渇望のアニムス

ガミル

第1話 

 ――犯罪率0.01パーセント。

 これが、俺が住む国の平和の証だ。

 町に生きる人々は、互いを慈しみ、憂い、支え合い、日々の暮らしを送る。そこには憎しみも怒りもなく、ただ喜びと愛が溢れている。人生を歩んでいく上で、これほど素晴らしいことがあるだろうか?……いやないね。そんなことあるはずがない。


  たとえどれほど今が貧しいとしても、俺達は今日も清く正しく生きていく。それが幸せの階段を上るために、必要なことだと信じて――。


 「ケーイちゃん。なぁに一人悟った様な顔してんの?」


 放課後の教室。椅子に座りながら目を瞑り、腕を組んでぼんやりと考え事をしている俺の頭上から聞きなれた少女の声が降ってきた。声の主を確認するようにゆっくりと目を開けると、見慣れた幼馴染の姿が目に映った。


 「なんだ、マヒルか。まぁ声で分かったけどな。どうしたんだ?こんな時間まで教室に残って」


 俺がぶっきらぼうにマヒルに投げかけると、マヒルは少し呆れた様子で肩を竦めながら「それはこっちの台詞だよ」と一言こぼした。


 「あのねぇ、ケイちゃん。今日何の日か知ってる?」


  今日が何の日かって聞かれたら、それはかなりの確率で誰かの誕生日って相場が決まってんだよ。俺はドヤ顔でマヒルに回答してやった。


 「……あれだろ、誰かの誕生日的な――」


 「ちっがーう!今日は待ちに待った『大収穫祭リフィスタ』でしょうが。ほら、『地上』の人たちが色んな御土産をくれるという、このわたし、マヒル・キリズハの中でも1、2位を争うレベルのトップクラスのイベントだよ!」


  全然、違う回答が返ってきた。誰だよ誕生日って言ったやつ。……ああ俺だっけ。

 それよりも、そうか。今日は大収穫祭リフィスタなんだったな。どうしてそんな大事なことを忘れていたんだろう。――今年は一体誰が『昇格』するんだろうか?





 ***




 5年に一度、地上の首都中央に鎮座する巨大砂時計の砂が全て地に沈む頃、俺の住む国では『大収穫祭』という祝祭が執り行われる。それは、『地上』の人々が俺達を労う側面と、俺達の中から『昇格者プロモンド』――すなわち『地上』への居住権を得るに相応しい人間を選定するという目的がある。何でも、学業等で立派な功績を挙げた18歳以下の子供たちがこれに該当するらしい。勿論、俺たちが憧れる一番の夢だったりもする。

……何を隠そう俺も目指している。


 「――今年は一体誰が『昇格者プロモンド』に選ばれるんだろうな?」


  俺の口からこぼれた何気ない一言にマヒルが鼻を可愛く鳴らすとドヤ顔で宣言した。

 

 「それはもう、もちろんわたしだよ!何たって『頭脳明晰』『才色兼備』更に『容姿端麗』ときてる。うん、確実だよ、これ。むしろわたし以外ありえないまである」


  いつもなら、「まーたこいつバカなことを言ってるよ」ってツッコんでいるところだけど、彼女においては実際のところその通りなんだから困ってしまう。……認めたくないけど、その容姿についても。


 「……はいはい、ソウデスネ。つーか、そろそろ行かないと祭り、始まっちゃうぜ?」


 「リアクション薄っ!ってか、それもそうだね。んじゃ行きますかー」


 何かをごまかすように彼女に背を向ける形で席を立つと、マヒルの喜怒哀楽に満ちた声が背中に響いた。うるせぇ。一体こんな奴のどこに俺は――


 「なぁに黙って突っ立ってんのさ。行くよ、ケイちゃん!」


 どうやらフリーズしていたらしい俺に、マヒルが恥ずかし気もなく右手を差しでしてきた。その行為に俺は思わず苦笑する。そうだ、マヒルこいつのこういうところに俺はいつも救われてきたのだ。


 「なんでもねぇよ。……さぁて、『昇格者プロモンド』になられるマヒル様に今のうちから媚の一つでも売っておこうかな、くはは」


 「うわー感じ悪ぅ。ま、そんなケイト君には後で色々奢ってもらうことにしますかな。わたしの奴隷として」


  軽口を叩きつつ、俺達は教室を後にした。



――『大収穫祭』への期待に胸を躍らせていた俺達は、街があんな酷い目に遭うなんて、この時は知る由もなかったんだ。

 

 

 ――迷宮都市『阿狩陀アガルダ』。地下世界で2番目に大きい都市、それが俺達の街だ。地下の岩盤をくり抜いて作られたこの大きな都市は、外部を硬質な金属体で覆われており、さながら城塞王国の様な形状をしている。街中は数多の人工物で埋め尽くされており、街中で見受けられる自然物といえば、街壁に生い茂るコケ植物か小さな地下生物くらいだ。天井部には人工太陽が爛々と輝き続けているため、街中は昼夜を問わず比較的明るかったりする。これがこの街の『眠らない街』と謂われる由縁でもある。 

 

 「――にしても今年の大収穫祭、なんでアガルダうちが選ばれたのかな?」


 下校してから、十数分。僕らは大収穫祭で賑わう街のメインストリートを訪れていた。色とりどりの屋台に目移りしながら通りを歩いていると、マヒルが僕にそう投げかけてきた。


 「さぁな。まぁ腐っても2大都市の一角だからな阿軽陀アガルダは。それに、『亜宇屡アウル』はまだ復興して間もないだろ?そりゃ、うちになるだろうよ」

 

 「確かにそうかも。でも酷かったよね、亜宇屡アウルの大崩落。もう5年も経つのにまだ、復興作業続いてるところがあるってお母さん言ってたよ」


 亜宇屡アウル。地下世界で一番大きい都市。俗にいう首都というやつ……いやというべきか。少なくとも5年前までは。5年前、突如『亜宇屡』を襲った大規模な地殻変動は、あの街を完膚なきまでに破壊し尽くした。都市の象徴たる、地下と地上を繋ぐ巨大な昇降機――ターミナルは消滅し、大多数の家屋は倒壊、たくさんの死傷者を出した。その爪痕は現在に至っても拭いきれておらず、未だ行方不明者が発見されていない。ターミナルがなくなったせいで、地上からの救援物資の配給が滞っているのもまた復旧が遅れた理由でもあるのだろう。

 

 「……ま、まぁ。この話はここまでにしてさ。折角だし今は祭りを楽しもうよ。ね?」


  よっぽど、辛気臭い顔をしていたのだろう。マヒルは俺の顔を覗き込みながら不安げにそう提案した。若干の気まずさは感じたけれど、その誘いには乗ることにした。


  「そうだな。とりあえず、なんか食べないか?結構歩いたから俺、腹空いちゃったよ」


  「それもそうだね。勿論、ケイちゃんの奢りだけどね」


  くぅ。覚えていたのかこいつ。まぁ別にいいけれど。多少の遠慮とかはないもんかね、この才女は。


  「わーったよ。それでお嬢さんは何がお望みかな?ライム飴かな、チョコバナナかな、それとも天然飲料水?」


  「なんで、全部安いやつなんだよー。しかも最後に至っては買うまでもないじゃんか!」


  ポカポカと俺の背中を殴り付けるマヒルを適当に宥めつつ、屋台のお姉さんから二人分のライム飴を購入し、片方をふくれっ面のマヒルに渡す。


  「……文句言ってたわりには、美味そうに食べるのな」

 

 右手に持ったライム飴を満面の笑みで舐めているマヒルを見て、呆れと喜びが入り混じった感情が俺の口元をやんわりと歪ませるのだった。

 



***




 「そういやさ。『昇格者』の選定式典っていつから始まるんだ?」


  串焼きを口いっぱいに頬張り、口元をソースまみれにしたマヒルにハンカチを手渡しながら、ふと気になっていたことを尋ねた。

 

 「うーん、さっき焼きそば作っていたお爺ちゃんに祭りのパンフレットみたいなやつもらったんだけど、それによると……えと、今7時だから――後、30分くらいで始まるっぽいよ」

 

 マヒルに促されて、パンフレットの目次を見てみると『選定表彰式――19時30分~アガルダ公立中央広場・大時計台前』と書かれているのが目に映った。……中央広場か。幸い、現在地からはそう離れていない。ここからならそれほど時間はかからなそうだ。――それよりも……

 

 「いくらなんでも食べ過ぎだぞマヒル!俺の財布を何だと思ってるんだよ!」

 

 「何を今さら。ケイちゃんの財布はわたしの物、わたしの財布はわたしの物。これ常識だよ?」


 今しがた俺のお金で購入したばかりのチョコバナナと綿菓子を両手に持ち、「何言ってんだこいつ」とでも言いたげな表情で、さも当然の如く言い放つマヒルを尻目に俺は、突然頭部に痛みが走ったかのような錯覚を覚え、思わずこめかみを押さえた。

 

 いや錯覚じゃないわ。いろんな意味で痛いわ。主に心とか。現状に耐えかねた俺の思考回路が接触不良を起こし、暴走していく。


 「何言ってんだコイツ」って言いたいのは、むしろ俺の方なんだよなぁ。もうなんなの、新手の嫌がらせなの?気のせいか財布の厚みが朝方と比べて格段と薄くなっている気がする。いや、うん。気のせいじゃなかったわ。明らかだわ。奢るとはいったけど、流石にこれはない。

 それに……マズイな。このままじゃ俺の『計画』が崩れてしまう。その前に手を打たねば。


 「おーい、どったのケイちゃん。急に黙り込んで。もしかしてちょっと怒ってたりする?」


 「……いや、マヒルの欲しいものって何かなぁて考えてただけ――あっ……」


  思考停止していた俺の顔の前で反応を伺うように手を振るマヒルに気付かず、俺はあろうことか本人の前で心の中で考えていたことをそのまま吐露してしまった。


  や、やってしまったぁ。これもう終わったかな……いや諦めるな。まだ手はあるはずだ。とりあえず先ずは訂正から――

 

 「あ、あのさ――」

 「今欲しいものかぁ。そうだなぁ、髪留めかな?ほら、最近髪伸ばし始めたしね」


 俺の声を遮るように、マヒルが何でもないように淡々と答える。あれ、これもしかして気付かれてなくね?俺がマヒルにしようとしていること。――ならば好都合。この状況を利用するまでだ。


  「――へぇ、髪留めね。確かに髪、伸びたよな。でも髪留めなら持ってなかったか。ほらあの初等部上がる前にあげたやつ」


  「それ一体いつの話!?流石にあれは恥ずかしくて着けれないでしょ、だっててんとう虫だよ、てんとう虫!……まぁ一応まだ取っておいてあるけど」


  「恥ずかしいとは失敬な。可愛いじゃないか、てんとう虫。じゃあ逆にどんなのだったらいいんだよ!」


  「むっ。そう言われると中々思いつかないんだよ。でも色は翡翠がいいよね。ほらなんか、わたしのイメージカラーっぽいじゃん」


  ――色は翡翠と。よし覚えた。


 「ていうか、さっきからどうしたのさ。なんかいつもより様子おかしいような気がするけど」

 

 「……いつも普通だろ。何俺がいつも変人みたいな感じになってんだよ。それよりもそろそろ『表彰式』始まるぞ、行こうぜ!」


  色々腑に落ちてなさようなマヒルの手を引き、俺たちは『アガルタ公立中央広場』へと向かうことにした。


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