第2話 炎熱下での作業なんてもっての外

 塗り潰されたように濃い青空のど真ん中に、強烈な日差しを放つ陽がどんと存在感を主張している。降り注ぐ陽光は肌に痛いほどで、まともに見返そうものなら若草色の瞳には焼きついてしまいそうだ。

 こんな日は冷房の効いた部屋に閉じこもって、きんきんに冷えたエールで喉を潤すのが、人として本来あるべき姿だろう。間違っても外に出て陽の光に晒されるもんじゃない。ましてやそんな状況で作業なんて、もっての外だ。

 麦藁帽子程度では気休めにもならない。額から溢れ出す大量の汗は眉の上に溜まり、その端から零れ出す。目に入った汗が染みて、思わず手の甲で拭い取っていると、その瞬間を見逃さないかのように声が浴びせかけられた。

「ソリオ、手が止まってる! 一番摘みは時間との勝負だって言っただろう!」

 若い女の声にどやされて、ソリオは大袈裟に肩をすくめる。

「ちょっとは大目に見てくれよ、ナラ。こちとら慣れない野良仕事で、肩も腰もばきばきなんだ」

 だがナラと呼ばれた女は、ソリオの泣き言に耳を貸そうとしない。

「一番葉だけは手摘みしか出来ないんだから、そんなこと言ってる暇ないんだよ。全部摘み終わるまでは休み無しだからね!」

 そう言ってナラが小麦色の顔をぷいと背けると、頭を覆うバンダナの下から伸びる長い黒髪の先がつられて靡く。農作業に日々励んできたという彼女の姿は健康的な魅力的に溢れているのだが、今のソリオには彼女に見とれる暇も許されない。

 目の前には青々と繁る畑が、独特の鼻を刺すような香りを匂い立たせながら、一面に広がっている。この畑で栽培された龍爪草タツメグサの、てっぺんに生えた一番葉と呼ばれる葉を全て摘み終えること。それが今の彼に課せられたミッションなのである。

 一番葉の摘み取り作業自体は、素人でもそれほど難しいものではない。だが腰を屈めての摘み取りを延々、朝の五時から陽が高く昇るまで続けるのだ。二十代半ばのソリオは体力には年相応の自信があるが、そんな彼にも農作業とは相当に堪えるものであった。

「なんで俺はこんなことやってんだろうなあ……」

 腰を叩きながら思わず天を仰ぎ見れば、ぎらぎらと凶悪な日差しにすぐ面を俯かされる。そしてナラには「いつまでもサボってると、飯抜きだよ!」と怒鳴られる。

 大きくため息を吐き出し、長身を窮屈そうに屈めて龍爪草タツメグサの一番葉に手を伸ばしながら、ソリオはこの状況に陥ってしまった経緯を思い返す。


 ◆◆◆


 十分に返済出来る見込みで借りた金が、予想外のトラブルで返せなくなるなどよくある話だ。だからソリオが借金を返せずに身柄を取り押さえられたのも、そういうよくある出来事の延長上にある、つまりはありふれたことであった。

 それはソリオが総督府付の管理官という、極めて公的な肩書きの持ち主だとしても、免れるものではない。

 あえてありふれてない点を挙げるとすれば、ソリオが知らず知らずのうちに債権者を散々に虚仮にしてしまっていたということだろうか。ソリオにしてみれば意図したものではないにしろ、相手がそんな事情を汲んでくれるはずもない。

「ソリオ・プランデッキ、君は大変に優秀な男だと聞いている。君が持ち前の能力を発揮して、借金分を上回る働きぶりを見せてくれるものと信じているよ」

 丁寧な口調にはそぐわないだみ声の主は、ソリオに散々虚仮にされたその債権者にして、この星の経済を表からも裏からも牛耳る、ゲンプシーという恰幅の良い男であった。

 ちょび髭を蓄えたゲンプシーの顔は微笑を浮かべてこそいたものの、彼のこめかみには青筋がありありと浮かんで見えた。目が笑っていない笑顔というものを、ソリオはよくよく目にすることが多い。

「私の商会は農園の作物の卸しを一手に引き受けているが、その農園が人手不足で困っているそうだ。君のように若くて活きのいい、しかも優秀な男が派遣されれば、きっと彼らも喜ぶだろう」

「お言葉ですがゲンプシー会長。俺はどちらかというと頭脳労働派なんで、果たしてお役に立てるかどうか」

 ソリオのささやかな抵抗は、当然の如く無視された。かくして彼は海を隔ててフロート市から遠く離れたおかの、農園に放り出されることとなる。

 おかでソリオを出迎えたのは、エムデバという巨漢の黒人であった。

「ゲンプシーの奴、随分とまあ、なまっちろい野郎を寄越したな」

 エムデバは太い両腕を組みながら、そう言ってソリオの顔を見下ろした。

 ソリオも背が高い方だが、エムデバの背はそれよりもさらに高い。短く刈り込まれた白髪頭や太い顎を覆う白髭から察するに、おそらく初老の域だろうが、黒い肌の下には筋骨隆々とした屈強な体格が覗く。痩身のソリオが飛びかかったとしても、片手一本で払い除けられるだろうことは容易に想像がついた。

 一方、いかにも畑仕事とは無縁な赤毛の優男を目の前にして、エムデバにしてみればそう零すのも無理からぬところだろう。

「仕方ねえ。赤毛に赤鼻、お前らふたり揃えばひとり分ぐらいは役に立つか」

 エムデバの言う通り、フロート市からおかに連れ出されたのは、ソリオひとりだけではなかった。

 彼と共に並んで立つのは、ソリオやエムデバに比べればかなり小柄な男。陰気な表情の中央に赤鼻を際立たせる彼はマッカーナという名の、つい先日までゲンプシーの側近だったという。

「こんな野郎と一緒にするな」

 マッカーナは派手な舌打ちと共に、ソリオの横顔に敵意丸出しの視線を寄越した。

 ソリオはこの農園に至る道中から彼と一緒なのだが、マッカーナは初対面から愛想の欠片も見せない。どうやら上司のゲンプシー同様、彼もソリオに虚仮にされた口らしい。というよりもソリオ絡みでマッカーナが失態を犯し、引いては上司のゲンプシーまで大迷惑を蒙ったのだろう。

「俺がこんなところに飛ばされることになったのは、全部てめえのせいだ」

 そんな言葉を恨みがましくぶつけられても、ソリオには一向に心当たりがない――わけではなく、むしろ心当たりが多すぎて、マッカーナがそのどれを指しているのかわからない。

 恨み骨髄のマッカーナを見て、エムデバはソリオに呆れ顔で尋ねた。

「お前は何をやらかしたら、ここまで恨みを買えるんだ」

「なんていうか、お互いに不幸な行き違いがあったとしか……」

 肩をすくめながら薄ら笑いを返すソリオを、エムデバが白けた目つきで見返す。

「まあ、いい。お前たちの間にどんな因縁があろうが、俺には関係ねえ」

「ごもっとも」

 へらっと頷くソリオと、その横でむっつりと押し黙るマッカーナの顔を見比べてから、エムデバはふんと鼻を鳴らした。

「お前たちの働きぶりは、俺からゲンプシーに報告することになっている。お前たちの行く末を決めるのは、つまり俺次第ってことだ」

 どうせそんなことだろうとは思っていたが、改めて宣言されると気が滅入る。ソリオの内心のため息を知ってか知らずか、エムデバは分厚い胸を軽く反らしながら、あからさまに威圧的な表情を見せた。

「この農園にいる間、てめえたちは俺の言うことには絶対服従だ。わかったな」

 念を押されるまでもないというように、ソリオもマッカーナも黙って首を縦に振る。

 そして満足そうに頷いたエムデバが彼らに命じたのは、彼の友人の娘ナラの、龍爪草タツメグサ畑の手伝いであった。

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