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 街道を走り始めて、もう1時間程が経つ。

 魔物はもちろん、人間や動物を襲うような肉食の獣の姿も見えず、何の異常も起きなかった。

 ただただ、足場の悪さだけに気を付ければいいだけだったが……。


「…………待ったっ!! 街道のちょっと先に何かある!!」


 100メートルほど離れた場所に、何か塊のような物が転がっているのに気付いた。

 雨で視界が悪いからか、御者も周囲を走る兵たちも気付いていないようで、俺は慌てて御者に向かって叫んだ。


「っ!? おい! 止めるぞ!!」


 俺の声に御者が即反応すると、周りを制止しながら馬車を停止した。

 地面が雨でぬかるんでいるからか、急停止で大きく車体が横に滑ったが、傾きはしたものの何とか横転せずに済んだ。


 とは言え、中に乗っていた者たちはもちろん、馬車の周囲を走っていた者たちも驚いたらしい。

 周囲を走っていた者たちはこちらに馬を寄せてきたし、馬車に乗っている者たちも、車内に合図を出したりしていないが、ドアを開けて飛び出してきた。


「副長! どうしたっ!? 魔物か?」


「いつでも行けるぞ!」


 各々武器を手にしているし、やる気は十分なようだが……。


「まだ中にいていいよ。ここから先の街道に何かが転がってたんだ。倒木とはまた違うみたいだし、ちょっと確認した方がいいかも……」


「それなら私たちが見てまいります。セラ副長はここで待っていてください」


「む? ……うん、気を付けて。ここを真っ直ぐ進んだら目に入るから!」


 俺が行く……と言ってもよかったんだが、ここは彼等に任せるか。

 何でもかんでも俺が一人でやっちゃったら、彼等の立場も無いしな。


 その代わり、俺はここでいつでも飛び出せるように、戦闘準備だ!


 俺が示した通りに、街道を真っ直ぐ駆けていく1番隊の二人を見ながら、俺は【緋蜂の針】を発動した。


「……副長、魔物か?」


 戦闘態勢に入った俺を見て、この場に残った2番隊の兵の一人が再度訊ねてきた。


「どうかな……。何か転がってるんだよね」


「街道にだろう? 森の木がこんなところまで飛んでくるわけないしな。生き物なら、副長のその目玉でわかるんだよな?」


「うん。少なくとも生きている気配は無いし、生物じゃないと思うよ。オレは少し高度を上げるから、皆は周りをお願い」


「おう! 大丈夫だとは思うが、気を付けてくれよ」


 俺は会話を終わらせると、その場で【浮き玉】の高度を上げていった。


 ◇


「……この辺には生き物の痕跡は無いよね? 散々狩りつくしたわけだし、敢えてこっちにまで来るようなのはいない……のかな?」


 俺は上空から、まずは街道の西側から少し離れた場所に広がる北の森を注意深く観察した。


 まだまだ森の浅い位置だからか、何の気配も感じられない。


 普段なら、魔物や小型の生物がウロウロしているんだが、やはりこの間ゴッソリ狩りつくした影響は大きいようだ。


 生息エリアに大きな空白地帯が出来たわけだし、自分の縄張りを広げるチャンス……なんて考える魔物がいてもおかしくは無いと思っていたが、森の奥の方に潜んでいるような魔物はそれなりに頭も良いし、ここまで広範囲に渡って魔物が狩りつくされるような場所に、困っているわけでもないのに近づいたりはしないか。


 そのうち、大した力のない魔物や獣がどこからか流れて来て、また元のような森に戻るんだろうが、少なくとも今は警戒する必要は無いだろう。


「北の森に問題は無い。となると……やっぱりこっちか!」


 俺は今度は反対の東側の一の森に目を向けた。


 こちらも同じく街道に沿って森が広がっているが、北の森に比べて街道はさらに距離をとっている。

 街道と近すぎると、強力な魔境の魔物が襲ってくるからだろう。


 街道と森との間には茂みが広がっているが、木は生えていないし比較的見通しが……。


「っ!? ココをお願い!!」


 異変を見つけた俺は、下の兵たちにココを任せると言い放つと、返事を待たずに【浮き玉】を先に向かった兵たちの元に一気に加速させた。


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 馬車を待機させて、セラが発見した何かの確認に来た二人の兵は、街道にいくつも転がっている物を見つけると、手にした槍でつついたりひっくり返したりしている。


「これは、魔物の死体だな」


 転がっていたのは、ゴブリンとコボルトの群れの死体で、頭部や胴体に刺突痕が空いている。

 血はこの雨で流れてしまっているが、引きずった跡は無く、この場で仕留められたんだろう。


「ああ。この近くをうろついていたんだろう。たまたま先行した奴らを襲って返り討ちにあったんだろうな」


 そう言うと、一人が馬から降りて魔物の死体に近づいて行った。

 そして、死体をより詳しく調べながら口を開く。


「どれも一突きで仕留めているが……これは北の森の魔物か?」


「……どうだろうな? セラ副長も言っていたが、まだこの辺りには魔物は戻って来ていないんじゃないか? まあ……下馬してならともかく騎乗しているなら、反対側の魔物も一撃で仕留められるだろう」


「それもそうだ……な?」


 死体を突いていた兵が言葉を途中で区切り、何やら南の空を凝視している。


「どうした?」


 もう一人も、そちらを何事かと振り返ると、雨を弾きながらこちらに向かって飛んでくるセラ副長の姿があった。


「向こうで何かあったのか?」


「いや、そんな風には見えないが……いや、待てっ!? 戦闘態勢に入っているぞ?」


「むっ!? 向こう……いや、こちらかっ! 何か潜んでいる。警戒しろ!!」


 そう言うと、急いで馬に跨り槍を構えた。


 馬車の警戒を引き受けていたセラ副長が、遠目でもわかるほどの戦闘態勢に入った姿で飛んでくる……。

 それほどの脅威がこの周囲に潜んでいるんだろう。


 どこに潜んでいるかはわからないが、警戒を強めた。


 ◇


「……む。オレに気付いたみたいだね」


 前方の兵たちの様子で、接近する俺に気付いたことがわかった。

 同時に、彼等の周囲に魔物が潜んでいることも気付いたようで、武器を構えて周囲を警戒している。


 だが……。


「でも、どこにいるのかはわかっていないっぽいな」


 魔物はすぐ側に潜んでいるにも拘らず、見当はずれの方ばかり警戒している。

 決して小さな魔物ってわけじゃないのにだ。


 余程上手く隠れているんだろう。


「そこっ!! すぐ側の茂みに隠れてる!! ……聞こえないか。なら、急がないと」


 飛んで行きながら身振りを交えて大声で警告するが、距離と雨音のせいで俺の声は彼等に届いていないようだ。


 俺はさらに【浮き玉】を加速させた。


「さて、接触までもう間もなくってところだけど、どうするか。【風の衣】も【琥珀の盾】もしっかり発動してるから守りは完璧だ。でも……アレが何なのかわからないし、なんか地面近くにいるんだよな」


 未だに魔物の居場所がわかっていない兵たちと違って、俺はもう把握出来ている。


 ただ、それが何なのかがまだわからない。

 街道脇の茂みに隠れているが、小柄って感じじゃない。

 かと言って、巨体ってわけでもない。


 地面にうずくまっているような、そんな体勢なのかもしれないが、いまいち輪郭がわからないんだよな。


 あの位置なら【影の剣】を使って突撃するのは危険すぎるし、やるなら……こっちか。


 俺はバチバチ音を立てている左足を見た。


 左足で完璧に……とは言わないが、それなりに使いこなせるようにはなったし、緊急時の癖もわかっている。

 改めてそのことを頭で思い浮かべて、俺は左足を前に突き出す突撃体勢をとる。


「よし……行くぞ!」


 そして、気合いを入れると一直線に魔物が潜む茂みを目指して加速した。


 ◇


「おい、セラ副長が突っ込んで来るぞ!?」


「どこに……そこかっ!? 茂みだ。離れろ!!」


 近付いたことで俺の耳にも聞こえているが、互いに声を掛け合いながら、馬が俺の攻撃の余波を食らわないように二人は慌てて避難している。

 普段俺と行動をとる機会が無いわりに、中々いい動きをするじゃないか。


 一応巻き込まないように加減をするつもりだったんだが、この分ならその必要は無いだろう。


 俺はここまで突っ込んできた勢いを殺さずに、そのまま茂みに隠れている魔物目がけて蹴りを放った。

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