辰巳‐参

 話は順調に進んだ。ユキは国長の突然の求婚に戸惑ったようだったが、特に嫌がりもせずに受けた。


 ユキの両親も驚きはしたが、わが子の先祖がえりには心当たりがあったためにすぐに納得した。辰巳は息を飲んで、ユキの様子を見ていたが、変わった様子はなかった。ほんの少し、さみしそうな顔はしていたものの、生まれ故郷を遠く離れ、もう戻ってくることは出来ないと知ったがゆえとも取れる。


 ユキと常盤の婚姻について雪那が耳にしたところは直接目にしなかったものの、その後の雪那の様子はいつもと変わらないようだった。とはいえ、もともとの雪那を知らないために、小さな違いはわからなかった。


 ユキの婚姻が決まってすぐに常盤は村をあとにした。婚姻の日は来年になった。時間はあるものの、国長の婚姻である。準備が大変なのだろう。辰巳のみたところ、ユキと少しは話す時間があったようだが、そうたいした時間ではなかったようだ。




 血のため、力のためといっても、切ないもんだな。


 自身も許嫁が決まっており、自由に恋愛など言えない身分であったものの、近隣の村なので月に一度は会いに行くことが出来、少ないながらもある程度の交流は持っている辰巳は思った。会う時間は少ないものの、許嫁とはお互いに想い合う幸せな関係を持っているだけに余計に感じる。




 一年と言う時間は思ったよりもすぐに過ぎた。


 何せ国長に嫁ぐことになったための準備が想像をはるかに超える忙しさだったからだ。


 ある程度の準備資金は国長が負担してくれるものの、さすがに頼り切りはこちらの立場も悪い。例年以上に毛皮を狩り、資金援助をすることになった雪那に辰巳は手伝いを申し入れた。露骨に嫌そうな空気を出しつつも、文句は言わず雪那はその手伝いを受け入れた。こうして二人は急速に友情を深めていった。


 身近で見たユキと雪那は特に動揺も見えず、淡々と過ごしていた。近くにいると、思ったよりも二人きりで話しこむということもなく、話すとしても日常的な要望や簡単な挨拶だけだった。家でもこんな感じなのかと聞くと、雪那は不審そうな顔をしつつも是と答えた。


 もしかしたら、二人の関係は自分の思っていたよりも進んでいなかったのかもしれない。そう思い始めた。あと二年やそこらでも恋にはならないほどの、二人の間には親愛しかないのかもしれない。


 辰巳は一つの大きな荷物を下ろしたような気持ちになった。


 そうして、一年がたった。








「荷物はこれだけか?」




「ああ、あとはこの櫃のまま運ぶ」




「わかった」




 雪那は持った分だけ屋敷のほうに運びだす。辰巳はやっとひと段落ついた作業に安堵し、腰を伸ばした。ここは国元。あと三日でユキは婚姻の儀を行う。


 見渡すともうあたりは暗くなりかけていた。国元の街に着いたのは今日の昼ごろ。そこから長旅の疲れをいやす間もなく作業をしていたのだ。若いとはいえ腰も痛くなる。今回の責任者になってしまった以上、精一杯のことはするつもりだった。


 辰巳はもとより、雪那も常盤に招待され国長の直轄地に行くことになったのは雪那とユキが兄妹同然に育ったからのみではない。世代交代のせまる村長の息子、辰巳の手伝いをするためというのも関係していた。老いた村長、ユキの父母は村に残り、辰巳と雪那とごく少数の荷物の運び手のみが村を出、ユキとともに国元に行く。そして、婚姻を見届けユキを置いて村に帰る。それがおおまかな今回の計画だった。


 視線をずらせば、広い庭の向こうにいる雪那の細くもばねのある背中が目に入った。育ち盛りの彼はこの一年でこぶし二つほど大きくなった。今、彼を運べといわれても難しいだろう。


 雪那の頭の高いところで結んだ少し色の薄い毛が跳ねる。確かな足取りで歩む彼に、今、どこかからか現れた女が話しかけた。着ている服からして国長の屋敷の下働きの娘か、遠いのと斜め後ろ姿しか見えないために表情は見えない。しかし、彼女が雪那にひかれていることが予想出来る。




(あれはまた……)




 村にいるときは気のせいかと思っていた。しかし、人の多いところにきて確信を得た。最近、あいつはやけに色気が出てきた、と。










 ――村を出て、山を下りて、ユキの婚姻を見届けて…、そのあと俺は違う土地に行ってみたい。




 婚姻の影が見え始めた一月ばかり前、雪那は昼餉を食べながらつぶやいた。


 雪那の顔は向かいの山に注がれ、手に持った握り飯はまるで目に入っていなかった。


 行けばいい。親父にもおじさんたちにも俺が言っておく。


 彼は初めて辰巳に気付いたように振り返り、かすかに笑った。笑っているようなのに、泣いているように見えるその顔にその気もないのに辰巳は魅入られた。


 無理だ。あの人たちにはもう俺しかいない。俺がいなくなったらあの人たちはどうするんだ。


 気にしなくていいんじゃないのか、お前にあの村は狭すぎる。


 何気なく返した言葉に雪那は顔を伏せた。肩が揺れる。何事か戸惑う。


 声をかける前に上げた彼の顔に思わず息を飲む。雪那は言葉に言いつくせないほど、壮絶に、絢爛に、無造作に美しく笑っていた。




 ――きっと一生忘れられない。


 ――そのとき雪那は、人には見えなかった。


 ――鬼、にしか、見えなかった。








 そのときのことを思い出し、辰巳は身震いした。軽く握った手にはきっと汗をかいている。


 ――鬼は人を魅了し、喰らう。


 信じていなかった鬼の話に今更のようにおびえる自分が計り知れない馬鹿に思えた。ため息。開いたままの櫃のふたをずらす。


 もし、彼が鬼になったら俺はどうするのだろう。鬼は、人とあいしれない。存在するだけで、道理を壊す。それは、雪那をそばで見ていればわかる。人でありながら、鬼に近いだけで、あんなにも人を魅せるのだ。鬼になればどれほどのものか、想像することも恐ろしい。


 知らぬ相手に殺させるくらいなら、いっそ俺が殺してやるべきか。そうしたら、人知れず、墓を造ることも出来るかも知れない。


 何しろ、二人を引き裂いたのは自分でのあるのだから。




 ――何を考えているんだ、俺は。




 頭を振る。櫃を見た。今考えるべきこと、やるべきことはこの櫃を運ぶこと。そうだ、無駄な心配をしている場合ではない。


 そうだ、雪那は鬼にはならない。血を継ぐからと言って鬼になるわけではない。


 婚姻の儀が終われば、俺たちは村に帰る。それから、村で生き、死ぬ。もし、雪那が村を出ることがあっても、それは変わらない。そうだ、変わらない。


 櫃の中身は絹の着物。大切な従妹の婚姻の衣装。櫃のふたを下ろした。目を閉じ、大きく息をした。


 風が、やけにしけっていた。








 そして、婚姻の前夜。


 なんの前触れもなく、雪那とユキは姿を消した。


 慌てふためく大勢の中で、ただ常盤と辰巳だけが瞳を合わせて確信した。柔らかく問うような常盤の瞳はやけにすがすがしく見えた。きっと自分の瞳もそうだったのだろう。


 ユキの婚礼はなかったことになった。


 村に帰った辰巳は散々父に叱られ、村人たちになじられた。反論など、するつもりもなかった。無言ですべてを受けいれ、彼らの門出を一人で祈り、自らのすべきことを淡々と繰り返すそんな日々は、再び彼女によって終わりを迎えた。




 ――優しい辰巳にしか頼めないの。




 柔らかい頬笑みの彼女はそれだけ言って、子供だけ残して逝ってしまった。


 あいつは帰ってこなかった。










「おい、辰巳」




 鬼の声に思考が今にもどる。馬鹿にしたように鼻を鳴らし、雪那は酒を一気に飲み干した。そして、流し目で辰巳を見る。




「お前、この酒に何を入れたんだ?」




「何を入れたかあてて見ろよ」




「灰、だろう?ひどい男だな、子の灰を実の親に飲ませるのか」




 何のこともないように彼はそう言い、ことりと、お猪口を落とした。よく見れば手が震えている。


 それを確認して辰巳はお猪口をひろい、酒をついで雪那の口元にあてがった。何も言わず行われた一連の行為に雪那は何も言わずに薄く整ったその唇を開いた。流し込むとこくりをのどが動く。こぼれた滴が雪那の白い衣を濡らせた。


 猪口を口から放し、辰巳はつぶやくように言った。




「真砂吾は言っていなかったのか?」




「何をだ」




「松葉って言うんだがな、お前の娘。あいつはつい最近夫を亡くしてな」




 その言葉に雪那は目を見開いた。




「まさか」




「鬼の血は呪われているようだな」




 鬼になったよ。あいつ。つぶやくようにもらしたその言葉に鬼は返事をしなかった。青ざめた顔は灰のせいか、それとも自らの運命を呪うためか。


 鬼を殺すもの。それはたった一つしかない。


 常盤は行方をくらませた自らの花嫁のことは語らなかった。ただ、式があるはずだったその日の夜。辰巳を部屋に呼び、ひとり言のようにつぶやいた。


 昨晩、私は大きな気配を感じて跳ね起きた。そのまま寝間着で、その正体を見極めるために外に出た。そして、そこで鬼を見た。隣に少女が寄り添っていたよ。


 朝と昼と夕の人のせわしなく駆けずり回る音にさらされた耳に夜の静けさがしみる。目も合わせずに二人の男は向かい合っている。


 鬼を殺すものを知っているか。


 そんな問いに無言で否定を現すと、年若き国長はかすれ声で言った。




「人の灰」




 もともとこの地上のものでない鬼は人に弱い。人に触れるだけで皮膚を犯し、人の息を見に入れるだけで肺が荒れる。力が人の倍を超えようと、鬼はけっして人に近づくことすらできない。それは、古の時より定まりし盟約で決まっていること。


 鬼の姫の伝説を思い出す。世の中の知らないことの多さに笑うしかないような気がした。


 だから、と、常盤は言った。




「鬼になる前になんとかしてやれたらよかったのだろな」




 かすれても深く豊かに響く声。その声に確かに宿る悲しみに現実見て、辰巳は唇を噛んだ。




 ――もし、彼が自分の前に再び現れた時何をしてやれるだろう。


 ――灰、人の灰。永久と一人で生きる友人。


 ――ただ一人愛した女。










 死んだ最初の妻の死体は焼いて灰にした。


 ――見せしめか、そうささやかれた言葉に首を動かすこともなく。


 ただ、辰巳は灰を手ですくい、小さな箱に閉まった。




 ――時を迎えるまでここで眠れと。

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