4-5 なんでそんなに謝るんだよ

 翌朝になると、体のだるさはほとんどなくなっていた。

 どうやら熱も引いたようだ。


 ハジメは椅子の上に座って目を閉じていた。

 どうやらスリープモードになっているようだ。昨夜は一晩中ずっと傍にいてくれたのか。


 起こさないようにそっと起き上がり、パソコンの前に座る。

 クラウドにアクセスし、植物園で撮った写真データを確認する。やはり光線の具合が良かったおかげで美しく撮れている。


 その中から一枚を見つけ出し、加工とフォトレタッチをほどこしてゆく。

 花の色をより鮮やかに。影の部分をもっと深く。上から光を差し、より印象強く。

 異国の夏空を切り取ったような水色と、包み込むような優しい黒を美しく仕上げる。

 そうしてできあがった写真を印刷してコルクボードに貼っていると、背後から声をかけられた。


「おはようございます。ご主人様」

「……わっ、びっくりした。おはよう、ハジメ」

「お体のお加減はいかがですか?」

「うん。昨日よりだいぶいい。ありがとうな」

「どういたしまして」


 深々と頭を下げ、ハジメはふとコルクボードの写真に目を止めた。


「昨日のお写真ですか」

「いいだろ、これ」


 同意を求めたが、ハジメはそれには答えなかった。

 すぐに写真から視線を逸らし、眉を寄せて俺を見る。


「起床までにはまだお時間がございます。ご用がお済みでしたら、もう少しお休みくださいませ」

「起きてたっていいだろ。もう寝飽きたよ」

「どうか、もう少しだけお休みいただけませんか」

「だからいいって」


 そのやり取りに、ふと昨日のことが思い出された。 

「なあ、ハジメ。……あのさ、昨日なんで怒ってたの?」


 ハジメの肩がびくりと揺れる。

 奴はいかにもうしろめたいと言わんばかりに視線を落とし、床を見つめた。


「……申し訳ございませんでした。どうか、お忘れくださいませ」

「そっか。じゃあ起きて仕事するわ。今日はコーヒーも淹れなくていいからな」

「お待ちください!」


 たっぷり躊躇ちゅうちょしたあとで、ハジメはぼそりと呟いた。


「……不安になったのでございます」

「不安?」

「私はコーヒーをお淹れするくらいの機能しかない旧型のアンドロイドでございます。もしご主人様が他のアンドロイドをお気に召してしまえば、私はもう必要がありません。ですから……他のアンドロイドを見てほしくなかったのです」


 俺はあっけにとられた。


「他のアンドロイド? 見てたっけ?」

「テレビで……」


 そう言われて、やっと思い出した。


 昨日、俺がテレビで見ていたのは、『未来を担うアンドロイドのデザイン』をテーマにした特集だった。

 たしかに最新のアンドロイドが紹介されていたが、俺が見ていたのはデザインだけで、機能にはさほど興味がなかった。

 そのことを正直に伝えると、ハジメは気まずそうに謝罪をした。


「そうでしたか……。勘違いをして申し訳ございませんでした」

「じゃあ、電車では? 俺のこと睨んでなかったか?」

「それも……ご主人様が車内のアンドロイドを見ていると思ったからでございます」


 なるほど。だから視界を遮るように俺の前に立ったのか。

 ハジメは目を伏せ、声を震わせた。


「……どうか、お許しください」

「なんでそんなに謝るんだよ」

「次にこのような話をした場合、本当に別のアンドロイドを購入されるとおっしゃっていたので……」


 ああ、そういえばそんな話もしたっけ。

 たしか一緒にクマのパジャマを買いに行ったときだ。

 ハジメが他のアンドロイドを購入してはどうかと勧めるものだから、俺もついイラッとして言ってしまったが、べつに本気だったわけじゃない。


 でも、そのときの会話が原因で、ハジメは言いたいことを言い出せずにずっと黙っているしかなかったのか。

 ようやくそこに考えが至る。


「……ごめん。ごめんな、ハジメ。不安にさせて悪かった」


 なだめるように背中をポンポンと叩く。

 遠慮がちにハジメが尋ねる。


「それでは……私はまだこの家にいてもよろしいのでしょうか」

「ああ。いてくれ」


 俺がどう思っていようが、どちらにしろ新しいアンドロイドを買う金などない。

 だから、ハジメを手放すなど、今は到底考えられない。


 それにしても、なぜハジメは謝ってまでこの家にいようとするのだろう。

 どう考えてもべつのユーザーに使われたほうが幸せに決まっている。

 俺なんかにこだわる理由などないだろうに。


 ずっと傍にいろだなんて、偉そうなことを言うのは簡単だ。

 そうすればハジメは安心するだろう。

 でも、ずっとこの家にいることがハジメの幸せかどうかはわからない。

 ハジメが本当にそれを望んでいるかどうかさえもわからない。


 これまでに自分がしてきたことを考えると、いつかは手放してやるほうが奴の幸せなのではないかとさえ思う。


「……お前が不安にならない方法を、考えるから」

 そう伝えると、ハジメは優しく笑った。

「それでは、今はどうか私のためにもう少しだけお休みくださいませ」

「わかったわかった」


 ふたたびベッドにもぐりこみ、さきほどピンで貼った写真を眺める。

 四角く切り取られた風景の中に、ヒスイカズラに囲まれたハジメの姿がある。

 フォトレタッチをほどこしたせいか、憂いをおびていたはずのハジメの表情は優しく微笑んでいるように見えた。

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