第19話 愛の形

 犬のように赤い首輪をつけられ、四つん這いで歩かされる時、四肢を拘束されて玩具にされる時、棗は李仁に所有されていると強く感じる。苛烈に責められ苦痛に耐えた後、優しく李仁に抱かれて欲望も愛情も昇華する。

 そして李仁もまた、棗の皮膚に縄が食い込み、赤い蠟が白肌に散る時、愛する者の命ごと所有している征服感に恍惚とする。そうして己の欲望を注ぎ入れる時、李仁の愛も欲望も昇華していくのだった。だが、ここまでしてもまだ足りないと思う。


もっと欲しい。

もっと奪いたい。

もっと与えたい。


 愛への執着と渇望は何処までも貪欲で果てしないもののように思えた。





「やあ、なつかしいなあ智也、覚えているか?」


 この日李仁はなかなか捕まらない智也を実家の酒屋にまで押しかけ連れ出していた。無論、先日母が言い残して去っていった結婚話の真相を、直接本人から聞き出す腹積りだ。

 大学時代に良く通っていたバーに、卒業以来初めて足を踏み入れた。今ではとんと聞かなくなったが、昔でいうところのプールバーというやつである。大学の時ですら既に時代遅れのプールバーだった。プールと言うからにはビリヤードの出来る台が置いてあり、それは今も健在に店の隅に置いてあった。店に入るなり李仁はキューを手にして適当に球を弾いて笑った。軌道をずれた球が狙いを外れて転がった。


「腕が鈍ったな。李仁、ポケットを擦りもしないじゃないか」


 そう言うと、すかさず智也も球を打ったが、球は検討外れな所へと弾んで着地した。


「ふんっ、威張れなかったな。お互い鈍りもするさ」


 キューを戻すと二人はカウンター席へと腰を下ろした。バーボンのロックを二つ頼み、智也がタバコを取り出した。


「禁煙してたんじゃないのか?もうすぐ結婚なのに、嫁さんになる人に怒られるんじゃ無いのか?」


 咥え煙草に火をつける智也の手が止まった。そして李仁を横目で眺めてからゆっくりと火をつける。


「なんで知ってる」


「お袋から聞いたんだよ。お前が結婚するかもってな。なんで言わない」


 手元にサーブされたグラスを手にしながら李仁は智也の表情を探った。結婚する花婿にしては、はしゃいだ様子の一つもない様子が気にかかる。


「別に、照れくさいもんだろう?いざ親友に話すとなると」


「なんか訳ありなのか。あ!分かったぞ!相手を妊娠でもさせたのか。それで二進も三進も行かなくなって」


「馬鹿か!そんなへまはしない。見合いをしたんだよ。取引先のお嬢さんだ。無碍にもできん」


「そんな理由で結婚を決める奴か?お前は」


 智也は手の中のグラスを弄びながら、鬱陶しそうに言った。


「勿論、相手が気に入ったから決めたんだ。そろそろ落ち着いても良い歳だろう?」


 お前が怖いからだと、李仁への思いを気づいた自分が怖かったからだとは口が裂けても言えない。このまま自分の気持ちに気づかなかったフリで蓋をしてしまおうと、悩んだ末の智也の決断だった。

 そんな智也の気持ちなど全く知らない李仁は、どこか釈然としない顔をしていた。小学生からの付き合いの中で、こんなに寂しく思ったのは初めてだった。それ程智也は李仁にとって身近だったのだ。


「それより、お前んとこのかみさんは大人くししてんのか?」


「かみさんって…」


 確かに男だが、かみさんと言えばかみさんだ。


「かみさんだろう?」


「まあ、そうだが…。この前ついに棗の事をお袋に話したよ。

予想通りの反応で笑えた」


 薫る紫煙の向こうに物憂い顔の李仁がいる。手を伸ばせばいつだって手が届く所にいたのに、今の智也には一番遠くに感じる。


「うまくいくと良いな…」


 本心だった。このまま恙無つつがなく李仁に幸せになってもらいたい。そうでなければ立つ瀬がない。


「お前もだ!何だかオレは不安だぞ智也。結婚前からそんな調子で大丈夫なのか。お前には本当に好きなやつと結ばれて欲しいよ」


 智也の気持ちを知らないとは言え罪作りな李仁の言葉だった。


「世の中そう上手くはいかんさ。そこそこの幸せが一番幸せだったりもする」


 恋を諦めた智也だからこそ言える言葉だったが、その言葉は李仁の心に深く突き刺さった。李仁の何処までも愛を突き詰める生き方とは全く違う。もっと智也の愛は達観的で冷静だった。

 あらためて自分はどうかしているのかもしれないと李仁は嗤うしかなかった。

 其々の思いを胸にしながら、男二人は苦く酒を呑んでいたのだが、店の外でけたたましくサイレンが行き交う音がするのに気がついた。窓の外を何台かの消防車が走っていくのが見える。バーテンが気にして店のドアを開けて外の様子を伺った。消防車の後ろからはパトカーと救急車が追随している。


「近くが火事か?」


「デカそうな火事だな」


「どうせニュースでやるだろう」


 店内からドアの外の景色を大変だなと言いながら、二人はぼんやり眺めている。当然李仁はひと事だった。朝のニュース映像を見るまでは。

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