第12話 フィランスイエローになるまで1
*
僕にとって、家族というのは牢獄みたいなものだった。
「向日葵、口答えするな」
「でも!お兄ちゃんが僕の・・・」
「向日葵!」
「・・・っ!!」
一生馴れる事のなかったお父さんの荒々しい怒声。きゅっと力を込めて涙を我慢すると、お父さんは優しい声で決まってこう続ける。
「お父さんは向日葵のこと、これからも愛してやりたいんだ。だから、桐と仲良くしてくれるな?」
そう言われてしまうと僕は、どうしても自分が我がままでどうしようもなく意地っ張りな娘に思えてお父さんの言葉にうなずいてしまう。
どこの家でも当然のことなのかもしれないけど、お父さんは朽葉家で一番偉い。みんなお父さんの言う事には逆らえない。だから僕は辛いことがあるとこうして何度もお父さんに助けを求めようとするのだけど、すんでのところで心が折れてしまう。
「おい、向日葵」
とぼとぼと自分の部屋に戻ろうとする僕はぴしゃりとした声に叩かれる。ただ名前を呼ばれただけなのに叩かれたと思ってしまう程に僕はその声の主が怖かった。それは一番偉いお父さんよりも。
「父さんにチクろうとしただろ」
朽葉桐は僕の四つ上のお兄ちゃん。僕と同じ髪の色と目の色をしているのに、僕と違って頭が良くて、背が高くて、友達も多い。
社長令嬢のお母さんと結婚して、製薬会社の社長になったお父さんはそんな優秀なお兄ちゃんの事が特別に大好きだ。もしかしたらお母さんよりもお兄ちゃんを大事にしているんじゃないかって思う。
「し、してないよっ」
僕はお兄ちゃんに怒られるのが怖くて嘘をつく。
「嘘をつくな」
どうしてか僕の嘘は簡単に見破られて、いつものように僕は僕の部屋に戻ることは出来ず、お兄ちゃんの部屋に押し込まれる。
「ほんとだよ、なにも言ってない」
言う前に諦めてしまったのだからこれは嘘じゃない。
「ほんと、信じてよ!お父さんには何も言ってないんだよ」
何度も入った事のあるお兄ちゃんの部屋、薄水色のベッドに漫画と参考書が並んだ本棚。壁には春から通っている高校の制服、えんじ色のネクタイと紺色のブレザーがかかっている。
桐お兄ちゃんの高校はすごく頭が良いらしく、お母さんは事あるごとに近所の人にお兄ちゃんの自慢をしている。有名高に進学できた、毎日進んで勉強するのに手伝いを良くする、頭がいいから学習塾の方から入ってくれと頼み込まれた、そんな自慢話だ。来年の春から中学生になる僕の話をあまりしないのは、僕がまだ高校生じゃないからなのか僕が自慢できる子供じゃないからなのかはわからない。前者だといいな。わからないけど、とにかくお母さんにとって桐お兄ちゃんは自慢の息子らしい。
「信じてほしかったら、いつものやれよ」
「・・・わかりました」
お父さんとお母さんにとって自慢の息子であるお兄ちゃんは、イライラするといつも僕を部屋に連れ込んで、服を脱げと命令する。最近はそんな命令がなくても自分でするけど。これは僕がこの行為を喜んでいるわけじゃなくって、そうするといつもよりお兄ちゃんが優しくなることに気付いたから。
「この裏切り者!!」
バキッ、と鈍い音がして僕のお腹に強い痛みが走る。お兄ちゃんはしっかりと握ったこぶしと僕を交互に見詰めて恍惚としている。
よかった、今日は殴るだけの日だ。
「妹のくせに俺に逆らうんじゃねぇよ!!」
続けておへそよりちょっと下のあたりに振り下ろされた拳に、反射でお腹に力を入れてしまう。しまった、と思ったけどそれはもう遅かった。
「かっ、かはっ・・・」
むせた僕の涎が部屋のカーペットに飛び散る。咄嗟に両手で口をふさいだけど、もうすでに床に落ちた水は口の中に戻ってはくれない。お腹に力を入れないほうが床を汚さないで済むのに、頭の悪い僕は何度も反射的に同じ間違いをしてしまう。
「・・・けほっ」
おそるおそるお兄ちゃんの顔を覗くと、お兄ちゃんはさっきよりも怒った様子で壁にかかった革のベルトを手にしていた。僕がお兄ちゃんの部屋を汚したから怒っているんだ、どうしよう、機嫌を取らないと。
「ご、ごめんなさい」
「悪いと思うなら自分でやれよ」
だらり、と僕の目の前に革のベルトが現れる。僕はこれをどうしたらいのかよく知っている。
「はい」
両手でそっとベルトを掴んで首の周りをぐるりと一回転させる。まるで首輪のように垂れ下がったベルトの両端を持って、僕は恭しくお兄ちゃんに返す。
「おねがい・・・します」
僕が恐怖に声を振るわせてそう言うと、お兄ちゃんは少しだけご機嫌になってベルトで僕の首を絞める。
最初は普通の紐でやっていたんだけど跡が簡単に消えないから平たいベルトを使う様になった。これならどれだけ力を入れてもすぐに死ぬことがないし、気絶しないでじわじわゆっくり長い時間僕を苦しめられるらしい。頭がいい人が考える事ってすごいな。
「向日葵、俺は向日葵の事を愛しているんだ」
一通り首を絞め、ボールペンでぐりぐりと僕の太ももを刺して、手のひらで何度もいろんな場所を叩かれ、散々好きなように僕の身体を痛めつけ終わったところで満足したお兄ちゃんは僕を抱きしめてくれる。
「俺は向日葵を愛してるから、一番愛してる向日葵に裏切られたくないんだ。わかるよな?」
「うん、ごめんねお兄ちゃん」
こうしてお兄ちゃんの言う事を聞いていれば、僕はあんまし痛い想いをしないで済む。『愛してる』のだから仕方ない、せっかく僕を愛してくれているのに僕が勝手に逃げ出そうとしたり裏切ろうとするからお兄ちゃんは怒るんだ。僕はまだ大人じゃないからそれが良く分かっていないけど、たくさん僕の事を愛してくれている人を裏切っちゃいけないっていうことくらいはわかった。子供の僕に理解できないだけでこれが愛されるっていうことなんだと僕は信じている。
「ごめんねお兄ちゃん、僕が悪かったよ」
「わかってくれて嬉しいよ向日葵、これからも俺の言う通りにしてくれるな?」
「うん、もちろんだよ」
言う事さえ聞いていればお兄ちゃんはずっと僕の事を愛してくれるって言った。僕はお父さんみたいに偉くもないしお兄ちゃんみたいに賢くもないからこうやって言うことを聞くことでしか愛してもらえない。
「き、桐、夕飯できたわよ」
そんな風に兄妹愛を確かめ合っていたら、部屋の外からお母さんに声をかけられたのでお兄ちゃんは扉を開けた。
「ありがとう、今下に降りるよ」
お兄ちゃんは何事もなかったかのように爽やかに微笑むと部屋を出てリビングのある一階に降りてしまうから、取り残された僕はとりあえず服を着る。首元がまだ赤いので隣の部屋に戻ってタートルネックの服に着替えないと。
「・・・・・・」
僕が部屋を出るとまだリビングに戻っていなかったお母さんと目が合う。
「・・・」
僕の服は乱れているし、髪の毛はぐしゃぐしゃだし、首には大きなあざがついているし、太ももからはちょびっとだけ血が出てる。そして僕は顔を真っ赤にしてぐしゃぐしゃに泣きはらしていると思う。
だけどお母さんは、
「向日葵も早くリビングに降りてらっしゃい」
とだけ言うといなくなってしまった。
僕は自分の部屋に戻って、泣きながら着替えた。
その日の夜、僕はいつものように連絡帳に今日の出来事を書いた。連絡帳って言うのは担任の先生との交換日記みたいなもので、低学年のクラスは全員やっているんだけど高学年のクラスは先生によってやったりやらなかったり、時々やったりする。僕の担任の先生は特別子供が大好きで明るい先生なので六年生のくせに毎週連絡帳をやりとりする。
『今週は、僕の誕生日だったので駅前のお店でパフェを食べに行きました。僕は本当はチーズケーキの方が好きだけど、子供の頃に誕生日はパフェを食べるとお兄ちゃんと約束をしたので毎年決まって誕生日はお兄ちゃんとパフェを食べに行きます。』
『向日葵さん誕生日おめでとう!優しいお兄さんですね、向日葵さんのところは兄妹の仲が良くて素敵!』
僕がお兄ちゃんとパフェを食べに行ったのは僕が小学校二年生の頃、確かお兄ちゃんもまだ小学生だった。何のアニメか忘れたけどパフェを食べるシーンを見てどうしても食べたくなったとわがままを言う僕を近くのファミリーレストランに連れて行ってくれた。
お母さんにお金をもらって、お兄ちゃんと手を繋いで出掛けた。僕は初めて子供だけでご飯を食べに行ったからドキドキしたのをよく覚えている。
その日は丁度僕の誕生日で、お兄ちゃんは来年も再来年もこれからずっと僕の誕生日は一緒にパフェを食べに行こうって言ってくれた。大人になったら食べ切れるか心配なくらいに大きなジャンボパフェも食べさせてくれると約束してくれた。
でも、お兄ちゃんと二人でパフェを食べに行ったのはその年が最初で最後になった。
中学生になって変わってしまったお兄ちゃん、多分僕との約束も誕生日も忘れてしまうくらいに毎日大変なんだとおもう。でも、いつかあの時の優しいお兄ちゃんに戻ってもう一度僕とパフェを食べに行ってくれるって信じてる。
だから今はただ、お兄ちゃんに嫌われないように頑張る。
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