ピア=アーレントの回想
桁くとん
ピア=アーレントの回想 前編
※この短編は、「王子に転生してこりゃあいいやと思っていたら、これはこれで苦労があるようです。」という長編の、カクヨム版第59話「懺悔ってそうゆうもんじゃない」を、登場人物のもう一人、ピア視点で見たものになります。
前編は第54話~58話のダイジェスト、後編が第59話ピア視点です。
「どうもありがとう。あなた、お茶をお出しする時の運び方、随分と丁寧になったわね。良い努力をしているわ。これからもその調子でね」
私はメイドのマリーが私と客人にお茶のお替りを注ぐ動作を褒めた。
私自身が元は孤児のメイド上がり。
自分でやってしまった方が本当は早いのだが、彼女は彼女なりにこの仕事に誇りを持って、日々研鑽に取り組んでいるのがわかる。
そうした努力が形になっているのを見つけたら、やはり褒めないといけない。
自分の努力が認められるのは嬉しいものだ。
かつての私も主人やその仲間に褒められるのが嬉しく、努力を重ねられたのだから。
今の私は男爵夫人になっているけれど、正直いまだに人を使うのは慣れない。
でも、夫が言うのだ。
「自分でやった方が早い事でも、他人に任せるのは大事だよ。私たちもそうせざるを得ない立場になってしまったんだしね。
ピアさんにとっては不本意だったかも知れないけれど、どうしても殿下と陛下の頼みを断れなかったんだ」
その辺りの事情は私も良く判っているから、否やはない。
私の夫は有能で、人当たりも良いから望まぬ出世も仕方がないと割り切っている。
メイドだった頃はぶっきらぼうな口調になりがちだった私も、一応貴族家夫人としての言葉遣いをしなければならないというのが、まだ全然慣れないけれど。
「お替りをどうぞ、Missクスター」
私は目の前に座る客人に、そう言ってお茶を勧めた。
「ありがとうございます、アーレント夫人。
先程までのお話をまとめると、アーレント夫人がジョアン殿下のメイドとしてフライス村に付いていった際に、殿下の家庭教師として以前から知っていた夫のドノバン=アーレント男爵と互いに惹かれ合った、ということでよろしかったですね」
「ええ、その通りですMissクスター。
先程もお話したように私は孤児院出身で、その後王宮のメイドに召し上げられたので、男性と交流したことなど殆どない無知な小娘でした」
今、私の前に座り、ペンで熱心にメモを取っているのはベティーナ=クスター女史。
娯楽小説の出版などを手掛けるホーン・リバー社の編集者だ。
ホーン・リバー社はそれまで学術書や宗教書しか出版されていなかった出版業界に、娯楽小説の出版で殴り込みをかけた新進の出版社。
庶民の生活レベルと識字率の上昇に伴い、新しい娯楽を求めていたアレイエム王国にあって、楽しむために読む書籍に目をつけたホーン・リバー社2代目スプリング=ホーンリバーは慧眼と言えるだろう。ただ、強引なワンマン経営が売り上げ以上の浪費を伴ったのと、とある違法行為に手を出してしまったため失脚し、今では弟のヒストリカル=ホーンリバーが堅実路線に戻しつつ、今まで生み出した作品や戦略は引き継いで経営している。
そんなホーン・リバー社の編集者ベティーナ=クスター女史が何故今こうして私と会話しているのかというと、私に対しての取材なのだ。
ホーン・リバー社の発掘したジャンルで、貴族家の女性向けの恋愛小説というものがある。
彼女、ベティーナ=クスターは恋愛小説を書く作家の担当で、大御所作家の求めに応じて様々な情報をまとめた資料を作って渡さないといけないらしい。
元孤児院出身の王宮で働くメイドが、曲がりなりにも男爵家夫人へと成り上がった私の話は、恋愛小説を書く上で参考になるということなのだ。
自分の話をモデルに小説を書かれるなど、私にとっては気恥ずかしいなんてものではない。何度も断っていたのだが、夫の知人を経由し、夫に直接頼まれたものだから断り切れずに受けてしまったのだ。
まあ、私たちの馴れ初めを話されて、気恥ずかしいのは私以上に夫の方だろう。
だからもう私は開き直って話すことにしたのだ。
当然関係者の実名や、起こった出来事そのものを書くのは禁止、という条件付きでだが。
「アーレント夫人も殆ど男性と交流したことが無く、男性に惹かれるということがその頃までは解っていなかったということでしたが、旦那様のアーレント男爵に惹かれているのを自覚するきっかけ、というのは何だったのでしょうか」
「私のことはピア、で結構ですわMissクスター。その当時の私は単なる一庶民で、名乗る苗字も持っておりませんでしたから。
それに夫もその頃はまだ爵位も頂いておりませんでしたから、単なるドノバン=アーレント牧師。殿下の家庭教師でしたから私たちは名前でドノバン先生、と呼んでおりました。
私が夫に惹かれる切っ掛け……
私は先程お話したとおり、まったく男性と身近で触れ合った経験が無かったので、3歳だったジョアン殿下とその家庭教師だった夫が、私の最初に親しく会話を交わした男性、ということになります。
今思えば最初から成人男性として惹かれていたのかも知れません。
それを自覚したきっかけは、フライス村である日夕食の用意の話をしている時に夫が口を滑らせて私に求婚したこと、になると思います」
「ここまで聞いてきた中で、アーレント男爵、いえ、当時の呼び方で言えばドノバン先生ですね。ドノバン先生も伯爵家の3男に生まれ、15歳になってすぐ学問のために修道院に入ったという経歴で女性との交流機会はあまりなかったとのことですが。そんな突発的に求婚を口にされたのでしょうか?」
「ええ、それはもう突然でした。
確か、私が食べたことのない料理をジョアン殿下と夫たちが森の中で食べたと言いう話題になって、私も食べたかったので拗ねたんです。
思えば意地汚い小娘でした。
そんな私の機嫌をとろうとしてだったか、そんな文脈で突然に、です。
私も、一緒に聞いていた殿下も突然すぎて固まってしまいました」
「それで求婚をお受けした、と」
「いえ、そんな受ける、受けない以前の問題でした。
私はその当時、本当に男性を愛するということがわかっていなかったのです。
フライス村で暮らしていた殿下、ハンスさん、ダイクさん、夫、少し遅れて一緒に暮らしたリューズさん、皆等しく好きでした。
その当時の私の感情は、人として好き、ということまでしかわかっていなかったのです。
そんな人として好きな人物の一人、ドノバン先生に突然求婚された訳ですから、私はひどく混乱してしまいました」
「そんな混乱の中で、男性としてドノバン先生を見るようになった、と」
「そうですね、求婚された夜、殿下が自然酵母を使ったパンを作ろうと言われ、夜の9時に私と夫がそのお手伝いに厨房に行ったのですが、殿下は疲れて眠っておられ、私と夫の2人で作ることになったのです。
その時私の不注意で、椅子から転落しそうになった私を夫が助けてくれたのです」
「それは、ロマンティックですねえ」
ベティーナ=クスター女史はうっとりした表情になる。
こういう部分を聞きたいということなんだろう。
「私は当事者ですから、ロマンティックかどうかは判りませんが、その時は確か夫にパン種を捏ねるのを替わってもらった私が手持無沙汰になってしまい、明日の朝使うものを用意しよう、と思って戸棚から大きなボウルを出そうとして椅子に昇ったんですね。
夫には危ないから明日の朝にするように注意されたんですけど、その当時の私は自分は仕事をきっちりこなさないと居場所がない、と思い込んでいたのでしょうね。
注意に耳を貸さず、戸棚の高いところのボウルを取ろうとしてバランスを崩して椅子から転落したのです」
「ドノバン先生は良く間に合いましたね。ピアさんもお怪我はされなかったのですか」
「夫は剣の心得もあって、『瞬足』が使えました。
転落する私を『瞬足』で受け止めてくれたので、私には怪我もありませんでした。
その時、私は夫に抱きしめられる形になり、彼の温かさや心臓の鼓動を身近に感じて、生まれて初めて男性に抱きしめられ、とても体全体が熱くなって、恥ずかしさのあまりまともに夫の顔を見れなくなりました」
「キャーッ! ピアさん、ドノバン先生、ステキですステキ過ぎます!
それでそれで、その後はどうなったんですか? ま、ま、まさかそのまま熱い口づけを交わしたりだとか……?」
ベティーナ=クスター女史、少し興奮しすぎではありませんか?
私はフッと笑う。
「ベティーナ=クスター女史、夫は本当に本当に朴念仁なんですよ。
助けられた私の気持ちなど気にせずに、私を床に下ろすとそのまま片付けをして部屋に戻りましたよ」
「何てこと! 助けたことでやたら恩を売りたがる変な勘違い野郎でも困りますけど、女心に気づかない、そんな石木のような男性も困りますわ!」
「ええ、全くその通りです。
私は先程言ったように以前から夫に対して人としての好意は抱いていたのです。
それが、自分が危ないところを助けて頂いて、更に抱きしめられたのですから、男性として惹かれるのは自然な流れだとは思いませんか?」
「ええ、それは止めようがない自然な流れです。せめて何か一言あっても当然だと思います」
「落としたボウルの音で殿下の護衛騎士のハンスさんやダイクさんが様子を見に来られたので、そちらへの対応があったとはいえ、片付けが終わって部屋に戻る時に何か言ってくれるのではないかと少し期待したのですが、特に何もなく。
ただ、私自身も私が初めて感じたこの感情と感覚に戸惑っていたことも事実です。
それで私は次の日の朝、他の男性とも同じ感覚になるのかと思い、殿下の着替えの手伝いの際に殿下を抱きしめてみたのです」
「ピアさん、それは大胆というか不敬に当たるのではありませんか?」
「普通に考えれば不敬もいいところです。
実は私は殿下付のメイドに抜擢された時に、殿下が性に目覚められた際のあてがいの役割もメイド長に申し付かっていたのです。
そのことを殿下が4歳の時に、つい口を滑らせてしまったのですが、殿下は母君らに掛け合って下さり、私のあてがいとしての任はなかったこととされました。
普通に考えれば一メイドのためにそこまでして下さる主人はそうおられません。
ですから、6歳当時の殿下に抱き着いた私は、殿下の好意に甘えたと言っていいでしょう。
それを許して下さる主人だったからこそ、今の私があるとも言えます」
「なるほど。ジョアン殿下とピアさんとの間にも絆があったと。それはそれで一つの愛のカタチかも知れませんね」
「ジョアン殿下のお心内は、私には計りかねます。
あてがいの件が取り消しになった後も殿下は度々私に、好きになった男性と結婚して子供を見せに来てくれると嬉しい、と言われていましたので、夫との結婚は殿下にも喜んでいただけました。
ただ、まさかドノバン先生とピアが、と最後まで意外そうではありましたね。殿下も男女の仲は全ては解りかねるのではないでしょうか」
「まあ、そんな簡単にわかるものではないからこそ、皆さまこうして恋愛小説を読んで下さるのでしょうから、私たちにとっては有難いことではあります」
「そうなんでしょうか。当事者の私が今振り返ってみても、恋愛を知らなかった女と恋愛にきわめて奥手な男の話で、それほど面白いとは思えないのですけれど」
「人は、自分が出来ない体験を本を読むことで楽しむのですよ。
ですから、ピアさんのお話も、ピアさん以外の人からすると貴重な体験です。
それで、ジョアン殿下を抱きしめられて、ピアさんはどうだったのですか」
「元々私はあてがいを解かれたあと、殿下に対しては6歳の主人として見ていましたので、抱きしめても親愛の情は感じましたけど、その前夜夫に助けられて抱きしめられた時に感じた胸の高鳴りなどは当然なく。
それで、はっきり私もこれが夫に対する特別な感情なのだと自覚することができました。
ただ、私は思いました。ただでさえ女性の心に疎い夫です。このまま何事もなく日々を過ごしていれば、私に対する気持ちが本当だったとしても、自分を律しすぎてその気持ちを飲み込んでしまうのではないかと。
そこで私は一計を案じました。
教会に懺悔に行くため、道案内を夫にお願いして2人きりになろうと。
2人きりになれば、夫も私にもう一度求婚の話をしやすいのではないかと。
そう思った私は殿下にお願いし、その日の午前中、休暇を貰い、夫にも道案内してもらうよう許可をいただいたのです」
そう、それがようやく夫に私の気持ちを伝え、夫も私に気持ちを伝えることが出来た、記念すべき日だ。
後篇に続く
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