3章 オムライス
3-1 オムライスでございますね
物事の始まりは、いつだって
まるでオムライスのように平凡な顔をしている。
だが、実際にスプーンを差し込んで食べてみるまでは、玉子の下に包まれているのがチキンライスなのか、白米なのかはわからない。あるいは、炒飯やサフランライスが隠れているかもしれない。
それなのに、未来はいつだって何食わぬ顔で待ち構えている。
その日のできごとのすべては、あとから思い返せばたった一通のメールから始まっていた。
それがまさか、あんなことになるとは。
◇ ◇ ◇ ◇
「ご主人様。お仕事の依頼メールが届いております」
「わかった。ありがとな」
ハジメに声をかけられ、俺はパソコンの前に座ってメールを確認する。
新着メールが1件。
「お仕事の依頼です。よろしくお願いします。」と書かれた件名からは、とても丁寧な印象を受けた。
メールを開くと、本文にはこう書かれていた。
『はじめまして。お仕事の依頼をさせてください。
オムライスのイラストをお願いします。
洋食屋のメニュー表やサイトなどにワンポイントで使えるものを希望します。
一ヶ月以内に完成させていただけると嬉しいですが、いかがでしょうか?』
「……オムライスか」
誰にともなく呟く。
あまりなじみのない食べ物だが、見たことくらいはある。
依頼内容、納期ともに問題ない。
金額や支払方法を折り返し伝えると、すぐに了承の返事が来た。
こういう話の早い客はありがたい。
納期は一ヶ月以内ということなので時間はまだたっぷりあるが、早いに越したことはない。
さいわい手も
ペイントソフトを起動し、白い円を描いて丸皿を表現する。
そこへラグビーボールのような黄色の山をこんもりと乗せ、その上に鮮やかな赤の模様を描けば、完成だ。
イラスト1枚だけではさすがに物足りない気がしたので、真上から見たもの、斜めから見たもの、真横から見たものなど、いくつかのパターンを作ってみる。
別レイヤーで「SAMPLE」の文字を被せれば終わりだ。
このデータを相手に送り、相手が了承して支払いを済ませてくれれば、あとはこちらから正式な完成品を送って終了だ。
「へへ。楽勝、楽勝。こんな仕事ばかりだといいんだけどな」
これから起こることも知らず、俺は上機嫌でメールの送信ボタンを押した。
◇ ◇ ◇ ◇
ハジメから声をかけられたのは、それから5分も経たないうちだった。
「ご主人様。お仕事のメールが届いております」
「おう、ありがとな」
そう応え、すぐさま確認をする。
きっと依頼主から了承のメールが届いたのだろう。あるいは振り込みが終了したという連絡か。
だが、予想は裏切られた。
『さっそく描いてくださってありがとうございます。
すみませんが、修正をお願いできますか?
率直に申し上げますと、オムライスに見えません……』
「んなっ!?」
予期せぬ言葉に、あんぐりと口が開く。
これはまずい。盛大にまずい。
オムライスに見えない。それが一番困る。
そもそも、イラストレーターは「オムライスのイラスト」と言われたら「オムライスのイラスト」を確実に納品するのが仕事だ。「なんだかよくわからないイラスト」を納品したとあっては信用にかかわる。
「なあ、ハジメ。ちょっと来てくれ」
「お呼びでしょうか、ご主人様」
近寄ってきたハジメに、ネットで検索したオムライスの画像を見せる。
「これ、なんだと思う?」
「オムライスでございますね」
「じゃあ、これは?」
次に、いましがた納品したイラストを見せてみる。
ハジメは少し首を傾げながら答えた。
「白い楕円とつぶれた黄色の
「……わかった。大いに参考になったわ」
「お役に立てて嬉しいです」
なにも理解していない様子でハジメがにこりと微笑む。
相変わらず顔がいい。
いや、今はそんなことはどうでもいい。
さすがに絵柄がシンプル過ぎたか。
ワンポイントにするならインパクトのあるほうがいいと思ったんだが。
(そういえば、洋食屋っていってたな)
そう思い出し、高級店のオムライスの画像を検索する。
できるだけ見栄えのするものがいい。
そうして見つけたのは、「ドレス・ド・オムライス」というオムライスだった。半熟玉子をドレスのようにくるくると巻いた装飾が美しい。
さっそくイラストに取りかかる。
玉子の豪華なドレープにやわらかい光を当て、その周囲には濃厚なデミグラスソースをたっぷり。高級、高級、高級、と口の中で唱えながらひたすら細部を描き込んでゆく。
三十分も経てば、見事なイラストが完成した。
誰がどう見ても『高級オムライス』だ。
ハジメに見せたところ「これはドレス・ド・オムライスでございますね」とお墨付きをもらった。
よし! これで相手も文句はないだろう。
もしくは称賛されるかもしれない。
そんな妄想をしながら、鼻歌まじりにメールを送る。
◇ ◇ ◇ ◇
返事のメールは、やはり5分も経たないうちに届いた。
『短時間での修正、ありがとうございました。
あの、すみません、もう一度修正をお願いできますか?
こういうオシャレなのではなくて、ご家庭の味をイメージしたものがいいです』
「なんだって!?」
パソコン画面の前で思わず前のめりになる。
コンセプトがあるなら最初から言ってくれ。いや、聞かなかった俺のミスか。
ともあれ依頼主の機嫌を損ねたくはない。あまりにもリテイクが多いと途中で「やっぱりやめる」と言い出す依頼主もいる。
とにもかくにも「すぐ別のものをご用意させていただきます」と返し、次の案へとりかかる。「ご家庭の味」というキーワードさえあれば、次は大きく外すこともないだろう。
さっきは高級店の画像を検索したが、今度は家庭用のレシピを検索しよう。
そう考え、次々とサイトを巡る。
調味料メーカーのサイト。
時短レシピを紹介するサイト。
料理系雑誌の出版社が運営しているレシピサイト。
思ったよりもいろいろあるが、ここはやはり昔ながらの雰囲気をまとったオムライスがいいのだろう。
いくつかピックアップし、イメージを固める。
デザイン自体は単純なので、今度は二十分ほどで完成し、またメールを送る。
やはり返事はすぐに届いた。
というか、今までのなかで一番早く返信が来たかもしれない。
きっと相手も気に入ってくれたに違いない、と期待してメールを開く。
『何度も修正していただき、ありがとうございます。
たいへん申し訳ないのですが、修正をお願いできますか?
ちょっと平凡過ぎて、どこにでもあるというか……』
「ご家庭の味を求めてるんじゃなかったのかよぉおおおぉ!」
俺はパソコンの前で頭を抱え、前後にぶんぶんと振って叫んだ。
心配そうにこちらを見つめるハジメの視線が痛いが、これが叫ばずにいられるかよ、ちくしょう!
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