真砂吾‐参

鬼と出会って、数日が過ぎた。


 真砂吾はすぐに、村の者でも人間でもない鬼になつき、鬼のもとに通うようになった。鬼はいつも桜の樹の上。当たり前のように彼はそこに居続ける。


 そのことは村の誰にも言わない。言ってしまえばもう鬼に会えなくなる。真砂吾はただ、鬼に会いたかった。




「鬼はさー」まだ幼い声が問う。




「本当に人間を食べんのか?」




 空は快晴、散り始めた紅葉が地面に重なり、もう土の色は見えない。今日の真砂吾は葉を払ったところで落書きをしていた。


 馬か牛か、もしかしたら蛙かも知れない。そんなお世辞にも上手といえない絵の数々には目もくれず、鬼は今日も桜の枝の高い所に座り遠くを見ていた。




「ねぇっ、聞いてるっ」




 せっかちな真砂吾はすぐに答えようとしない鬼にふくれた。悠々と山の向こうを眺めていた鬼は、自分を見上げたままの真砂吾にたった今気付いたように真顔で見降ろし、そして、口を開いた。




「本当だ」




 数瞬の沈黙。




「うそ…、え?ええええええぇえ!!」




 真砂吾は飛びのいた。


 昔から母に聞かされた寝物語の鬼と、今ここにいる鬼を何処か別物として考えていた真砂吾は鬼の言葉に過剰に反応した。




「うううううそだ!信じない、え、だって鬼はおれを食べてなっ、いっひぎゃ」




 舌をかんだ。その様子に少し目を向けたのち、鬼は静かに「何も食べない」と言った。


 その言葉に胸をなで下ろすと、すぐに恐怖から脱し、興味で瞳が輝く。




「お腹はすかないの?」




「鬼は食べる必要がないんだ」




「うそ……」




「それに、人を食べるんだったら、とっくにお前を食っているさ」




 その言葉に、納得した顔をした後、また、真砂吾は疑問をぶつけた。




「何も食べない?!杏の実も栗も桃も?!ほんとに何にも!!?」と言った。




 真砂吾の大きな声に、鬼は顔をしかめながら首肯する。


 愛敬はないのに付き合いはいい鬼に、真砂吾はただただ感心していた。


真砂吾から目をそらし、そっと横目で桜の木から少し離れた茂みを見つめた鬼は、直ぐに目をそらし、かすかに、そして柔らかく口角を上げる。


 そんな鬼の様子に真砂吾は気付かず、少しして落ち着いたのちまた地面に腰を下ろした。そして、ぼんやりと下を向いて難しい顔をした後、「――鬼っていいよな」突然そんなことを言い出した。




「自由なんだろ?どこまでも行けるんだろ?強いんだろ?」真摯な声。




「…それに、ひとりでも生きて行けるんだろ?」




 言葉を紡ぎ続ける真砂吾の顔のほうに目をむけた鬼は何も言わず、真砂吾の顔を真顔で見つめる。真砂吾は少しの間、そのまま下を向いて棒を積み重ねていたが、ふと、鬼の返事がないことに気が付き、顔を上げた。そこで無言で自分を見つめる鬼に気付く。


 しばしの沈黙。そして、静かに彼は言った。




「鬼になる、その意味がお前にはわかっていない」




 横目でかすかに動いた茂みを見たのち、彼はつづけた。




「鬼になるべきではない」




 思った以上に重い口調に真砂吾は飲まれ、黙り込んだ。


 棒を手放し、落ち葉をつまむ。指でつまんだそれをそっと破く。一枚、二枚、三枚……。


 そして、なにかに気付いたように、はっと顔を上げ、




「鬼は人から、鬼になるのか?」と問う。




「そうだ。俺も昔は人だった。もう何年前かも忘れたが、人から鬼になった」




 口角を先ほどのように、柔らかく上げるのではなく、きつく、笑う意味が違うように彼はそれを上げた。




「死ねないということは、なかなか辛いものだ」




「死なないのか?鬼って!!」




 先ほどの沈黙の影が一気に晴れたような勢いで真砂吾は叫んだ。口を大きく開き、目は好奇心に輝いている。そんな様子に鬼は驚き、言葉を失った。




「死なないのか…、すごいな!そしたら、沢山のことが出来る!都にも行くことができる!海ってやつも、不死の山っていうのも見れるんだろうなぁ!」




 真砂吾は以前からしてみたかった、だが、生きることだけで精いっぱいなこの山奥の村の暮らしから考えて、願望でしかない、幾つもの夢を紡ぎだした。


 そんな真砂吾の輝くような笑顔を見た鬼の顔に、形容しがたい感情が走る。瞳が揺れ、わずかに開いた口から空気が漏れる。


 それからすぐ、鬼が黙りこんでしまった。真砂吾がいくら質問を投げかけても、鬼は真砂吾に一瞥もくれない。




「鬼?お・に!返事してよ!ちょっと」




 真砂吾の声だけがその場に響く。上を見やると鬼は手を額にやり、長い髪で顔を覆って、何やら難しい顔をしていた。




(何か、おれ変なこと言ったか?)




 真砂吾は考えたがよくわからなかった。死なないっていうことは凄いことではないか。食べずに生きることが出来るなんて凄いことではないか。自分のやってみたいこと、やってみたかったこと、沢山出来る。




(母さまは帰ってこないけど、さ)




 寂しく思う。しかし、その感情は燃えたぎるような激情ではない。静かに燻ぶるように落ち着いたものになりつつあった。


 母が死んだ。それでも自分は自分の人生を生きなければいけない。泣いて、悔しがって。そんなことをし続けていても意味はないのだ。


 最近はそう、前向きに思い始めた。喜代にも言われた、そろそろ、ちゃんと身なりも口調も元のように戻せ。そして、村長の言うようにしたらいい、と。




(築の奴が相手っていうのがまた嫌なんだけどさ…)




 最悪、築くんにすべて押し付けて真砂吾は逃げることも出来るんじゃないかな。昨日なんて、そう、喜代に囁かれた。でも、正直なこと言うと私にはお似合いだと思うけどね!築くん真砂吾のこと、好きみたいだし。結構格好いいし!




(そんなこと言ってもなぁ…、築むかつくし、いつも余計なこと言ってくるし。あーぁ、やっぱりわかんないや…)




 村長になって母を助ける、そんな妄執じみた願望と母を失った悲しみは鬼と話すごとに消えていった。助けるべき母もいないし、村長が向いてないなんてことも落ちついて考えたら全く持ってその通り過ぎて反論することも出来やしない。


 祖父や築と比べたら当たり前の話だ。


 築は器用だし。皆をまとめることも得意みたいだし。でも、そうしたら自分はどうしたらいいのだろう?喜代のいうように祖父の話に従うのか、もしくは自分で新しい行く末を見つけるのか。


 世界は広いらしい。色んなところを渡り歩いてきたという鬼の話す世界は真砂吾の知らないことばかりだ。それを聞くことに興奮はするけれど、自分がその世界に行く姿が想像出来ない。




(どうしたらいいんだろう)




 真砂吾は困ったように眉をひそめた。目だけを上にあげる。鬼は遠いところに視線をやったまま、下を見もしない。こうなった鬼はもう真砂吾に構ってくれないことは今までの邂逅から学んでいた。


これでは自分の懸念も相談出来ない。




「鬼、おれ帰るよ」




 小さく息をつく。仕方なく、真砂吾は気まずさとやるせなさと冷めやらぬ興味を胸に抱えて桜の木に背を向けた。


 何歩か進む、そうしてもう一度鬼を見る。今度はこちらを見ていた。手を振ると面倒臭そうに、だが確かに振り返された。






 真砂吾が鬼のもとを去りしばし後、鬼は草の生い茂る一角に目を向ける。


 今は誰もいない。けれど、少し前まで確かにそこに人がいた。


 少年、それもた多分真砂吾と同じくらいの年齢の。


 何故だろう、騒ぎ立てもせず、じっと、本当にじっと真砂吾のことを見つめていた。その視線は、そう、まるで恋する相手に捧ぐ、憧れのように真摯なものではなかったか―?




(……まぁ、いいさ)




 鬼は考えることをやめ、そっと目を閉じた。




   ◇◇◇




 死なないでずっといっしょに生きていけたらいいのにね。


 そしたら、村から出て、危険な山道を越えて、そして色んな処に行こう!池よりずーっと、ずーっとずーっと大きな海っていうのがあるんだって!見てみたいなー、ねぇ、見てみたいでしょ?


 え?そんなこと出来るわけないじゃない。私は貴方みたいに動くこと出来きないし、それに……。




 ――彼女は希望だけ語って、それをすぐに否定した。


 ――自分と彼女は隠しきれない違いに気付いたのは、物心ついてから少し経ってからだった。


 ――それはどうしようもないことだったのだろう、自分こそがここでは異分子なのだ。知っていたのに。


 ――行けばいいじゃないか、今すぐにでも。『死なない』とかそんなこと今言わなくたって自分たちは行くことが出来るんじゃないのか?




 ――彼女は、地に縛られている。自分は縛られていない。




 ――きっと気づきたく、なかった。


 ――自分じゃ彼女を幸せに出来ないということに。




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