6-4 お酒はもう少しお控えくださいませ

※閲覧注意

(酔っ払いが管を巻いている表現あり)


    ◇ ◇ ◇ ◇


 帰り道、なじみのスーパーに立ち寄って安い発泡酒を買った。

 こんな日は飲まずにはいられない。

 ダイニングのソファにどかりと座り込み、小さなテーブルの上に安い発泡酒の缶を並べる。

 まずは一本。プシュッと軽い音を立て、缶を開けてぐびりと飲む。


「ご飲酒ですか。珍しいですね」


 ハジメは興味深そうに発泡酒を眺めている。

 そういえば、飲むのはネットショップでこいつを買ったとき以来か。あのときの失敗を反省して、それからは控えていたんだったっけ。


「さすがにこんな日くらい許されるだろ。お前も今日のことは忘れちまえ」


 そう言いながら、酒と一緒に買ってきたイカの干物をがじがじと噛む。

 アンドロイドなら、今日一日分の記憶をきれいさっぱり消すだなんて容易にできるだろう。きっとそのほうがいいに違いない。

 そう思ったのに、ハジメのやつは真面目くさった顔で言う。


「……いいえ。もしかしたら今後必要になることもあるかもしれません。念のため、音声・映像ともに記録を残しておきます」

「そっかあ。辛くなったらいつでも言えよ?」

「お気づかいありがとうございます」


 すでに一本目の缶は空になり、俺はすぐさま二本目に手を伸ばす。

 ハジメはテーブルの脇で、空になった缶を隅に寄せたり、散乱したつまみの袋を片付けたりしている。

 その手をグイッと引き、「まあ付き合えよ」とソファに座らせる。


「あの女って、お前の元ユーザーなのか?」

「申し訳ございません。そのご質問にはお答えしかねます」

「またそれかよ……まあいいや」

「おそれいります」


 昼間の光景を思い出し、なんとなく、あの女と一緒にいたアンドロイドたちのことが気になった。

 首からのぞいていた黒い革の首輪を思い出す。


「あいつら、大丈夫かなあ」

 ピーナッツをざらざらと口に流し込み、ボリボリと咀嚼しながら呟く。

「あいつらとは?」

「ほら、あの女と一緒にアンドロイドがいただろ」


 俺がそう言った途端、ハジメは難しい顔をした。

 ひざの上で握られたこぶしが、不安そうに震えている。


「どうでしょうか。私にはわかりかねます」

「そっか……」


 あのアンドロイドたちが家に帰ってからどのような扱いを受けたのか、想像するだけでもおぞましい。

 できれば、女と一緒にいた二体のアンドロイドも助けてやりたい。

 そう思うのは傲慢だろうか。


 結局、俺はユーザーとしてなにひとつできなかった。

 ハジメを守ることも、あの女を止めることも。

 ただ見ていることしかできなかった。


 それなのに、あのアンドロイドたちを守るだなんてできるわけがない。

 己の無力さを痛感する。


「ご主人様」

「ん?」


 呼ばれて振り向くと、ハジメは緩やかな動作で頭を下げた。


「あの二体のアンドロイドをお気遣いくださって、ありがとうございます」

「……おう。故障するといけねぇしな」


 左手の中指に識別環を見つけたとき、俺は拳を止めた。

 それはなぜだったのだろうか。

 万が一にも故障をさせてしまった場合、その修理費を請求されるのが嫌だったからだろうか。

 それとも、あのアンドロイドたちにハジメの姿が重なったからか。


「……でもさ、いっそ壊してやったほうが良かったんじゃねぇのかなって。だってあんな女に使われてるくらいなら、壊してやったほうがあいつらのためだろ」

「それはいけません」

「なんでだよ」

「あの二体がいなくなったとしても、次のアンドロイドが購入されるだけですから」

「そうなのか……」


 ハジメはなにやら事情を知ったふうなことを口にしたが、酒が回ってきた頭ではよくわからなかった。

 つまりは現状維持をするしかない、ということなのだろうか。


 三本目の発泡酒を、流し入れるように呑む。

 ビーフジャーキーの袋を引きちぎるように開け、中身にかじりつく。

 だいぶ酔いが回ってきたらしく、肉のうまみも塩気も香辛料の辛みもよくわからない。

 気付けば俺はバシバシとテーブルを叩いていた。


「くっそ……! あの女め、俺のハジメを足蹴にしやがって。絶対に許せねぇ!」

「ご主人様。お酒はもうそのへんにしておいたほうが」


 ハジメが困ったように発泡酒の缶へと視線を向ける。

 俺は取られまいと手を伸ばし、勢いあまって強く缶を握りつぶす。

 めきょっとおかしな音がして、金属の表面がいびつにへこんだ。


「もう少しだけ飲ませてくれよぉ。飲まなきゃやってらんねぇ」

「……もう少しだけですよ?」

「おう! わぁってるってぇ!」


 呂律の回らなくなってきた舌で答え、ハジメの首に腕をからめてぐいと引き寄せる。

 互いの顔が近付き、俺は奴の顔をじっと見据える。 


「おいハジメぇ! ……お前はなあっ! 前はどんなユーザーの家にいたか知らねぇけどなぁ、今は俺のなんだからなぁ! わかってるのかぁ!?」

「はいはい。もちろんでございますよ。私はご主人様のものでございます」


 しれっとあしらうように言われて、こちらも上機嫌で笑う。


「そうかそうかぁ! わかってるんならいいんだよ!」


 またなにかをたくらんでいるのか、ハジメがそっと四本目の缶に手を伸ばす。

 その腕を捕まえ、ぐしゃぐしゃとその黒髪をなでる。


「それにしてもなぁ、お前はほんっと災難だよなぁ。ユーザーにめぐまれてないっていうかさ。俺が酔ってネットショッピングなんてしなきゃあ、もぉっとマシなユーザーに買ってもらえたかもしれねぇのになぁ」

「いいえ。私はご主人様に買っていただけて幸せですよ」

「おっ。そうかそうかぁ。お前も俺と暮らし始めて、すっかりお世辞がうまくなったなぁ」


 こちらはからかって笑っているのに、ハジメは優しく微笑むばかりだった。


「……ご主人様が私を購入されたとき、ネットショップの出品期間が残りあと数日でした。私は、ご主人様に買っていただけなければ廃棄処分されるか、最悪の場合は元のユーザーに戻されておりました。あなたが私を助けてくださったのですよ」

「ふぅん。そりゃあよかったよかった」


 テーブルの上に突っ伏せて、へらへらと笑う。


「でもまぁ、俺もお前には人生救われてるからなぁ……お互い様ってことかぁ」

「ありがとうございます。そうおっしゃっていただけて光栄です」

「えへへぇ……ずっと傍にいてくれよな、ハジメぇ」

「もちろんでございます。ご主人様」


 結局、この夜の記憶は発泡酒の泡とともに消えていった。


    ◇ ◇ ◇ ◇


「おはようございます、ご主人様」


 ハジメに声をかけられ、のろのろと目を開く。


「んあ」

「起きられそうですか?」

「うぅ」


 ひどくぼんやりする頭でどうにか声を発するものの、言葉にならなかった。

 窓からはやわからかな光が射し込んでいて、気付けば俺はベッドの上にいた。

 昨日の夜の記憶がひどく曖昧だ。


「お水をどうぞ」


 そう言って差し出されたペットボトルからミネラルウォーターをごくごくと飲み、ようやく人心地ひとごこちつく。


「……ありがと」


 ようやくどうにか言葉を発するものの、声がかすれていることに気付く。

 昨晩は久々の飲酒だったこともあり、つい限界を超えて飲み過ぎてしまったようだ。


「……なあ、ハジメ」

「はい。なんでしょう」

「昨日なにか迷惑をかけなかったか? 付き合わせて悪かったな」

「いえ。楽しい時間を過ごさせていただきましたよ」


 ハジメはにこにこと屈託のない様子で笑っている。

 どうやら気を遣っているわけではなさそうだ。


「そうか……。それなら、まあ、いいけど」

「でも、お酒はもう少しお控えくださいませ」

「わかった、わかった」


 なぜだか、ハジメは楽しそうだ。

 その理由はわからないが、あの外出先での出来事を気にしていないのならそれで充分だ。

 ペットボトルの中身をまた一口飲み、ぽつりと呟く。


「……コーヒーがよかったな」

「それはいけません」

「な、なんでだよ」

「アルコールとカフェインは相性がよろしくないのです。せめてもう少しお酒が抜けてからでないとお淹れできません」

「うぅ、わかったよ」


 かすかな頭痛とだるさと期待外れで、俺は布団の上にべしゃりと潰れる。

 俺の気持ちとは正反対に、さも嬉しそうなハジメの声が降ってくる。


「私のコーヒーをそこまで楽しみにしていただけるとは光栄でございます。ありがとうございます、ご主人様」

「……おう」


 少なくとも、心身ともにしゃっきりしないうちはコーヒーを淹れてくれる様子がなさそうだ。

 俺はむくりとベッドの上に起き上がり、また一口水を飲む。

 そして、腹いせとばかりにプラスチックの飲み口をがじがじとかじった。 

 それは展望台のデッキのあの口づけと比べてひどく硬く冷たく感じられた。

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