第二章第三節<会遇>

 別れ際、アルベッタは銀貨を一枚渡してきた。

 目を丸くするイースに、アルベッタは金貨の詰まった袋を揺らして見せた。屍たちとの戦闘のあと、散らばった装備品を売り払った金だった。

「子供だろうが大人だろうが、あんたは生き残ったんだ。それに対する報酬は受け取るべきだよ」

 そう言うと、アルベッタは仲間とともに酒場へと消えていった。

 暗くなってきたとは言っても、まだ眠るには早い時間だった。

 イースは生まれて初めて手に入れた自分の金を握りしめて、夜を迎える町へと歩き出した。


 イースが最初に向かったのは、武具や防具を扱っている店だった。町の中にはいくつかそういった店があることは知っていたが、そこまで町について詳しいわけでもない。第一、この町に来てまだ一週間も経っていなかった。

 ふらふらとあてもなくさ迷い歩き、たまたま見つけた店を覗いたというだけだった。

 粗末な小屋のような店だが、扉を押し開けた先を見て、イースは息を飲んだ。

 古びた壁板には数々の武器が吊るされていた。

 冷たい鋼鉄の輝きを放つ長剱ブロードソード、身の丈を超える長さと分厚い刀身をもつ大剱グレートソード。持ち上げることすらかなわぬ戦斧バトルアックスは床に鎖でつながれており、美しい装飾を施された決闘剱レイピアはまるで狩の獲物のように壁の上で輝いていた。

 剱だけではない。剱に比べれば短いが、先端が菱形に大きく変形した戦棍メイスや、剣呑な棘がびっしりと並んだ棒が鎖で繋がれた連結棍フレイルなどの様々な武具があった。

 そして、それぞれには値を示す数字が書かれた木札が結び付けられている。わかってはいたことだが、最も安い短刀ダガーでさえ、銀貨一枚では足りなかった。

 見慣れぬ客に気づいた店主は、イースを鋭い視線で睨みつけた。

 汗と脂で汚れ切った、元の色などわからぬほどの肌着に、焦げ跡ばかりの前掛けを着けた、太った男だった。頭髪はほとんどが抜け落ち、てらてらと光っていた。たるんだ瞼の奥で、左目は光を失っているようだった。右目には敵意とも害意ともとれる感情を感じたが、それがどういう理由なのかイースには理解できなかった。

「何しに来た」

 低い声で主が唸った。およそ客に対する態度ではなかったが、主はイースのことなど小間使い程度にも考えていないのだろう。おおかた、道に迷って店を覗いている浮浪者の子供だとさえ思っているのだろう。

 確かにかつてはそうだった。しかし今日は金を持っている。

「あ、あの」

 イースは懐から銀貨を取り出して見せた。主は訝しそうに顔を近づけ、それからやおら右手を伸ばしてそれを掴んだ。

 手を引っ込めることさえできなかった。銀貨を奪われたイースは完全に混乱していたが、主は立ち上がると棚から埃をかぶった荷袋を取り、ひび割れた壺に突っ込んであった松明を三本を入れると、それを乱暴にイースに突き出した。

 相場も何もわからない。だが悪い人間ではなさそうだった。

「あり、が、とう」

 たどたどしい口調で礼を言うと、それきり主はイースのほうを見ようともしなかった。そのまま床に置かれた酒瓶に手を伸ばし、喇叭飲みをすると腕を組んで眠り始めた。

 店を出ると、さほど時間は経っていないはずだったが、辺りは暗くなっていた。

 とはいえ、この区画は冒険者たちの往来が多い。酒場や賭場、薬屋や武具屋などの窓にはまだ明かりが灯っていた。

 たった松明三本だったが、自分の荷袋を担いでいると、それだけでいっぱしの冒険者になった気分だった。冒険者、というには武器すら持っていないのはお笑い草だったが、そんなことはどうでもよかった。この荷袋に、これから「洞」で拾い集めたものをしまい、それをああした店で金に換えることができることを考えると、アルベッタと別れたばかりのころとは別人のような、活力に満ち溢れた顔になった。

 そのとき、どこか遠くで鐘が鳴った。

 特に理由があったわけではない。しかし、イースの足は鐘の音が聞こえた方へ向かっていた。


 それは緩やかな坂道の先に建てられた聖堂だった。

 神に祈りを捧げたことがないわけではないが、特別に信心深いというわけではない。周りの大人たちを真似て、いつしかするようになっていただけだ。

 坂道を上ると、聖堂の入り口には炎が揺れていた。扉は開け放たれ、中の様子を覗くことができた。

 まず目を引いたのは、深紅の絨毯だった。中央から真っすぐに最奥まで敷かれ、ところどころ擦り切れて履いたが、まだ十分に美しかった。両側には黒く使い込まれた楢の長椅子が並んでいたが、祈りを捧げている者は誰もいなかった。

 そして、正面奥には篝火で照らされている神像があった。なんという名前なのか、どのような神なのか、イースには全くわからなかった。しかしただ美しいと思った。

 慈愛に満ちた横顔をやや俯かせた女神だった。肩から流れ落ちる衣は足元まで小川の流れのように緩やかに滑り落ちていた。女神は右手を持ち上げており、その指先には一羽の燕が羽根を休めている。左手は無造作に下げていて、肩には鴉が止まっていた。

「何か、御用でしょうか」

 後ろから声をかけられ、肩をすくめたイースは自分でも驚くほど素早く振り返った。

 そこには、自分とあまり年の変わらない少年がいた。裾の長い服を着ており、腰のところで革のベルトで締めただけの恰好だったが、どうもここの教会の人間であるようだった。

 何と言おうか迷っていると、先に少年の方からイースへ数歩近づいてきた。

「君、もしかして、訓練所で一発で錠前を開けたって言う人かい」

 確かにそんなこともあった。頷くと、少年の顔が輝いた。

「君さ、もう『洞』に潜ってるんだろ? 結構みんなの噂になってたぞ、あいつが『洞』から出てくるのを見たっていう奴や、魔物を倒してるって言う話まで……まあ、どこまでが本当か分からないけど」

 かなり話は大きくなっているようだったが、何よりも驚いたのは、自分自身が噂話の種になっていることだった。しかも笑いものにされているならともかく、聞く限りではそうではなさそうだ。

「そんな、ことないよ、まだ今日で二回目だもの」

「二回!? 二回も『洞』に行って、まだ生きてるなんて、すごいじゃないか」

 恐らく少年に実際のことを話したら、さぞかし落胆するだろう。自分はいつだって、大人の背後にいただけなんだ。ただ、その場に居合わせただけの子供っていうだけなのに。

「そうだ、ちょっと待ってて」

 少年は何かを思いついたように、教会の中へと入っていった。入り口から少し横に行ったところにある平たく大きな皿から、小瓶に何かを汲んでいる。裾で拭うと、少年は笑顔で差し出してきた。

「どうぞ。神様のご加護がある聖水だよ」

 イースはもう一度、教会の奥にある女神像を見た。

「あの神様は、なんていうの」

「ファルドル様って言うんだ。全ての命あるものを守ってくださってるんだ」

 正直、イースには神を信じるということがどういうことか、分からなかった。少年が差し出した聖水にしても、本当に守ってくれるのかどうか。もし本当にそんな神様がいるのだとしたら、どうして毎日たくさんの人間が「洞」で死んでいるのか。

 だが、ここで少年の申し出を邪険に断るのも、何かが違うように思えた。

「ありがとう、大切にするよ」

 武具屋では緊張のあまり言えなかった感謝の言葉が、今度は滑らかに出てきた。受け取った小瓶を懐に入れ、イースは教会を後にした。

 

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