第10話 茜と桃


 *

 フィランスピンクの仕事を見学した日から五日後、俺は相変わらず自分がヒーローであるという実感を得られずにいた。当然である、フィランスブルーに就任してからもうすぐ一週間になるというのに他の隊員には嫌という程出ている出動命令が一度も出ていないのだから。

 基地にはいつでも来ていいと言われたものの書類手続きが終わって以降、行く理由が思いつかずに結局行けていない。まぁ、大学から見て自宅よりさらに遠い場所にある基地に平日行くのは少し不便だから自然なことではある。

 というかそもそも、入隊二日目の向日葵の異常な行動と桃が見せた不審な言動、竜胆博士は俺が茜さんやあの子達をフォローしてくれることを期待しているみたいだけど。


「俺には荷が重いよ・・・」

 女性経験なしで生まれてこの方モテたことがない俺が一癖も二癖もあるヤンデレでヒーローの女の子をどうにかするなんて無理、できない。なんで俺何だよ、茜さんにちょっと気に居られたからって他のヒーローには関係ないし、大体茜さんとだってあれから殆ど話していない。

 それでも引き受けてフィランスブルーになった以上、全てを知った俺は簡単に逃げることはできないわけで。大学を言い訳に五日間も逃げていたけどさすがに休みの日は出勤しないと本当に逃げたと思われてしまう。


 というわけで、休日である今日は午前中から基地のある古本屋『紫雲堂』に行こうと思い、自宅の扉を開けたわけだけど、自宅前に待ち構えていた彼女にびっくりして思わず一度扉を閉めてしまった。

「何故閉める」

 閉めた扉を軽々と開ける、怖くなって再び閉めようとする。

「硬っ!?」

 彼女がしっかりと掴んだ扉はびくともしなくなっていた。

「何故閉めるんだ、空」

「す、すみません」

 ちょっと怖くて、とは言えなかった。まさか家を出ようとしたら私服姿の茜さんと鉢合わせることになるとは。

「えっと、茜さん?ここ俺の家なんですけど」

「知っている」

「なんで・・・まぁいいや、俺に何か用事ですか?」

 暫く顔を出さない俺を迎えに来てくれたとかかな。それなら申し訳ないことをしたと思うけど、理由もなく行くにはちょっと遠いんだよ。あとシンプルになんか怖い。

「・・・」

「あれ?茜さん?」

「・・・・・・から」

「すみません、聞こえなかったんですけど」

「空に会いたかったからに決まってるだろ!!」

「うわわっ」

 逆切れみたいな怒声にのけぞってしまう。

「俺に会いたかったんですか」

 確かにそう聞こえた。

「そうだ、悪いか」

「おお・・・」

 なんだろう、正直茜さんの事はまだよくわからないし、なんとなく好意的にみられているのには気付いていたけれど理由が見当もつかないものだから俺としてもどう接したらいいのか疑問には思っていたが、こうしてみると普通に可愛いのでは。

「えっと、嬉しいです」

 素直にそう返事しておく。茜さんを含むヒーロー達がヤンデレの素質を持っていることや、レッドは隊員に対してかなり厳しいという鶯さんの話があるからまだちょっと怖いとは思うけど、やっぱりこうやって素直に好意を寄せてくれるのは男として嬉しいものがある。

「む、そうか。急に押しかけて悪かったよ」

「いえいえ、ちょうど俺も紫雲堂に行こうと思っていたんですよ」

「それは、あたしに会いに?」

「え?」

「『ちょうど俺も』っていうことは、あたしと同じで、会いたいからってこと?」

 そういうつもりで言ったわけじゃないんだけど、まあいいか。

「まぁそんなところです」

「・・・っ!」

 わかりやすく顔を真っ赤にして俺を正視できずにいる茜さん、こうしてみると本当にただの女の子だな。

「そ、空は!好きな場所はあるか!」

「えっ、好きな場所ですか?まぁ、図書館とか静かな場所が好きですけど」

「図書館・・・は、だめだ」

「ダメ?」

 何の話だろう。

「図書館は人が多い」

「えーっと、山も好きです。頻繁に行くわけではないですけど海か山かと言われれば断然山派ですね」

「山か、いいな」

 これはいいらしい。良かった、茜さんも山が好きなのかな。

「空、これからあたしと二人で山に・・・」


「空先輩!」


「えっ」

「・・・」

 可愛らしい声に俺と茜さんが振り向くと、遠くから手をぱたぱたと振って走り寄って来るピンク色のツインテールが見えてきた。

「おはよーございます、先輩」

「お、おはよう。桃・・・」

 フィランスピンクこと石竹桃の登場に俺は密かに緊張する。彼女は一見ごく普通の女子高生に見えるが、この前彼女が仕事後に見せた表情は、正直言って恐怖意外のなにものでもなかった。

 ビル火災事故で逃げ遅れた少年を救った桃は、お礼としてフィランスレッドのぬいぐるみをもらった。どうやらそれは少年にとっての宝物で、一番大事なおもちゃだから命の恩人であるフィランスピンクにプレゼントしたかったらしい。

 しかし、桃は自分が助けたのにレッドのぬいぐるみを宝物だと思っていることが許せないらしく、そのぬいぐるみをズタズタに引き裂いて捨ててしまった。宝物のぬいぐるみをあげた少年の気持ちを考えると心が痛むし、なにより仲間であるフィランスレッドのぬいぐるみを破壊するというのは不穏だ。一応「もうこんなことしません」とは言っていたけど、あの行為から見て取れるのはフィランスレッド、茜さんへの憎悪だ。

 茜さん自身も他の隊員を避けているが、少なくとも桃は茜さんをよく思っていない、これは間違いないだろう。女同士が見せるあの憎悪を初めて目の当たりにした俺としてはこの愛らしいローツインテールの少女がどうも怖く見えてしまう。

「あれ?先輩、桃に言うことあるんじゃないですか?」

 すぐ隣にいる茜さんは無視、また茜さんも桃を視界に入れていない。

「・・・言う事」

 久しぶりだね、は違うな。えっと・・・あ、そうか。

「か、可愛い、な」

「!?」

「えへへ!ありがとうございます、先輩」

 子供から貰ったものを、例え嫌いなフィランスレッドのグッズだとしても腹いせに壊すのを辞めてくれる代わりにした約束を思い出す。たくさん可愛いと言ってくれ、なんて変なお願いだしすごく照れ臭いけどそれで少しでも色々な事が円滑に進むなら安いものだ。実際可愛いし。

「ちょ、ちょっと待て、空?い、いいい今のはなんだ」

 あ、隣で見てた茜さんがドン引きしている。動揺が凄い。

「何ってなんですかぁ?空先輩が桃のこと可愛いって言ってくれただけですけど・・・他にどう見えたんですかね?」

 俺が返事をする前に口をはさむなと言わんばかりに桃が応戦する。

「な、なんでそんなこと」

「なんで?可愛い人を見て可愛いねって言うことに理由があります?茜さんだっていろんな人から『カッコいい』『強い』って言われていますよね?」

「・・・」

「桃は全然カッコよくないから、そんなこと言われたことないですけど」


 なんだ、俺が口をはさめないでいるうちにどんどん険悪になっている。どうしたらいい、桃との約束の話をしていいのか?でもフィランスレッドのぬいぐるみの話は絶対に茜さんにはできない。そもそも会うたびに可愛いと言うなんてバカップルみたいな約束してると思われたら社会的に死ぬ気がする。

「先輩はこういう所、ちゃんと素直に言ってくれますよね・・・そういうところ、桃、好きだなぁ」

「ふざけるな!!!!!!!!」

 ―――ガシャン!―――

「キャッ!」

 トラックが衝突してきたかのような衝撃音で俺の家の門(金属)が握りつぶされる。

「茜さん、落ち着いて!」

「暴力はやめてください!」

「空は、ずっと昔から!!あたしの!!!」

 怒り狂った茜さんは桃に向かって再び拳を振りかざす。

「茜さん!!」

 気付いたら俺は、我を忘れて桃を庇い、暴走トラック並みの威力を持つこぶしの前に立ちふさがっていた。それにただの人間のモノをはるかに超える力があるのは確かなことで、このままでは茜さんが殺人を犯してしまう、そう判断したからかもしれない。

「邪魔をするな、空」

「ダ、ダメです、茜さん」

 多分俺は殴られない、きっと、絶対、おそらく。

「茜さんが人殺しになるところ、見たくないです」

「・・・今更だ」

「え?」

「今更一人増えても、あたしが人殺しだってことに変わりはない」

「・・・茜さん?」

 どういう意味ですか、と聞きたかったけど、踏み込む勇気は無かった。

「・・・ちっ」

 興が覚めたのか、こぶしを収めて俺の家から去っていく。

「どこに行くんですか!」

 返事は帰ってこなかった。その場の危機はなんとか回避できたようだけど、茜さんのことが気になる。桃との不仲の件も含め、竜胆博士に相談した方がいいな。

「桃、基地に行こうか」

「え?」

「一緒に来てくれるか?」

「も、もちろんですよ先輩。桃はいつでも先輩といっしょです」


 このまま桃から目を離すとさっきの続きを始めかねない。一緒に連れていくほうが安全だろう。




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