第2話 父親と娘。

 魔神王の娘――ルールーは、母のことが大好きだった。

 一年のほとんどを、ベッドの上で過ごす母。

 それでも自分を愛してくれた。

 ベッドの上で絵本を読んだり、ベッドの上で微笑んでいたり。


 しかし父が母を愛しているのも

 母が父を愛しているのも、見ているだけでわかった。


(いいなぁ………。)


 見ているだけで心がぽかぽかとして、頬がほんのり赤らんだ。

 幸せだった。

 あの時の自分は、間違いなく幸せだった。


 幸せが崩れたのは、16歳の時だった。

 母の病が悪化した。

 血を吐くようになった。

 父は書斎であらゆる文献を当たり、世界中から治癒師を集めた。

 宝物庫のふたつがカラになるほどの大金を使い――――効果はなかった。


 ルールーは、ふたりのためにも自分のためにも、何かをしたいと思っていた。

 そんなある日のことだった。

 ローブを羽織った謎の男から、『不死の秘宝』が城にあると教えられた。


 書斎に移動し、父に尋ねた。

 父は答えた。


『そんなものはない』


 ウソである。

 第三宝物庫の奥に、不死の秘宝はあったのだ。


 死殺の鎖。

 死という概念そのものを殺す。

 神が定めた生物の因果を崩壊させる、伝説の魔神器。


 しかしこの鎖には、致命的な欠点があった。


 第一に、魔族の血にしか反応しない。よって母には使えない。

 第二に、鎖は発動者を捉え、完全な仮死状態に陥れる。

 死にはしないが、生きているとも言い難い状態に陥る。


 ルールーは、それを知らずに発動させた。

 八本の鎖に囚われた。

 母の死を看取ることもできないまま、300年もの時を地下で過ごすことになった。


  ◆


 ミスティリアは鎖に縛られた娘――ルールーを見つめると言った。


「もちろん、外してやろうともした」


 ミスティリアは、当時のことを思い出す。

 鎖を破壊しようと手を伸ばした。しかし魔力を込めたところ、違う鎖が攻撃してきた。

 ミスティリアの心臓を貫いた鎖は、そのまま自身を圧殺しようとしてくる。

 死という因果すら殺す鎖に抗うことは、魔神王にすら困難だった。


 攻撃用の鎖を渾身の魔力で砕いたものの、致命傷を受けた。

 穴のあいた胸を押さえて、かろうじて部屋を出た。


 防衛機能は破壊できたが、エリクサーですら治療できない呪傷を負った。


  ◆


「残された鎖は、頑丈さに特化した作りのようでね。

 私の魂すべてをかけなければ、破壊できそうにない」


 ミスティリアは自身の魔力を高める。

 大気が渦を作り出し、ミスティリアの手前へと集まる。紫色の極大魔球が、形作られる。


「そんな魔法、ここで撃ったら――」


 問いかけるオレに、ミスティリアは言った。


「だからキミが必要なのだ。

 バリアを張って、娘を守ってくれたまえ」


 オレは言った。


「そんな魔法を使わなくても、スライムに食べさせれば解決しないか?」

「は……?」


 オレはみんなを指差した。


(コシのある歯ごたえ!)

(おとなのしぶあじ!)


 スライムのみんなが鎖にくっつき、食べ始めていた。

 ぷしゅー。

 ミスティリアの魔法は四散した。


「これは死という因果に逆らう力を、その身に宿した鎖なのだが……?」


 オレは親指をグッと立てた。


「ウチのみんなは、食いしんぼうだからな!」

「それで済むのか?!」


 ミスティリアは、愕然とした。

 だけど実際、それで済むんだ。

 問題はない。

 娘想いの父さんが、娘のために命を失うほうが間違っている。

 家族を愛していることは、幸せになっていい理由としては十分すぎる。


  ◆


 ルールーが解放される。


「ルールー!」


 父は娘を抱きとめる。


「っ……」


 娘は静かに、目をあけた。


「お父、さん……」


 瞳に涙が、じわりとにじむ。


「ごめんなさい、ごめんなさい……。わたし、わたし……」


 ミスティリアは笑う。


「私はお前を助けたかった。お前はこうして助かった。それだけでよい」


 父は娘を抱きしめて、優しくなでた。

 体が霧になっていく。


「?!」


 驚くスライに、ミスティリアは言った。


「私はすでに死んでいる。

 今の体は宝物庫にある、『救済の宝玉』によって保っていたものだ」


 スライは例の宝玉が、ひとつ破壊されていたのを思い出した。


「それでもキミがいてくれなければ、最期の言葉を交わすこともできなかった。

 愛する娘に、大切な言葉を伝えることもできなかった」


 ミスティリアの言葉には、深い感謝が刻まれていた。

 恐れの色はみじんもない。

 慈愛の瞳をゆるりと細め、娘の頭を撫でている。

 一方の娘――ルールーは、泣きながら言った。


「お父さんがいなくなるなら、私も――」

「それはよくない」


 ミスティリアは、ルールーの頬に手を当てた。


「死の間際にも、それを思えば笑顔になれる。

 私はキミに、そういう思い出を作ってほしい。

 例えば私は、キミを思うと――」


 ミスティリアは無言で目を閉じた。

 まばゆい記憶が思い出される。


 赤子のルールーを抱きあげた時。

 初めて立ち上がった時。

 自分と妻の絵を描いてくれた時。

 緑の丘で親子三人、広げたクロスとサンドイッチ。


「心からの笑顔になれる」


 その顔には、言葉通りの温かな微笑みが浮かんでいた。

 ミスティリアの体が、徐々に薄くなっていく。

 彼は笑みを浮かべたままで、言葉を残した。


「那由多の輪廻を越えた先でも、私はキミの親でありたい」


 それだけ言うと、霧となって消え去った。


「おとうさぁん……!」


 ルールーは泣いた。

 父を想って泣きじゃくった。

 スライも涙ぐみ、ルールーの背中をやさしく撫でた。


  ◆


 それは彼の夢なのか。

 あるいは死後の真実なのか。

 空に昇ったミスティリアの元に、彼の妻が現れた。


『遅れてすまなかったな』

『ルールーは、大丈夫でしょうか…?』

『大丈夫さ』


 ミスティリアは地上を振り返る。

 視線の先には、ルールーを慰めているスライがいた。


『あの青年は、強く優しく、誠実だ。

 門番のサイクロプス〈サイ〉をイタズラに殺さなかった。

 宝を見ても、欲にまみれた目をしなかった。

 ルールーを世界一幸せに…………とは言わないが、悪いようにはしないでくれるさ』

『そうですか……』


 妻は心から安堵する。

 それから少し、いたずらっぽく笑った。


『しかし少々、妬いてしまいますね。あなたってば、ルールーにかかりっきりなんですもの』

『実の娘に妬くんじゃない』


 ミスティリアは苦笑し、妻の頭をポンと叩いた。

 その表情は、温かな笑みに満ちていた。

 ミスティリアは、妻を抱き寄せ地上を見下ろす。

 半透明だった体が、さらに薄くなっていく。


 他者を愛するということは、いずれかの未来で自らの半身を引き千切られる苦痛を約束されることに等しい。


 しかしなお。

 それでなお。


『あなたは……幸せでしたか?』

『世界で一番、幸せだったよ』


 そう言える誰かと巡り合うため、人は世界を生きるのだろう。

 ふたりが消えた跡には、空が残った。

 

 青い、青い、空が。

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