女と目を合わせた。


 柔らかな微笑み。小さな体は細く、頼りない。


 息を飲む。一瞬強い風が吹いた。




「今はお前と一緒にいてもいいかなって、思ったから」










 その感情が恋なのか友情なのか厚意なのか、正直真砂吾にはわからない。けれど、鬼の死んだ日。築は真砂吾のことを好きだと言った。お前を守りたかった。そう言った。


 その行為はいまでもひどいと思うし、母のことだってちゃんと教えて欲しかったし、鬼と自分を引き離すにしても、もうちょっと違う方法があったと思う。




 けど。




 彼も必死なんだと知って、悲しみや怒りよりも肯定的な気持ちが浮かんだ。


 その感情がなんなのか、やっぱり真砂吾にはわからないけれど、静かに当然のようにきっと、築はいい村長になると自然に思えた。


 だから、




「ねぇ、築」




 どうする?答えの催促をする。


 真砂吾の瞳に魅入られていた、築は一度瞬きし、そして静かに口を開いた。


 新しい約束を二人でするために。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

雪に散る 宮明 @myhl

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ