02.わたし勧誘される
結局イレーネはウルリヒの申し出を断った。
そもそも申し出と呼べるほど穏やかな交渉ではなかった。脅迫といっていいものであったのだ。
現状窮状にあるとはいえあんな野蛮人に身も心も捧げるのはどうしても無理だったのだ。それならば日々の生活に困る暮らしの方が何百倍もマシであると思ったのだ。
イレーネに断られることを予想していたのかウルリヒは思ったより冷静だった。しかし冷たく言い放った。
「この街じゃ碌に稼げないな。諦めて別の土地に行きな。これは予想なんだが、今後は国にも目を付けられるだろうな。冒険者ギルドでも依頼を受けにくくなると思うぞ。今ならまだ許してやる。俺の元に来ないか?」
「お断り!どんなに困ってもあんたの手は借りない!国を使って嫌がらせをしたければ好きにすればいいわ。他国で仕事するから」
「へぇ・・・。折角ウルリヒが助けてあげようとしていたのに。その態度は酷いんじゃない?その態度は許せないわね。私は冒険者ギルドのギルマスにも顔が効くのよ。他国でも仕事に支障が出ないと思わない方がいいわよ」
ウルリヒとレリアは嫌らしい笑みを浮かべてイレーネに最後通知を言う。
どこまでできるのかはイレーネには分からない。この二人はイレーネが活動できないようにする圧力を掛けると脅迫しているのだった。
(なぜ私がここまで虐められないといけないの。そこまで恨まれる行動はしなかった筈なのに。私は結局こうなっちゃうのかな)
「やれるものならやっても構わないわ。ともかくあんた達とは金輪際関わらないから、そっちからも関わらないで」
表向きは虚勢を張っているが心の内は荒れまくっている。どんなに努力しても落ちるしかないのかと運命を恨んでいたのだ。そんな弱気な心を見せるわけにはいかない。
精一杯強気で答える。言い捨てたまま冒険者ギルドを出て行ったのだ。
ウルリヒ達と別れてからイレーネは安い値段で飲み食いができる酒場で一人食事をしていた。
周囲で騒いでいるテーブルでは今回の成果を使って派手に盛り上がっているテーブルもある。親しく酒を酌み交わしながら談笑している席もある。しんみりと食事をしているのはイレーネだけだった。
手持ち金が少ないイレーネには安酒場しか利用できない。そこで今後の身の振り方を考えていたのであった。
ウルリヒに言われるまでもなくこの街では活動する事は最早できないと思っている。
迷宮攻略組にもイレーネの悪い噂は既に広まっているだろう。ましてや勇者ウルリヒに悪い意味で目をつけられたのだ。パーティに誘ったら自分達まで悪い意味で目をつけられてしまう。イレーネを誘う者はいない。
冒険者ギルドのソロで受けられる依頼では少額の収入しか得られない。
今日ですら僅かの金額で小皿料理をつまんでいるのだ。これが本日の夕食だ。ウルリヒのパーティに所属していた頃とは雲泥の差である。それでもイレーネには後悔は無い。
自分の魂を売ってまでウルリヒの奴隷にはなりたくないのだ。
(とりあえず明日早く街を出よう。悪い噂が広まる前に他国に渡るしかない。幼い頃もソロで活動していたんだ。多分なんとかなるよ)
小皿に殆ど残っていない肉をつまみながら考える。
(一人で食べるのも慣れたものね。ウルリヒ達とも親しいわけじゃなかったし。最初から一人で食べていたようなものよね)
見た目も内面も一人飯のイレーネ。その背後に誰かが近づいてくる。
「相席いいですか?」
普段のイレーネであれば気づく距離だ。だが彼女は気づかなかった。従って不意打ちのように声を掛けられ驚いてしまう。
声を掛けられた事もそうだが、そんな距離になるまで気づかなかった自分に驚いていたのだ。
街中という油断があったのかもしれない。イレーネの中では恥をかかされたという思いがあり思わず赤面してしまった。それを隠すようにフードを目深に被って声の方向に振り返る。
声の主を見たイレーネは固まってしまった。
想像とは違う人数がいたからだ。
目の前に居たのは全身黒装束の人物だった。声のトーンから男性だとは思われる。素肌すら見えないため性別すら分からない。
何より異様なのは顔が全く分からない事だ。皮が素材のような黒い艶消しのヘルメットに青いガラスを埋め込んだアイマスクをしている。口元にもヘルメットと同じような材質のマスクをしているようだ。
これで人物を推測する事は無理だろう。明らかに異様な人物だ。
また、黒装束の人物の両隣にいる人物がイレーネの警戒を膨らませてくる。
右隣にいるのは身長が小さい女性だ。小さいが体の厚みがある。編み込んだ茶髪に緑色の小さな丸い瞳。ドワーフの女性である。
左隣にいるのは黒装束の人物と同じ身長だ。夜なのに光が射しているかのように輝く長い金髪。理知的でありながら色香を振りまく輝く碧眼。顔の輪郭はほっそりとしており耳が長くとがっている。
エルフの女性である。エルフは病的な体は位細い。しかし目の前のエルフの女性は人族の女性より豊満な体つきをしている。そもそも人族の街にエルフがいる事自体珍しい事なのだ。
ドワーフとエルフがいるという時点でイレーネはあるパーティの情報を記憶から引っ張り出す。
確か”輝く黒”と呼ばれるパーティである。迷宮攻略組ではあるが目立った成果をあげていない中堅以下のランクのパーティという認識であった。
ドワーフとエルフが所属している時点で相当珍しいのだが別の理由でイレーネはこのパーティを記憶していたのだ。
しかしそのメンバーに黒装束の人物がいるとまでは知らなかった。はっきり言って不審な人物である。隣にいるドワーフとエルフの女性がいなかったら危険人物と認定する相手であった。
ドワーフとエルフの女性は穏やかな表情で黒装束の人物の隣にいる。意図的に変な装束をしているわけではなさそうだ。
悪意の有無はともかく返事だけはしておかないといけないとイレーネは考える。
「他に開いている席が無ければどうぞ。食事は終わったのでもう店を出ますので」
イレーネは腰を上げ立ち去ろうとする。テーブル席が埋まっているのはなんとなく理解できる。話すことも無いので自分が出ていけばいいのだ。
しかし黒装束の人物はそれを許してくれなかった。
「折角ですのでご一緒に食事しませんか?少しお話をしたいです」
イレーネは予想もしない返事が返ってきた。形の整った眉をひそめなるイレーネ。この人達は自分の立場を知らないのだろうかという表情をしていたようだ。
「立ち話もなんですから座っても宜しいですか?」
「・・・ええ。構わないけど。あなた達私の現状を知って近づいているの?」
「はい、イレーネさんの現状はそれなりに把握しています。それじゃ皆座ろうか」
イレーネと知って近づいてきたようだ。
益々持って理由がわからず困惑するイレーネ。その無言を了解と理解したのか三人は静かに座る。
座っている席は六人掛けの丸テーブルだ。黒装束の人物はイレーネの向かいに。ドワーフの女性はその右隣の椅子に。エルフの女性は椅子を黒装束の人物に寄せて座った。体をぴったりとくっつけて嬉しそうにしている。
ドワーフの女性は少しだけ呆れた表情をしている。黒装束の人物の表情は分からない。どうやらマスクを外すつもりはなさそうだ。
この街での最後の食事のつもりだったイレーネは興味半分で話を聞くことにしたようだ。
「本当に知っているの?私は少し前まではあの勇者パーティにいたのよ。そこから追い出され、どのパーティにも長居できなかったのよ」
「ええ、完全に全てを把握しているわけではないですけど分かってます。数時間前に身も心も捧げろと脅かされた事までは把握してます」
イレーネはドキリとした。何気ない話し方だったがイレーネの行動が監視されているかのように把握されているのだ。
そんな情報を抑揚もない音声で淡々と言う黒装束の人物。確かに黒装束の人物が指摘している通り数時間前までの事実である。この事にかなりの恐怖を感じるイレーネ。自分は危ないパーティに目をつけられてしまったのかと身構えてしまった。
そもそもイレーネはこのパーティについて知っている情報は殆ど無い。イレーネ自身の興味が向かないパーティだったからだ。知る事になった切っ掛けはウルリヒ絡みの件だったから覚えていた程度だったのだ。それ以外は中堅以下の攻略組とも呼べないパーティだと記憶していた。
「・・・驚いたわね。そこまで把握しているなんて。それを知っていて何故私に近づくの?噂は聞いてるわよね?」
「勿論知ってますよ。噂はあくまでも噂です。必ずしも真実とは限りません。僕達は自分達で得た真実のみ信じます」
「はぁ、そうなの。そういう人もいるのね。でも、きっとあいつらの標的にされるわよ」
「標的ですか?穏やかじゃない表現ですね。イレーネさんと話すと勇者達に何かされるんですか?」
「それは・・・分からない。でも裏で圧力を掛けていると思うわ。あいつは諦めが悪いから」
「圧力ですか。それは誰からの情報ですか?」
「誰って・・・冒険者ギルドの職員や他のパーティーの人達からよ」
「その人の言葉は信用できるのですか?」
「信用って・・・実際の噂を全て聞いたわけではないけど。ウルリヒがやりそうな事だとは思ったから事実だと思ったわ」
「成る程。信用できない人の言葉を信じるのですね?」
「さっきから何が言いたいの?私はあなた達に迷惑がかかるかもしれないと言ってるのよ。それなのに噂を信じるのかとか分からない事を言うの?」
イレーネは苛立ちを隠せなくなった。
話し掛けてきた目的が全く分からないのである。既に警戒はしているが何らかの悪巧みがあって近づいてきたと今は思っているのだ。
周囲に人がいるから流石に殺傷沙汰にはならないとは思いたい。
いざとなったら身を守らないといけないが今は無手だ。安値で買い叩いた長剣を恥ずかしいという理由で安宿に置いて来てしまったのを後悔していた。
その警戒を察知したのか黒装束の人物にぴったりと寄り添っていたエルフの女性が会話に入ってくる。
「ごめんなさいね。貴女を怒らせる為に話し掛けてきたのではないのよ。ダーリンは貴女をパーティーメンバーにならないかと誘いにきたのよ」
心なしか黒装束の人物はがっくりとうなだれている。それを見てエルフの女性は肘で黒装束の人物の脇を小突いているようである。黒装束の人物からわずかに呻き声が聞こえる。二人は小声でひそひそやりとりをしているがイレーネには聞こえない。
突然の勧誘発言と目の前のいちゃつきぶりに呆然としているイレーネ。今度は反対側に座っているドワーフの女性から声が掛かる。
「すまない。こやつはこんなナリをしてるが存外口下手でな。悪い子ではないのだ。勧誘の件は本当だ。ホラ、ユ・・・お前も、はっきり言いな」
ドワーフの女性は身を乗り出して黒装束の人物の頭をゴリゴリ小突いている。黒装束の人物はされるがままになっている。そして意外な返事をする。
「もう・・・やめてよ。分かったよ、頑張って普通に話すよ」
それは今までの感情のない声ではなかった。口調もかなりくだけている。おそらくイレーネと同じ位の青年の声だ。想像するに緊張していたという事なのだろう。
二人の女性からのスキンシップを見るにこの三人は親しい関係であるのは間違いない。どちらかというと姉が弟を弄っているような雰囲気である。イレーネは思わずクスリと微笑んでいた。
「あ・・笑ってくれた。・・・・あ・・ごめんなさい。えっと・・・二人が言うように僕達のパーティーに参加してもらえませんか?」
「え、いきなりね。でも・・・少し考えさせて欲しいのだけど」
「それはダメよ。あなた、明日の早朝にはこの街を出るつもりでしょ?答えをはぐらかして逃げるつもりよね?」
突然鋭い視線と共にエルフの女性が言ってくる。心の内を読んだような指摘にイレーネは思わず硬直してしまう。警戒どころの話ではない。単純に怖くなったのだ。
(なんなの?この人達は。どこまで私の事を調べているのかしら。そもそもどうやって知る事ができるの?)
背中に流れ落ちる冷や汗は勘違いでないくらい冷たかった。ウルリヒとは別の怖さを感じたのである。
「ごめんなさい。自己紹介がまだでした。知らないヤツのパーティが勧誘しているのに名乗ってもいませんでしたね。僕はレオンハルトと言います。訳あってマスクは外せなくごめんなさい。こっちのエルフがアリシア。こっちのドワーフがアネタ。他に三人います。”輝く黒”というパーティとして迷宮攻略しています」
エルフの女性アリシアは微笑みながら手を振って挨拶をする。ドワーフの女性アネタは目礼で挨拶をする。黒装束の人物レオンハルトは深々とお辞儀をする。そして奇妙なマスクは外せないとも断りを入れてきた。
最低限の礼儀はある人達であることは分かった。思いのほか悪い人物ではなさそうな事が分かったイレーネであった。
「”輝く黒”というパーティは知っているわ。それもあなた達は知っている事だと思うけどね」
「ああ、カリーナの事ですね?確かにウルリヒはしつこいですね。その件についてはきちんと解決していますのでご心配なく」
その回答にイレーネは目を瞠る。優秀な人物や見目麗しい女性を側に置く事には病的に等しいほどしつこいウルリヒが諦めている事に驚いたのだ。
現在イレーネに脅迫まがい圧力をかけているウルリヒがだ。何らかの方法があるのかもしれない。これはイレーネにとっていい方向に変わる可能性があるのだ。
「今、気にされている事は分かります。理由は話せませんがそれもパーティに加入してくれたら解消すると思います。唐突な話ではありますけど僕達を信じてパーティに加入してもらえませんか?」
レオンハルトの口調は抑揚もない音声に変わっていた。あの口調になるのはパーティメンバー限定なのかもしれない。なんとなく寂しい気持ちになりながらイレーネは考える。
(ウルリヒの追及を躱す方法がある可能性はあるかも。私もその方法を教えてもらえたら今の状況を少しでも解消できるかもしれない。でも、もうこの街での活動は無理だろうな。どうしよう・・・)
目の前の三人はそれ以上は何も言わずイレーネの返事を待っているようだ。イレーネは内心この人物達を見直していた。とはいっても全面的に信頼できるわけではなかった。
このまま街を立ち去るか。
素性の良く分からないパーティに参加して行動するのか。
決断をする必要があると考えているイレーネであった。
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