シロウ・バース〜Lead 0〜

夢田雄記

第1話 シロウ・バース

 小さい頃の夢を見た。4歳の時の思い出だ。なぜ覚えているかと問われれば、その日から全てが変わったからだ。青空の下で芝生の上で、お母さんとお父さんと3人で、走り回って遊んでいた。

「リアー! こっちにおいでー!」

 お母さんの方にリアは走って抱き付いた。リアは笑顔でお母さん、お母さんと叫んだ。お母さんはそれを見て笑っていた。

「リア。お父さんのところに行こっか?」

「じゃあ競争ね!」

 リアはお父さんの所まで全力で走った。お母さんは、リアの後ろをずっと走ってくれた。お父さんの所に先につくと、リアはお母さんに勝ったとはしゃいだ。手加減している事も知らずに全力で喜んでいた。お母さんの方を向き、はやくとリアが手招きしていたその時、リアの後ろから、お父さんの声が聞こえた。

「大丈夫。リアはきっと役に立つ。」

 振り返るとそこには、注射器を持ち、鬼の形相をしたお父さんがいた。逃げようとするリアの左腕を掴み、赤い液体を注射をした。そこから地獄が始まった。お母さんとは離れ、見知らぬ研究所に連れて行かれた。真っ白のワイシャツ長ズボンを着せられ、誰かもわからない金髪のお兄さんと稽古という名目で、毎日組手をさせられた。データ収集の為に。泣いても止まることはなく、体をボロボロにされた。寝る前にケージの外からお父さんが優しい声でリアに言った。

「大丈夫。リアは役に立つよ。」

 そう言うとそのままどこかに行ってしまった。これが日常になった。変わりたての頃、リアは必死にお父さん、置いていかないで、お母さんはどこ、一人は嫌だと必死に叫んだが、その声が届くことはなく、毎日独りの寂しい夜を過ごした。泣いても、誰かを呼んでも、叫んでも、何も起こらなかった。そしてとうとう、彼の想いは儚く消えていった。リアの中から、希望は消えた。


 そして、4年の月日が流れた。


 2225年12月24日__研究所・コンテナ

 朝になり、リアは蛍光灯の灯りで起こされた。今日も目が覚めてしまった。そう思いながら、ベッドから体を起こした。12月なのに寒くない。皮肉な事に、研究所のケージの中は年中快適だ。僕がいちばん過ごしやすい温度になっている。外の世界なんて、もう4年も見ていないし、感じていない。そう言えば、今日はクリスマスイブだ。そして明日は、クリスマスと僕の8歳の誕生日。ふと、そんなことを思い出した。でも、研究所ここではプレゼントが無いのは勿論もちろん、誰も僕を祝ってくれない。僕はもう……。誰か、僕を助けて。自分の中から希望は消えたはずなのに、何故か祈ってしまう。そんなことは願っても無駄だと分かっていても、つい奇跡にすがってしまうものだった。


 所長室では、リアの父親であるサドナ・Rレント・テクシスが、机に置いてある小さいモニターでリアを静観していた。彼の容姿はがたいが良く背が高い。黒い長髪に軽くウェーブがかかった髪型で髭が生えている。黒いメガネをかけてレンズから見える目は廃人のようでまるで生気を感じない。そして異常な程のヘビースモーカーである。扉からノックする音が鳴り、入れとサドナが言うと、書類を持った研究員が足軽に入ってきた。その男は高身長のくすんだ金髪ショートヘア、チャラチャラした格好の若い研究員だ。

「ま〜た息子さんの観察ですかサドナ所長? そんなに気になるなら直接会いに行けばいいのに。」

「口を慎めアモン。完璧な多種の合成人間キメラノイドだから何を言ってもいいわけでは無いぞ? それに私は、彼を息子とは見ていないよ、初めからね。彼のが楽しみだから常に観ているんだよ。変化は突然だからな。」

「冷たいねぇ。息子さんと会ったときはそんな風にしないでよ?」

「そんな事より、さっさと報告書をよこせ、報告しろ。」

 とても父親とは思えない発言だった。しかしアモンは、その事に関して何も思わなかった。むしろこのやり取りを楽しんでいた。報告書を渡して、口頭でも伝えた。報告書には「キメラ計画」と書かれていた。

「じゃあ、悪い報告から行こうか。コンテナにいる検体50体の内半数が死亡。死因はまちまち。そもそも適応できずに心停止したのもいれば、血液の変化に異常を起こして変色して死んだのもいたし、肉体の変化に耐えきれず体の一部が腐食、溶解、爆発したやつもいた。」

 サドナが受け取った報告書には、被験体のプロフィールと、実験結果として撮られた写真が挟まれていた。その写真はどれも見るに耐えないものばかりだった。元が人間とは思えないような変貌をしたものばかりだった。しかしサドナはそれを見て退屈そうな顔をしていた。何がおかしいのか、鼻で笑い、話を続けさせた。

「……そうか。残りの半分は?」

「ぶっちゃけ残しといても仕方ない奴ばっかだな。基本脳がぶっ壊れて知能は大幅に低下。暴れてる奴とか、逆に全く動かない奴もいる。体が獣人ビーストに近い奴もいれば、そうじゃ無いやつもいる。そうじゃ無いやつっていうのは、獣人ビーストになってはいるけど、体の一部が無くて、なんとか生きてるってやつのことだけど。」

「そいつらにはヒドラかプラナリアを投与しろ。壊れた部分は治る。生きて暴れるだけでも、兵器としては役に立つ。死んだヤツは地下に送れ。ウイルスで復活させる。そいつらも同様に兵器としてな。」

 サドナはそう言うとデスクに書類を投げ、椅子にもたれかかった。何も考えず、天井に目をやった。そして大きく溜息をついた。それを見たアモンはニヤリとした。

「いい報告をすると、息子さんは完全に適応した。彼はもう完全な合成人間キメラノイドだ。それも神獣フェンリルの。」

 それを聞いた瞬間、サドナの目つきは変わり、アモンの方を見た。アモンはスーツの内ポケットから、三つ折りの紙を渡した。サドナはそれをひったくるようにして中身を確認した。

「本当か?」

「あぁ。遂に完成したんだ。人間界の動物ではなく、獣国じゅうこくにしか存在しない生物の合成人間キメラノイドが! しかも神獣のフェンリルだ!」

 書かれている血液、身体検査の結果は完璧だった。完全に適応していた。サドナは喜びで震えていた。嬉しさのあまり、笑いが漏れていた。

「そうかリア、本当に、私の役に立ってくれたか。我々の半世紀に渡り追い求めた夢を、遂に叶えてくれたか!」

 そしてサドナは、モニターに映るリアを見て満足そうに笑った。アモンはそれを見て、にやけていた。。そんな事を考えながら。

「10年……10年だ……初の成功個体を失ってから10年……ようやくここまで持ち直したんだ……今度は逃がさないぞ……フェンリル!」

 サドナの目は赤く血走っていた。愉悦に浸った笑い声は、所長室の外まで響いていた。


 リアの本名は、リアネフ・Rレント・テクシス。それが彼の名前だ。鏡を見たリアは、自分の姿を確認した。4年前の自分とは比べ物にならない程、姿が変わっていた。元々黒だった髪は、白髪が混ざり灰色に見えた。また、3年前から生え始めた綺麗な毛並みをした灰色の尻尾と頭の方に生えた耳は、獣人ビーストの子供と変わらないくらいの大きさになっていた。リアは耳や尻尾をいじりながら不安になった。自分はこれからどうなってしまうのか、と。流石に3年も経ってるので、尻尾は自由に動かせるようになっていた。元の耳と動物の耳の2つがあるせいか、音はとてもよく聞こえるようになっていた。目の色は黒だったのが、水色に変わっていた。すると、ガラスケージの外から足音が聞こえた。鏡を見ると、後ろにはサドナがいた。

「リア。稽古の時間だよ。」

「……はい……わかりました。」

 俯きながら発したリアの言葉に、心は無かった。またいつも通りのデータ収集が始まるんだ。僕にやらないなんてことは出来ない。そう割り切って今日もテストルームに足を運んだ。


 テストルームは、人工芝の生えたスタジアム。リアが戦うには十分過ぎる広さと高さだ。部屋の四隅にカメラが付いており、それでデータ収集をするのだ。相変わらずリアはアモンにやられていた。立ち向かったとしても、アモンは手を抜いて勝てる程に弱かった。いや、正確にはリアが弱いと言うより、アモンの方が強すぎるのだ。

「立てよ弟。もう終わりか?」

 アモンは煽るも、リアの身体は満身創痍。擦り傷、切り傷、青いアザ。酷い痛みで戦うことはおろか、立つことすら身体が拒んでいた。できることといえば、アモンを睨み付けるくらいだ。だが、アモンの蹴りを喰らった時に鞭打ちをしてしまい、首すら動かせなかった。

「寝てんじゃねえよ! さっさと立てよ!!」

 怒号と共にリアの髪を引っ張り上げて、無理やり立たせた。リアはうめきながらも、アモンの腕を離そうと必死に抵抗する。

 だが、満身創痍で7歳のリアが出せる力は、たかが知れていた。アモンは必死なリアを見てつまらなくなったのか、リアを投げ飛ばした。ドカンと言う大きな音と共に、リアは壁に打ちつけられ、そのまま気絶した。白い合金の壁は赤く染まり、変形してくぼみができていた。

「チッ……面白くねえ。サドナ、テスト終了だ。」

 動かなくなったリアを見て大声でそう言うと、アモンはイライラしながら、部屋から出ていった。すぐ隣のモニタールームに足早に行き、思い切り扉を蹴飛ばした。

「あいつ本当に合成人間キメラノイドか!? 有り得ない位弱かったぞ!」

「いや、ヤツは確実に進化している。着実に近づいているんだよ、アモン。」

 サドナは振り向くことなく答えた。

「何か能力を持ったわけでもない、かといえ特別力が強くなった訳でも、速くなった訳でもない、見てくれが変わっただけだ! その程度で進化だと? 仮装して勝てれば苦労はないぞ?」

 彼の怒りは爆発していた。荒い口調でサドナに不満をぶちまけている最中、振り下ろした拳は机にめり込んでいた。とんでもなくできた弟を持ったと思ったはずが、蓋を開けてみれば出来損ないだった事に彼は無性に腹が立って仕方ないのだ。そんな彼の不満を聞き流し、サドナはリアが映るモニターに目が釘付けだった。

「いやいや。これは仮装ではないよ。ヤツを見てみろ。」

 アモンは言われるがまま、テストルームの映像に目を向けると、息を呑んだ。さっきまで傷だらけだったリアの体は、傷一つ無い綺麗な肌になっていた。

「これは……!」

「早いが、今日のテストは終了しよう。超再生リジェネート。分かっただけでも十分だ、むしろ素晴らしい収穫だ。ヤツをケージに戻しておけ。一応医療キットも入れておけ。中身を多めにな。傷の回復は、見た目だけかもしれないからな。」

 そして今日のデータ収集は終了した。


 その夜____事件は起きた。

 蛍光灯がついていない中、眠っているリアを起こしたのはケージの外で光る赤と黄色の警報ランプと、研究所内で鳴り響く警報だった。外を見ると、研究員たちが、武器を持って、何処かに向かって走っている。耳をガラスケージにピッタリ当てると、外の声が聞こえた。

「侵入者だ! 侵入者が出たぞ!」

「キメラを死守しろ! 一匹もやらせるな!」

獣人ビーストにここがバレたらおしまいだ! 絶対に守るんだ!」

 研究員たちは、口々に叫んでいるの応戦をしているらしい。すると、奥の方が一瞬明るく光った。気になっても出ることが出来ないため、何が起こっているのかわからない。しかし、その光はどんどん赤くなって近づいて来た。そしてその光は爆弾と炎の光だと、リアのケージの前に投げられてから分かった。爆弾は爆発し、凄まじい轟音と爆風でリアのガラスケージを破壊した。あまりの衝撃で、リアは吹き飛ばされた。

「ウワアアアアアーーーーーー!!!!!!」

 その時に飛び散ったガラスの破片が、運悪く両腕に刺さり、身体中を切った。とても痛かったが、切り傷はそこまで深く切れていなかった。なんとか起きあがろうとすると、燃え上がる炎の中からローブを着た人がゆっくりと、リアの前に歩いてきた。後ろで炎が燃え盛り、フードを被っているので顔は分からなかった。

「その体……君。元々人間?」

 そう聞いてきた。リアはゆっくりと頷いた。声の感じから女性だとすぐに分かった。そして女性は、リアを舐め回すように見た。その間、リアは睨み返していた。そして、リアの目を見て問いかけた。

「もしここを出れるなら、君は出たい?」

 突然の問いかけに、リアは驚いた。

「ここを出る気がある? あるなら……。」

 燃える研究所の中で、女性はかがんで、リアに手を差し伸べた。

「私の手を取って。でも、手を取った瞬間から、君は私と同じ、復讐者アヴェンジャーとして生きるの。その覚悟はある?」

 フードの中から覗く綺麗な赤色の目と、温かみのある声からは、何故か根拠は無いが、信頼できる何かを感じた。それに、4年間諦めながらも求め続けた希望だ、祈り続けた奇跡だ。これに対する答えは、もう既に決まっていた。破片が刺さりっぱなしの腕でも、痛みに耐えながらその手を動かした。

「……出たい。」

 リアは鋭い眼差しで力強く言い、手を取った。この時、2人の運命の歯車が回り始めた。

 

 ガラスの破片抜いて治療をしてもらっている間、どこか懐かしいものを感じた。包帯を巻いてもらい治療が終わった。さっき手に触れた時、安心するほどの温もりが体に流れ込むのを感じた。すると女性は明るい声で、よし。といい、リアをゆっくり立ち上がらせた。その時に何故か、怪我した部分の痛みを感じなかった。女性は爆弾を投げ、壁に穴を開けた。その時女性のフードが爆風で外れたが、後ろにいたので顔を見ることはできなかった。外は目の前以外は真っ暗で何も見えない。ただ、地面が白い雪に覆われていることと、目の前を降る雪は確認できた。コンテナの焼け焦げた匂いと共に、樹木の匂いもした。息を吸うと、外の冷たい空気が体に流れ込んできた。この冷たさはいつぶりだろうか。

「暗いし雪で危ないからしっかり手を掴んで離さないでね。さあ、走るよ!」

 そしてリアの腕を引っ張り、二人は走って研究所を後にした。リアは引っ張られながらも、小さい足で必死について行った。振り返るとコンテナの炎は外側まで広がり、周りの大木よりも遥かに大きく成長して夜の闇を煌々と照らしていた。その上では真っ黒い煙が激しく立ち上っていた。リアはそれを見て、心の中でどこか喜びを感じていた。それはさておき、不思議な事に雪の上を裸足で走っているのに全く冷たさを感じなかった。走っている最中にも女性の顔を見ようとしたが、夜の闇に溶け込んでいて姿を捉える事すらできなかった。しかし、走っているうちに、月明かりで夜空に無数に輝く星と、降っている雪が見えるようになった。そして、走っている方向からは、うっすらと、水の音が聞こえ始めた。すると、女性はリアに話しかけてきた。

「キミ。名前は?」

「リアネフ……リアネフ・R《レント》・テクシス!」

 息を切らしながら、大きな声で答えた。リアも名前を聞こうとしたが、息が続かず聞くことが出来なかった。遠かった水の音は、波の音だと分かった。女性はそのまま質問を続けた。

「自分がいくつか分かる?」

「7歳!」

走っているシロウの息は上がっているので、彼の回答は常に大声だ。

「そう……誕生日は?」

「12月25!」

「今日じゃない!!」

 表情は全く読み取れなかったが、声の感じで慌てているのはなんとなく分かった。少し黙って、女性はリアに尋ねた。

「……何か欲しいモノある?」

「……どうゆうこと?」

「誕生日プレゼント! あとクリスマスも! 特別に2つあげる!」

 そう言われて、リアは心の中で歓喜した。いつぶりだろう? プレゼントという言葉を誰かの口から聞いたのは。そして思い出した。この言葉の響きが、とても幸せに感じるものだと言うことを。リアは少し考えて、女性に答えた。

「名前! 新しい名前が欲しいです! 今の名前とは、全く違う名前! 新しい家族みたいな名前!」

 リアの答えに、女性は驚いた。プレゼントと言えば、普通にゲームやオモチャだと相場が決まっていると思っていたが、まさかが欲しいと言われるなんて、夢にも思っていなかった。

「……わかった! もう少しで着くから、それまでに考えとく。」

 子供の期待を裏切れなかったのか、女性は戸惑いながらも返答した。走っている最中、全力でリアの新しい名前を考えていたいた事は、言うまでもない。


 リアと女性が雪道を走っている頃、サドナもリアのケージに向かって全力疾走していた。コンテナの中は火の海で、実験体達は焼け焦げ異臭を放っている。死体は 時々ガス爆発をした。その臭いは吐き気を催すほどだった。その中で思う、どうか無事であってくれ。しかしこの思いは、父親としてではなく、研究者としての思いだった。息子に対する想いなど、もはや皆無だった。何せリアは、10年というとてつもなく長い年月をかけて、やっとの思いで完成させた神獣の合成人間キメラノイド。逃げたり死んでいたりしたら、10年のが水の泡になる。そんな事ばかり考えていた。しかし願いは虚しく、着いた時には、既にもぬけの殻だった。10年の苦労は全て水の泡となった。リアを入れていたケージのは木っ端微塵に吹き飛び、原型を失っていた。粉々になったガラスがそこら中に散らばり、隣の壁は破壊され、雪と冷たい空気が研究所内に入り込んでいた。サドナは辺りを見渡し現状を理解した。

「ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!!!!!!」

 溢れ出す怒りと悔しさが入り乱れ、声にもならない声が、叫びとなってサドナから出た。怒り任せて振り下ろした拳は、近くにあったケージの残骸を破壊した。その時のサドナの目は赤く血走り、声を荒げていた。

「フェンリルーーーーーー!!!!!!」

 燃え盛る研究所の中、サドナの声が響いた。直後、巨大な爆発が起こり、研究所は崩壊した。


「着いたよ!」

 女性がそう叫び足を止めた。森を抜けてたどり着いたのは崖の上。そして目の前には、リアにとって最高のが広がっていた。何者にも言い換えの出来ない程、美しいく、幻想的な夜空だった。リアはこれ以上に綺麗な景色はないと断言できる程、深く自分の中に刻み込んだ。瑠璃色の夜空からしきる雪は、星がゆっくりと地上に舞い降りて来ているようだ。そしてそれは、月の光に照らされて、白へ黄色へと色を変えながら降り落ちていた。青い海は月を写し揺らした。何とも幻想的で美しい景色だった。静かに響く波の音が、更に風情のあるものにしていた。2人で眺めいた。

「綺麗だね。」

 リアは黙って頷いた。女性はリアの隣に寄り添い、共感した。リアの目は、今にも涙が流れそうなくらいに涙ぐんでいた。そこに追い討ちをかけるように、女性はリアを後ろから静かに抱き締めた。少し焦ったのか、リアの背筋は思い切り伸びた。耳と尻尾も反射で同じように立った。でも振り払おうとはせず、前にかかった腕を、小さな手で抑えた。本当に久しぶりだった。そして女性は、耳元で囁くようにを渡した。

「ずっと一緒だよ。シロウくん。」

「……え?」

 そう言うと女性はリアを離した。リアは咄嗟とっさに振り返ると、ずっと気になっていた女性の顔を初めて目にした。大人の女性の雰囲気で、肩ぐらいの長さで透き通った金色の髪に、ルビーのように赤い綺麗きれいな目。白く透き通るような美しい肌と、温かく微笑むその表情は、一瞬にして、リアの心を奪った。その瞬間、息をすることを忘れていた。

「私からの誕生日プレゼント。気に入ってくれた?」

 全てが幸せに感じた。全てが久しぶりだった。未来に対する希望から始まり、外の空気も、樹木も、空も、星も、雪も、月も、海も、そして新しい名前プレゼントも、更には人の温もりまでも。一度に十分過ぎる程の幸福を、名前も知らないたった1人の女性が全部くれた。リアの中から、幸福と歓喜の思いが、涙となって溢れ出た。

「……うん! ありがとう!」

 涙を流しながらも、最高の笑顔で答えた。そしてリアは、その女性に全力で抱き付いた。

「大好き!」

 これがリアにとって、今できる最高で最大の感謝を伝える表現であり、今の溢れ出る幸福感を全力で伝える言葉でもあった。女性はリアに微笑み、気持ちに応えるようにして抱き締め返した。

 その後、近くに倒れていた丸太に座って、2人で夜空を眺めていた。ちょくちょく女性は楽しげにリアの体をペタペタ触っていた。尻尾を撫でたり、耳をいじったりもした。

「そういえば、プレゼントのもう一つは決まった?」

「もうもらってます。」

「え?」

 女性は静かに驚いてリアの方を見ると、リアは夜空を指さした。

「この景色が十分プレゼント。ありがとうございます。」

「……どういたしまして。」

 呆気に取られっていた女性は、照れくさそうにそう言った。ふとリアはあることを突然思い出し、女性に尋ねた。

「あの、お姉さん。名前は? ずっと聞こうと思ってたんですけど、聞けなくて……。」

「え? アッ! そうだった~。しまった忘れてた……。」

 女性は声を漏らし、静かに言うと頭を抱えて顔を隠した。名乗る気はあったのだが、リアのプレゼントである新しい名前を考えていたのもあり、タイミングがなかったのだ。

「そうだったね。ごめんね、言うのが遅くなって。」

 手を合わせてに謝る姿からは、申し訳なさが十二分に伝わってきた。女性のその姿を見た時、リアは何故か照れた。

「い、いえ、全然大丈夫です。」

 何故だろう。今は雪の降る冬だと言うのに、夏のように体は熱く感じた。顔を向けようとするも、恥ずかしさで上手くできなかった。

「ねぇ、こっち向いて。」

 優しい声がして、横を向くと手が差し出されていた。意味がわからず、リアは彼女の顔を見た。微笑んだ顔は、とても安心するものだった。

「では改めて、私はウィリア。ウィリオーレリア・ルーポ。これからよろしくね、シロウくん。」

 その笑顔は美しく、まるで天使のようだった。シロウの頬は少し熱くなった。

「……はい! よろしくお願いします!ウィリオーレリアさん!」

「ウィリアでいいよ。むしろウィリアって呼んで。」

 そう言われると、リアは笑顔で返事をして彼女の名前を呼び、ウィリアと固い握手をした。すると、崖下から、紫の光りが見え始めた。ウィリアはそれを見て

「もうすぐだ。行こう。」

 そう言うと、ウィリアは握手した手を離さずに立ち上がり、リアを引っ張り崖端がけばたまで連れて行った。リアはされるがままに、ウィリアについて行った。

 恐る恐る覗いてみると、紫の光の正体は、なんと空中に浮かぶ魔法陣だった。驚いてウィリアの方に目をやると、彼女は自慢げな顔をしていた。

「すごいでしょ? これ魔法なんだよ。」

 信じられなかった。魔法なんてものは、お母さんに絵本を読んでもらった時にしか聞いたことがなかった。子供ながらも実際にはあるわけないと思っていた。しかし、目の前で起きているのは魔法だ。それ以外何も説明できない。それでも信じられず、リアは言葉を失っていた。その時、後ろから何かにヒビが入る音がした。振り返ると、魔法陣の中心にヒビが入っていた。それは徐々に広くなり、その度に音も大きくなった。割れ目からは内側の光が漏れ出していた。そしてついに、巨大なガラスが割れるように、魔法陣は割れた。その刹那せつな、光の中から、巨大な「黒い何か」が目にも止まらぬ速さで空高く飛び上がった。目の前を通った時の迫力に圧倒され、反射でリアの体はのけぞった。下から噴き上げた風は凄まじく、リアを浮かせる程だった。風に突き飛ばされたリアは腰を抜かし、そのまま尻餅をついた。

「大丈夫?」

「平気です。」

 ウィリアが手を差し出してくれた。リアはその手を掴み、立ち上がった。見上げると空を飛んでいたのは巨大なカラスだった。その巨体は夜空を大きく旋回すると、リア達の所に着地した。周りの大木よりもその体は大きく、降りる時の風圧は周りの木々が今にも倒れそうなくらいに揺れるほどだった。リアは自分の目の前にいる巨大なカラスに恐怖し、ウィリアの後ろに隠れた。

「ありがとう。ヤタさん。時間通りですね。」

「見る限り少し遅かったように見える。もう少し早めに来ておけばよかったかな? おや?」

 年老いた男のような声をするそのカラスは、ウィリアと話をしていた。その時、後ろから覗くリアに気付いて首を少し傾けた。目が合った瞬間、リアは怖くなって必死にウィリアの後ろに隠れた。

「この子が?」

「シロウくん。私と同じ子で……。」

 後ろに隠れるリアの隣にズレてしゃがみ、笑顔で肩を抱き寄せ、頭をつけた。

「私の新しい家族!」

 その時にリアの頬は赤く染まった。彼女のスキンシップはとても恥ずかしい。4年もの間、他人と「楽しく」触れ合うことは当然、会話した事も無かった。女の人に関しては、まる4年女性の研究員に見られる以外、関わりなんてものはなかった。それに対してウィリアは、子供だからと言って僕の体をベタベタ触ってきた。正直それ自体嫌ではなかったが、頻度の多さが苦手だった。僕だって子供でも男なんだぞ。そう思いながらも、内心は喜んでいた。揺れた髪からほんのりと香るウィリアの匂いは、不思議と落ち着く優しいもので癖になりそうだった。そして切り替えて、リアはヤタに挨拶をした。

「初めまして。シ……シロウです。」

「ヤタだ。よろしく頼む。」

 自分の体より大きな翼が、リアの方に近づいてきた。リアはびっくりして後ろに下がった。ヤタはそれを見てキョトンとした。リアの気持ちを察したのか、ヤタは顔を横にしてクチバシに翼を当てて隠し、口を閉じてできるだけ小さな声で笑った。

「いや、すまない。少しびっくりさせてしまったかな? 握手のつもりで出したはずったんだが、いやどうも、勘違いをさせたね。では、改めて。」

 そう言って再び羽をリアの前に出した。見覚えのある景色とセリフを感じ、リアはウィリアの方を向いた。彼女は微笑み無言で頷いた。リアは羽の一枚を両手でつかみ、握手をした。しかし、両手でつかんでも握れない程に羽は大きく、もはや握手とは呼べない光景だった。

「では、そろそろ行くとしようか。」

 ヤタはそう言うと、後ろ向きになり足を畳んだ。腹が地面についた時は、公園にある大きな遊具のように見えた。ウィリアは助走をつけ高く飛び上がり、ヤタの背中に乗った。

「さあ、おいで! 手を伸ばして!」

 ウィリアは元気な声で誘い、手を下に伸ばした。その姿を見てリアは驚いた。

「どうやったんですか!? 行くってどこに行くんですか?」

「これから君が住む新しい世界さ。」

 ヤタはリアの方を向きそう言った。リアはヤタの所に行き、ウィリアに手を伸ばそうとした。だがその瞬間、リアの中に躊躇ためらいがあった。不安を感じて俯き、伸ばしかけた手を下に落とした。それを見たウィリアは、尋ねた。

「どうしたの?」

「……怖いんです。」

「高い所苦手?」

「違います。怖いんです……また急に……生活が変わるのが。また四年前みたいに……なってしまうんじゃないかって。」

 リアの目からは涙が流れていた。彼を躊躇ちゅうちょさせたのはトラウマだった。4歳の時、突然日常が消えた。何もかも違う所での生活を4年間過ごした。しかもその生活は孤独で、すぐにでも逃げ出したくなるような悲惨なものだった。そして今、また何もかもが変わろうとしているこの瞬間が、彼の中にある呪縛を再び呼び起こしたのだ。しかしこの呪縛は、1人の女性と一羽のカラスによって解かれた。

「大丈夫。元いた場所とは違い、きっと気に入るさ。が保証する。」

「それに、もう1人じゃない。私が……がいるじゃない!」

 このウィリアとヤタの言葉が、リアの心にある呪縛を解いた。リアが心の底から求めていたもの、それは家族や仲間、大切な人という、だった。心の枷が外れたリアは、涙を拭って決意した。

「ヤタさん。ウィリアさん。ありがとうございます!」

 全力でジャンプしてウィリアの手を掴んだ。ウィリアは引っ張り上げて、ヤタの背中に乗せた。ウィリアはリアを自分の前に座せた。2人はまるで姉弟していのようだった。

「準備はいいな? では行くぞ!」

 そうしてヤタは翼を広げ、夜空に羽ばたいた。空を飛ぶのはリアにとって初めての経験だった。それも巨大な鳥に乗ってというのは、世界中探してもリア1人であろう。海も夜空も青いので、リアは海の中を泳いでるようにも感じた。

「気持ちいでしょ?」

「はい! とっても!」

「2人とも、もうすぐゲートの中に入る。飛ばされないようしっかり捕まっていてくれよ!」

 ヤタはそう言うと、大きく旋回をして、さっき出てきた魔法陣のところに向かった。よく見ると、割れていた部分が直っていた。そして近くで急上昇して、真上に到達した瞬間に急降下した。ウィリアは楽しそうに叫んでいたが、リアはあまりの速さで怖くなり声が出なかった。その時の風は凄まじく、目を開けるのもやっとな位だった。そして、魔法陣を突き破り中に入って消えた。その直後、割れた魔法陣も円が小さくなっていき消滅した。

 こうして、リアネフ・R《レント》・テクシスは死んだ。ウィリオーレリア・ルーポによって、新しく「シロウ」という名前をもらい、彼の第二の人生が幕を開けた。



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