5章 輪ゴムの指輪

5-1 あまり触られると、気恥ずかしいのです

 左のてのひらを大きく開いて、真上にかざす。

 その向こうに真っ白な天井が見えた。

 現在、仕事のアイディアも真っ白だ。笑えない。


「どうしたもんかねぇ」


 仕事用の椅子チェアに寄りかかったまま、手を握ったり開いたりしていると、視界にハジメの顔が入ってきた。


「ご主人様。あまりうしろに寄りかかられますと危ないですよ」


 腹の立つほど整った顔をしているくせに、相変わらず小言が減らない奴だ。

 よいせっと姿勢を戻し、指先をちょいちょいと曲げる。


「ハジメ。ちょっと

「かしこまりました。なにをお手伝いすればよろしいでしょうか?」

「いや、そうじゃなくてな。


 不思議そうな顔を浮かべながらも、ハジメは手をこちらに差し出してくる。


「……どうぞ」

「あ、左手がいい」

「さようでございますか」


 いかにも腑に落ちない表情のまま、ハジメは左手を差し出す。

 俺はその『手』を受け取ると、照明に透かしてみたり、裏返してみたり、ふにふにと揉んでみたりした。


「お前、顔だけじゃなくて手も綺麗だなあ」

「おそれいります」


 ハジメの手は、『ドS執事』だなんていうふざけた設定のせいか、案外男らしい形をしている。それでいながら肌はなめらかできめ細やかだ。

 指も長く、爪は健康的な桜色でゆるやかなカーブを描いている。

 造り物だとわかっていても、顔だけじゃなく手まで綺麗に造られているのは羨ましいというか、腹立たしいというか。


わたくしは、ご主人様の手も良いと思いますよ」

「俺はべつに好きじゃねえけど」

「おや、そうでしたか」


 俺の手は、線が細いくせに骨ばっている。自分で言うのもなんだが、まるで骸骨みたいだ。おまけに年中パソコンに向かって絵を描いているから、人差し指と中指、手首のあたりにタコができている。手入れもしないから荒れ放題でガサガサだ。

 どう見たって「美しい」という言葉からは程遠い。


 それに比べて、ハジメは指の一本一本まで美しい。

 その五本の指をゆっくりなぞる。

 親指、人差し指、中指。

 今日は外出をする予定もないので、左手の中指に識別環をつけていない。

 薬指の付け根を念入りになぞり、そして小指。


 心なしかハジメの顔はどことなく迷惑そうだが、これも仕事のためだ。

 手の甲をなぞり、次はてのひらをなぞろうとひっくり返したとき、ふと気付いた。


「お前の生命線めちゃくちゃ短いな。途中でぶつりと切れてるじゃねえか」

「手相占いでも始められたのですか? それともツボの勉強でしょうか」


 そろそろやめてくれといわんばかりの表情で、ハジメが尋ねる。

 どうやら本気で迷惑そうだ。

 無理強いをするのも心が咎めるので、仕方なく手を放してやる。


「ほら、こないだ指輪の広告のイラストを描いてくれって依頼が来てただろ。いいアイディアが浮かばなくてなあ」

「指輪でございますか。オムライスや植物のときと同じように、実物を見て描かれてはいかがですか?」


 解放された左手をさすりながら、ハジメが言う。


「それがなあ。ただの指輪ならそうしてもいいんだが、結婚けっこん指輪ゆびわなんだよなあ」

「……結婚指輪でございますか」

「給料三か月分っていうくらいだしなあ。そんだけ大事なモンってことだ。だからみんな真剣に選ぶし、俺もこの仕事は特に神経を使ってだなあ、……おい、ハジメ」

「はい。なんでございましょう」

「手を触られるの、そんなに嫌だったか?」


 ハジメはずっと手をさすりながら眉間にしわを寄せている。

 そんなに嫌がられるようなことをしたつもりはなかったんだが。

 少しだけ間が空き、それから奴は恥じらうように答えた。


「……あまり触られると、気恥ずかしいのです」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る