第6話「今日の議題」

「先輩、お疲れ様です」


「やあ、渚ちゃんもお疲れ様」


 ある日のことだった。

 俺と渚ちゃんは特別棟の西階段の踊り場で落ち合った。

 特別棟というのは科学室や音楽室などの特別教室のみが入った棟で、西階段はその奥まったところにある。渚ちゃんは渚メモにより全学年全クラスの使用予定を把握しているので、人が来ないだろう時間を見計らって会うことにしているのだ。


「ところで今日の議題なんですが」


 議題というと仰々ぎょうぎょうしいが、渚ちゃんの話の切り出しはいつもこうだ。

 

「わたし、すまーとほんというものを買おうと思うんです」


「スマホ? 渚ちゃんが?」


 驚いた。

 渚ちゃんは筋金入りのアナログ人間だ。

 スマホを持っていないのはもちろん、PCの扱いすら上手く出来ない。

 基本的に頭のいいコなのだが、昭和レトロな家(古武術の町道場を営んでいる)に育ったせいか、科学アレルギーのようなものがあるらしい。


「ええ、そろそろわたしも文明の利器を扱えるようにならなければいけない年齢ですし。すまーとほんぐらいは朝飯前にならなくてはと……どうしたんですか? 先輩」


「いや、なんでも……続けてどうぞ」


 文明の利器という表現とか、スマホの発音がおかしかったりすることにウケていたのは秘密だ。


「とにかくそういうわけで、すまーとほんを買おうと思うのです。そうすれば、先輩との連絡もとりやすくなりますし」


「ああー、なるほどね」


 渚ちゃんの言葉に、俺はしみじみと納得した。


 秘密のおつき合いをするにあたって俺たちが一番頭を悩ませていたのは、互いへの連絡の取り方だ。

 渚ちゃんがスマホを持っていないので電話やラインでの連絡が出来ない。家へ電話することも当然出来ない。

 朝の風紀指導の時にこっそりとメモを受け渡すのが唯一の連絡手段で、それ自体は秘密スパイのやり取りみたいでワクワクするのだけど、さすがに不便を感じてはいた。


「そこでお願いがあるのですが、すまーとほんを買うのについて来てくれませんか?」


「俺? お父さんお母さんと行くんじゃなくて?」


「両親の同意は得ておりますし、必要書類もすでに用意しております」

 

 そう言って渚ちゃんが取り出したのは、委任状やら何やらの難解な書類。


「両親はわたしのことを信頼してくれていますし、資金も今までに溜めたお年玉がありますので問題ありません。問題があるとすれば知識です。わたしにはすまーとほんに関する知識が無く、図書館などで得られる情報もいささか古いもののようなので、参考になりません」


 なるほど。

 たしかにうちの図書館に置いてある情報系の雑誌は旬を過ぎたのが多いもんな。

 一世代前どころか、中にはガラケーの紹介記事などを載せてるのがあったりするし。


「そこで俺の出番ってわけか」


「ええ、先輩ならお詳しいでしょうし。それにおそらく、すまーとほんを使ってやり取りする主な相手は先輩になるでしょうし」


「主に俺……」


 相変わらずの素っ気ない言い方だったが、そのセリフは俺の胸にズキュンときた。


「そうか……俺か。そうか、俺かああああー」


 なんだろう、渚ちゃんを独り占めにしてる感が半端なくて、俺は思わず相好を崩した。


「……なんですか、急に?」


「いやあ、なんでも? いやあああ、なんでもおおぉーっ? そうかそうか主に俺なのかああああーっ」


 突き刺すような氷の魔眼も、今はひたすらに気持ちいい。


「それじゃあいつ買いに行こうか? 今度の土曜? 日曜?」


「差しつかえなければ、今日にしたいのですか」


「え、今日?」


 渚ちゃんにしては珍しい性急さに驚いた。

 そんなにも早く俺とラインでやり取りしたいのか……ってさすがにそんなわけないか。このコに限ってそれはない。

 単純にやり取りをスムーズにしたい欲求が強かったのだろう。


「そりゃあ俺はいいんだけど……じゃあ、この後駅前で?」


「いえ、それでは寄り道になります。『学生生活規定第6項:下校の際は、寄り道などせずまっすぐ帰宅すること。お稽古事または学習塾などへ立ち寄る際は、事前に届け出を行うこと』とありますので、お互いいったん帰宅しましょう。その後駅前で待ち合わせるのです」


「あ、そーゆーのでいいんだ」


 けっこう軽い縛りだなと思いながらも、俺の頭の中はすでに放課後デートのことでウキウキだった。 







 ~~~現在~~~




「よくはないんですよ。全然よくはないんです」


 渚ちゃんは薄い胸に手を当てると、痛みに耐えるように顔をしかめた。


「そもそも風紀指導兼デートだってそうなんですけどね。『理屈としては正しいけれど、風紀委員としてはふさわしくない行動』なんです。当時のわたしは、それはもう胸を痛めておりました」


「おお……それはなんというか……迷惑をかけたね」

 

「いえいえどういたしまして」


 渚ちゃんはそう言うと、おどけるように表情を明るくした。


「いいんです。好きでやっていたことですから。それにスマートフォンの購入に関しては、あれはどうしても必要なものでしたし」


「それは文明の利器として?」 


「いいえ、いつでも先輩とお話出来る魔法のアイテムとして」


 くすぐったそうな笑みを浮かべながら、渚ちゃんは話し続ける。

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