第36話 答え合わせともう一つ

 智也の登場に、狭山は立ち上がって智也を睨みつけていた。


「貴方が余計な事を棗さんに言ったせいだ!」


 突然狭山に詰られたのにも関わらず、智也は眉一つ動かさなかった。そんな二人を李仁は怪訝そうに見比べた。


「お前達、知り合いなのか?どう言う事だ!オレの知らない所で何をコソコソとやってるんだ!ちょっと裏へ来い!二人とも!」


 客や従業員達の衆目に晒されながら、三人の男達はぞろぞろと連なってバックヤードへと姿を消した。


 狭苦しい倉庫の片隅で腕組みをした李仁が二人の男を目の前に険しい表情で対峙していた。


「智也、お前は何でコイツを知ってるんだ!余計な何を言ったって言うんだ!」


「コイツの車に白山棗が乗ってるのを見たんだよ、昨日」


「交差点で風夏さんと一緒に歩いてた時、車でお前と会ったよな!あの時オレに何も言わなかったじゃ無いか!」


「あの後の話だ!得意先の帰りにこの野郎の車に白山棗が乗ってたんだよ!」


 そう言うと非難の眼差しを狭山に向けたが、狭山は狭山で言い分がある。


「そんな関係じゃ…!無いって、言ってるだろう…っ」


 一瞬、昨夜棗と肌を合わせた事実が狭山の脳裏を掠めた。愛し合ったわけでは無いが、今となってはそれは詭弁と言うものだ。後ろめたさは十分にあった。狭山は最後まで強くは言い返せなかった。


「百歩譲ってアンタが、棗のカウンセリングの為だけに一緒にいたとしてもだ、面識のないお前らに棗を掻き乱す何があるんだ!」


「掻き乱したのは貴方だ!」


真っ先に李仁へ声を上げたのは狭山だった。だが李仁の頭は益々混乱を極めていた。


「オレが何をしたって言うんだ!」


 叫ぶ李仁の前へズイと智也が歩み出た。


「俺が白山棗に言ってやったんだよ、鈴ヶ森埠頭にお前が居るってな。お前を弄んでいるようにしか見えないからだ!引導を渡してやったんだ!お前の出る幕は無い。思い知れってな!」


李仁を慮っての事だったなど知らない狭山が叫んだ。


「なんて残酷な事を!!本当に誤解だったのに!棗さんがどれだけ傷ついたかわかりますか?!」


李仁は怒鳴りあっている二人に止めろと手で制し、その手が混乱した己の額を押さえた。足元がぐらついた。


「どう言う事だ、昨日棗が埠頭に居たのか?!」


 そう言うと李仁はハッとして顔を上げた。心当たりにある事に気が付いたからだ。カフェのテラスにいたあの時、確かに棗が己の名を叫ぶ声がしたと思ったのは、やはり聞き違いでは無かったのだ。しかもその時、自分は誰と居た?棗の目にそれはどう映った?

李仁は血の気が一気に引いていくのを感じた。

 漸く、事態が飲み込めた李仁は、軽く目眩に襲われて倉庫の壁で己の身を支えた。


「新しい恋人が出来たんじゃ無いんですか?藤城さん!棗さんはそう思ってますよ!」


 そう、自分が悪いのだ。だが、こんな状況を作り出した智也の罪は重い。

けれども李仁は知らなくても智也は李仁を思い遣った結果なのだ。誰も悪いわけでは無い。複雑に絡み合った糸が、意地悪な神様にとことん痛ぶられたとしか言いようが無かった。


「それで、棗は失踪したのか」


「そうです。それだけでは無いかもしれませんが、少なくともそれが引き金だと思います」


 答え合わせをしたところでスッキリする筈もなく、重苦しい空気の中で、三人の男達は悶々と項垂れた。そんな空気の中を、勇気のある従業員がそれを一変させた。


「あの、店長…、警察の方がお見えなんですが、、」


 咄嗟に三人は嫌な予感に襲われ顔を見合わせた。まさか棗があらぬ事になったかと思ったからだ。

 従業員の影から警官が二人、顔を出した。やけに愛想がいい。ゴクリ、と李仁の喉が鳴った。


「ご苦労様です。ここの店主ですが、どのようなご用件でしょうか」


智也と狭山も固唾をのんだ。


「この前のビルの炎上騒ぎに関してお聞きしたいのですが、この人物をご存じですか?この店の従業員だと言う話を聞いたんですが」


 そう言って見せられたのは、火事の現場で撮られたと思しき棗の写真だったが、物凄く引き伸ばされた上にピンボケだった。


「あー、似ていると言えば似ていなくもありませんが、この写真ではなんとも…。この似ている人は私の店の従業員で、私のパートナーですが…何か」


 李仁は務めて平静を装いながら、柔かな表情を繕っていた。


「今はどちらに…」


「…、はっはっはっ、いやあお恥ずかしい話ですが、今喧嘩中でしてね、昨日ぷいっと出て行ったきり、何処へ行ったやら、まあ、しばらくしたら帰るとは思うんですがね」


「火事のあった日は、この方はどちらにいらっしゃったか分かりますかねえ」


 棗があの火事にやはり何か関係していたのだ。こんな形でそれを知るとは思わなかった。図らずも、何ヶ月も前に閉めた筈の蓋が再びこじ開けられたのだった。残る二人も、何かを察して固まっていた。


「あー…、アレだろう李仁。ほら、俺たち四人でお前の家で呑んだろう。消防が走り回ってて、皆んなで窓開けてなんだろうって話してたよな」


 咄嗟の智也の機転だった。ツーカーの二人ならではの阿吽の呼吸で李仁が「あぁ」と頷き、狭山もつられてこくこくと頷いた。


「この人、似てはいるけど多分別人ですよ」


 狭山が最後に捩じ込んだ。警察は他にも沢山の写真の入ったファイルに乱雑に棗の写真を突っ込むと、軽い調子で「わっかりました」と一礼して出て行った。

 恐らく、現場写真に写った人間を総当たりしているのだろうと思われた。警察官が見えなくなると、一同緊張が解けて一気に脱力した。


「どう言う事ですか?あれ、棗さんが火をつけたなんて事は無いんでしょう?」


 沈黙は逆に雄弁な時もある。難しい顔をして否定も肯定もしない李仁を智也が小突いた。


「おい、アレはまさか本当に白山棗がやったとか言わないよな?理由は何だ!火をつける理由は!」


「分からない。何もかも分からないんだ。あの火事で焼け死んだ男が棗の昔の男だった」


 頭を抱える李仁の横で、狭山が何かを思いついたように顔を上げた。


「トリガーだ…!これが棗さんを混乱させたもう一つのトリガーだ!」

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