僕と先輩と、ときどき世界。

能登五佳

Q1,世界とは。

「君にはこの世界がどう見える?」


放課後、部活動の時間。僕は自分の所属する文芸部室に居た。目の前には画用紙と色鉛筆。美術とは言えないが、絵が好きな僕にはお似合いの、適当な道具。そこによく通る言の葉が落ちてくる。


その持ち主は文芸部の部長である先輩であった。

彼女はどうも屁理屈で舌がよく回り、発想が極端に奇抜で、そして気分屋だ。開口一番が世界という問い掛けなのだから。

僕と先輩しか居ない部室にその声はよく響いた。


「世界…って、つまり地球なんじゃないですか?」


当たり障りなく、なんとなく思い付いた言葉を並べる。我ながら陳腐な答えだが、それしか思い付かない。目を閉じて想像できるのは、広い宇宙。多数の惑星。その中の一つの地球。


「地球…君はまた変なことを言う」

変なのはどっちだ。


「私が聞いているのは概念的な事なのだよ、では質問を変えよう。世界とは、何か?」

「何、って…いや、世界は世界でしょ。それ以上でも以下でもない。」


先輩は大きな溜め息を吐く。それは此方がしたい動作なのだが。


「いいか、君の見えている世界と、私の見ている世界。それがイコールで繋がると思うか?」


僕はこくりと頷く。現にこの場所にいるのは僕と先輩だけで、同じ空間に存在しているのだから。視覚は嘘を吐かない。


「ふむ。君は腐っても芸術家、いや、リアリストだな。もっと具体的に言おう。」


そう言って先輩は自分のシャープペンを取り出し見せ付けた。ピンク色の、ありふれたシャープペンだ。


「改めて質問だ。君には、これがどう見える?」

どう、と言われても。答えは決まっている。ただの先輩のシャープペンだ。


「そう、君にとってこれは“私の”シャープペンだ。しかし私にとっては“自分の”シャープペンなんだよ。」

おまけに友人から誕生日に貰ったものだ、と先輩は付け足す。なるほど、言いたいことが分かってきた気がする。そして同時に先輩に友人がいたことにも驚いたのは秘密だ。


「つまり、物事はその人の物差しで決まる、ってことですか?」

「その通り。世界もそうだ。君の感じる世界と、私の感じる世界は違う。人の数だけ世界は存在する。」


言われてみればそりゃそうだ、となる。なんとも大袈裟な言い回しで、くどい。


「しかし、道徳や倫理では人は皆平等だと言う。少し引っ掛かりを感じないか?考え方も、環境も、育ちも違うのに同じ、ましてや平等なんて。」

「はあ、まあ。そう言われてみれば理不尽だとは思いますけど。」

僕の家庭はごくごく一般的であるが、友人が金持ちだったり、学業に専念しろと言う家庭環境だったりして、確かに隔たりを感じることがある。


「そう!それだよ、それ!世界は、理不尽なのだ。」

先輩は何故かにんまりとして目の前のノートにガリガリと何かを書き始める。


「理不尽であり、不条理であり、とてつもなく我儘だ。しかし、それでも私たちは生きている。いや、生きるしかない。」


ガリガリ。ガリ。音と共に落ちる葉。ガリ。ガリガリ___


「それは、何故か?」


がば、と先輩が顔を上げる。まっすぐと、此方を見通す両の瞳に僕が映った。


「……楽しいこともある、から?」


気が付くと、釣られるように言の葉を流す。それはもう、ごく自然に溢れた、ぎこちない形の葉。


「惜しい。」

そう言いながらも先輩の両目は弧を描いている。そして、今度はさらりと、呆気ない程柔らかくノートに何かを書き込んだ。


「さて、君。」


とん、と広げられたノートの頁。当たり前の、ありふれた紙の上の黒い線。しかしその筆跡には激しさと、柔らかさとが混じっていて。一つの絵なのかもしれないと思うくらい、魅了される頁。

つらつらと何かが書いてあるわけではなく、一面には格言のような絵画が、一つ。


「私と世界を、見てみようじゃないか」


こうして僕と先輩の世界は始まった。


A,理不尽と不条理と、ほんの少しの優しさで出来ている。

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