築‐壱

 愛してる、なんて一言も言ったことがない。


 言うべきだったのだろうか。


 言う前にすべてをあきらめていなかっただろうか、自分は。


 そうして今、後悔している自分はなんなのだろう。


 莫迦、阿呆、間抜け。どれか、ではなく、全て、だろう。


 自分はきっと何も考えていなかった。


 いや、考えるのが嫌だったのだ。


 考えても見ろよ。そう心の何処かの、俺は言うのだ。


 あいつには俺は向いてない。俺なんかより、奴のほうが向いている。


 ――そんな問答が、ずっとずっと繰り返されて、気付いた時にはもう選択すら許されない立場に立っていた。






◇◇◇






「鬼になりたいなんて、言ってはいけない」




 鬼の声が聞こえた。




(真砂吾…)




 草と木の間に座り込んだ築はひたすらに彼女を想う。








 最初に会ったのは確か自分が六つ、真砂吾が五つのとき。


 今でもしっかり覚えている。


 初めて会った自分の従妹は小さく柔らかそうで、大きく透き通るような瞳についひかれてしまったのだろう。この子と仲良くなりたい、否、この子の傍に居たい、そう思った。




 ――ぼくは、おとこになりたいんだ。それで、とうさまのかわりにははさまをたすけるんだ。




 親から離れ、村を案内してくれた時に、小さい声で教えてくれた「彼女」の願望。


 村の長の孫でいつかそれを次ぐ自分は「おとこ」であるべきと、戦でいない父の代わりに母を支えるためと、重ねた想いの末に宿したそれを自分の存在が脅かした。


 ――築が真砂吾を娶り、村長を継ぐんだろう?


 ささやかれるその言葉漏れ聞いた真砂吾はがむしゃらになった。


 真砂吾は、その母松葉は村長の本当の娘ではない。駆け落ちした後、相手を捨てて村に戻ってきた女はそのまま村長を継いだばかりの辰巳の妻になった。


 何故そうなったのか、多分本人達に聞かなければわからないだろう。


 女は一年もたたずに女児を産み、産褥の熱が収まらぬまま死んでしまった。


 そして、すぐに村長は新しい妻を娶り、彼女もまた、子を生んだ。それが、築の母だ。




 最初の妻の子である松葉。さらにその子の真砂吾。


 二番目の妻の子である白波。さらにその子の築。




 実際のところ、村長は血で決まる。


 これは変えようのないことだ。暗の洞を見張るために、安全に日々を送るためにはその血脈が必要なのだ。真砂吾がそれでも村長の家系に入っていられるのは最初の妻が村長の血族であり、同時に「力」が強かったからだ。その「力」故に国長の妻に望まれるほどに。


 彼女は国長に嫁ぐはずだった。


 けれど、彼女はそれを拒否し、幼馴染と手と手を取り合って山に紛れた。なのに、何故なのだろう、誰も知らない。彼女は一人でこの村に帰っていた。




 否、厳密には一人ではなかった。その時既に彼女は孕んでいたからだ。








「築はなんで真砂吾のことが好きなんだよ?」




 そう聞かれたのは真砂吾の村に来て三日ほどした時だった。「真砂吾のことが好きだ」と発言した直後のことである。


 心底不思議そうな顔をした相手に築は、「自分でもわからない」と答えた。




 自分でもわからない、そうだ。いつ好きになったのかすらよくわからない。


 数少ない邂逅のうちに気付いたらいつの間にか目で追っていた。その程度だ。顔は可愛いと思う、性格も、――今はまともに話してさえくれないが――一途で好ましいと思う。


 物好きだな、口に出して言われたその言葉に初めはただ、自分を嫌っている相手に好意を寄せることからかと思っていた。


 だが、それは違った。








 松葉が死んでから十日、築が真砂吾への想いを認めてから十二日、経ったときのこと。


 築は村はずれの畑で草むしりをしていた。


 午後、暖かな日差しが注ぐ冬間近の季節、この村に来て仲良くなった少年――惣五郎――のところに遊びに来た。


 しかし、あいにく彼は自身の母から草むしりの仕事を命じられていた。残念そうな顔をする彼に、築は、一緒に草むしりをして、それから遊びに行こう。と言い、彼の手伝いをすることにしたのだ。


 村長の家の子供達――すなわち、真砂吾と築――は午前中、文字の読み書きや剣術の修練があるため、普通の子供遊ぶ時間と噛み合わないことがある。今日はそんな日だったのだ。




(紅、蒼、翠……)




 今日の学びは村で取り扱う染料の種類だった。材料は村人が集め、配合は代々村長だけが知る。様々な種類のそれらは見ていてとても楽しく、のめりこむように学んだ。


 村長はただ、人々の上に立つのではない。それを越えた特別な存在でもある。




 この国の村長は血筋で決まる。


 国長がこの地方を治めた時、地のものがやってくる入口がその辺に沢山あったらしい。そんなもの達から人の暮らしを脅かされないために、国長は自身の血族から力を持つ者を選び出し、その者たちに各集落を任せた。


 それが村長の血筋であり、村長の家に生まれた者たちは地のものから村を守るために一定の教養を持たねばならないらしい。




 そんな風に聞いて、築も前に住んでいた父の村の村長の家系のものに鍛えられていた。築の父は昔流行った病で死んだ。同時に妹も死んだ。築と母は父が死んだ後もその村に住み続けた。いつか継ぐ村長の地位のために。


 父の村からこちらに戻ってきたのは、この村の村長の存続のため。真砂吾のためだった。本当はあと少しあちらで鍛えられるはずだったのだ。


 けれど、学び半ばで自分はきた。慣れた家、慣れた人、慣れた村。全てを捨てて真砂吾の村に来た。この村に。この村に馴染むために。――真砂吾のために。


 何故かこの村の村長の家系は何故か細く、失われる寸前で、正直なところ他の村よりも教養が劣っていた。


 ――そうだ、真砂吾のためだ。気合いを入れ直すように築は一度腰を上げ、伸びをした。


 草を抜いた、痩せた土地、この土地には何を植えるのだろう?そんなことも知らない自分に気付く。いや、これから学べばいいのだろう。この先ずっと、そう多分死ぬまで自分はこの村に住むのだから。


 腰を下ろし、またむしり始める。


 そんな築を惣五郎が横目で見た。




「あんなうっさい奴、好きになるなんてなー、お前物好きだな」




「真砂吾はうるさいか?」




「あ、お前は来たばっかで知らないのか。あいつすっごくうるさいぞ!ちょっと暗の洞の近くに行ったりしただけで文句言ってくる!」




「そうなのか…」




 暗の洞、聞いたことがある。元の村では呼び方は違っていたが、要するに地のものの住む処に通じている場所だ。


 だがしかし、そこは自分や真砂吾のように村長の家系に生まれた者しか近づいてはいけなかったはず。真砂吾は間違ってはいない。




「それにさ、あのときも!」




 一つ思い出したら、どんどん思い出したらしい。それを聞くうちに気がつく。彼が語る『うるさい』はどうも規則を破った時に真砂吾がかみつくのが気に食わない。と言うことのようだった。


 築自身、規則を守ることは大切だと思うし、出来る限り皆にも守らせようと思う。なぜなら、大概のものには意味があり、それが重要な意味を持つものだからだ。


 だが、真砂吾のように正面から駄目だ駄目だ!と言い続けるだけでは偏見を買うばかりだ。




(不器用だな、あいつ)




 真砂吾は人の上に立つことには向いていないのだろう。今更のようにそんなことを思った。とっくに自分は知っているのに。彼女が『彼女』である以上、母を助け、村長になることはできない。女の村長は国長によって否定されている。そして、何より彼女は―、




「ほんとなんなんだろな、おにの子のくせに!」




 ――おにの子。不義の子、皆知っている。知っているのだ。彼女の血に流れる裏切りを。




「おい、聞いているのか?築」




「聞いてるさ」




 内心の想いはよそに、築の声は平静だった。そんな彼を満足そうに見た惣五郎はすぐに、話をしている最中にもきちんと手を動かし続ける築に気付いたらしい。すぐに手を動かしだした。




(話していると手が止まるやつなのか、こいつは)




 もしかしたら過去にも話に熱中して真砂吾に色々言われたのかもしれない。否、そんなことをさっき言っていたような気がする。築はそんなことを思っていたのだが、すぐに少年はまた、懲りもせず、話を振ってきた。




「そう言えば、真砂吾の母さんの、何だっけ?」




「松葉、さん」




「そうそう、その人って亡くなったんだって?」




「そうだ」




「葬式、しなかったのな」




「…火葬したんだ。病だったから」




 築の返事に、惣五郎は一度目を伏せ、へぇ、と言った。気に食わない相手とはいえ、身内が亡くなったと聞けば可哀想になるのだろう。築は目をそらした。


 それからは口数も少なく、二人は早々に草むしりを終え、遊びに行った。


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