第9話「些細な変化」

 渚ちゃんがスマホを手に入れたことで、俺たちのやり取りは以前より格段に増えた。

 電話をすると俺のテンションが上がりすぎてうるさい(ひどい……)とのことでライン限定だが、一日に何度もやり取りが出来るようになった。


 だが、だからといって恋人らしいラブラブな感じは一切ない。

 ラインの内容にしても……。

 

(先輩、おはようございます。ちゃんと起きましたか? 朝食をきちんと食べて歯を磨いて、身だしなみを整えて登校してくださいね?)とか。


(先輩、お疲れ様です。さきほどの授業は大丈夫でしたか? 先輩の苦手な数学でしたが、寝ないできちんと聞いていなければなりませんよ?)とかとか。


(先輩、お疲れ様です。今日は委員会の活動があるのでご一緒できませんが、待っている必要はないですからね? 学生生活規定第11項では、終業後、特に用事の無い生徒は速やかに帰宅するよう定められていて……)とかとかとか。

 

 終始こんな感じで、とにかく事務的。

 真面目一辺倒のお堅いメッセージばかりで、恋人というよりは教師か上司とのやり取りみたい。

 その場合の俺は、生徒で部下ね。


 だが、それでも俺は幸せだった。

 だって、あの渚ちゃんが俺のためだけに文章を打ってくれているのだ。

 俺が少しでも良い人間になれるように、あれこれと世話を焼いてくれているのだ。

 この栄誉に感謝せずして何に感謝するというのか。


「ふっふっふ……それになあ、俺ぐらいのレベルになると、ただの文字からも渚ちゃんを感じ取ることが出来るのだ。たとえば『先輩』という文字。『輩』の『非』が渚ちゃんの頭、『車』が渚ちゃんの体。『先』は掌を口に添えた渚ちゃんが俺に話しかけている仕草に勝手にアニメーション変換される。つまりは文章による2Dなやり取りのように見えて実際には3D的なVR的な世界がそこには広がっているのだ」  


「すいません、何を言っているのかさっぱりわかりません」


「っておわわわわ!? 渚ちゃん!?」


 校門の脇でたたずんでいた俺の隣に、いつの間にか学生バッグを背負った渚ちゃんが立っていた。


「ってか今の話どこから聞いてたの!? 俺、いつの間にか妄想を口にしてたみたいで……っ」


 ラインの内容が事務的だとかいうとこまで聞こえていたとしたらちょっと面倒なことになりそうだと思って焦っていると……。


「最後の方だけです。ラインでのやり取りに対する先輩の独創的な解釈について」


 渚ちゃんは、ギラリ氷の魔眼を光らせた。


「というかですね。そもそも、待たないでくださいと言ったじゃないですか。わたしは委員会の仕事があるからと」


「ああー……ええと……それはだね……」


 痛いところを的確に刺され、俺は言葉を失った。


「先輩、忘れました? おつき合いの条件」


「校則を守ること……」


「先輩は今、何をしていたんですか?」


「渚ちゃんを……待っていました。一緒に帰りたかったので……」


「……」


 ハアとため息をつくと、渚ちゃんは俺を置いて歩き出した。


「ちょ、ちょっと待って渚ちゃんっ! 怒ってる!? ねえ、怒ってる!?」


「別に、怒っていませんよ」


「ウソだウソウソ! 超ぷんぷんじゃん! 頬が気持ちふっくらしてるじゃん!」


「1メートル以内に近寄らないでください、約束ですよ」


「うっ……ぐっ……?」


 どこまでも素っ気ない渚ちゃんを追いかけながら、俺は根気強く話しかけた。

 やがて根負けしたのだろうか、渚ちゃんは足を止めると、じっと俺の顔を見上げて来た。


「……とはいえ、このままというのも問題だと思うので、譲歩することにいたします」


「え、譲歩? 何を?」


 わけがわからず戸惑っていると、渚ちゃんがスマホを取り出し何やらぽちぽちと打ち込み始めた。

 

「ん? ラインの着信? 渚ちゃんから?」


 いったいなんだろうと思って開いてみると……。


(これからは事務的でない、普通のメッセージも送るようにいたします)


 極めて簡素なメッセージの後に、有料ダウンロードしたのだろうか、カピバラのゆるキャラである『かぴ腹っさん(腹巻をしたダルそうなカピバラ)』が寝転がっているスタンプが押されていた。

  

「え、これって……やっぱりさっきの最初から聞いて……っ!?」


「それでは先輩、お疲れ様でした。また明日」


 やっぱりさっきの妄想だだ洩れだったんだという驚きと、渚ちゃんらしからぬスタンプ付きのメッセージの新鮮さと。

 突然色んなことが起こって動揺する俺を置いて、渚ちゃんはすたすたと歩き去った。








 ~~~現在~~~



 

「いやあ、あれにはびっくりしたね。あの後はけっきょく全無視されたけど、家に帰ったら速攻ラインが来て……渚ちゃんが怒ってるのかそうでないのかもわかんなくなって……」


「ごめんなさい。わたしなりに悩んでいたことではあったんですよ。こんな味も素っ気もないやり取りをしていていいのだろうかと、もっと恋人らしいことをしないと捨てられてしまうんじゃないかと思って焦っていて……。そこへ来て、先輩のあのつぶやきですから……」


 渚ちゃんは困ったように眉根を寄せて謝って来た。


「でも、その日からけっこう送るようになったでしょう? 事務的な内容ばかりでなく、自分のことも話すようになりましたよね?」


 たしかに、その日から渚ちゃんのメッセージは変わった。

 事務的な内容が減ったわけではないけれど、それ以外の些細ささいな日常の変化や家のことなども話すようになった。

 鉄壁のポーカーフェイスの陰に隠れていた、渚ちゃんという人間そのものを見せてくれるようになったんだ。


「ふ」


 いきなり渚ちゃんが笑い出した。

 何だどうしたと思って訊ねてみると。


「その時の一番最初のメッセージ、覚えてますか? わたしが送った」


「ああ、覚えてるよ。必死に絞り出したんだろうなあーって感じがすげえしたから。え? 答え合わせ? じゃあせーのっ」


「「晩御飯のメニュー」」


 6年前のメッセージのつまらなさと、そんな些細なことを互いに覚えているのだという事実がツボにはまって、俺たちはしばし笑い合った。

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