第1話 転生女神とアイドル勇者

 私の代わりに異世界に旅立った前任の女神は、元女神らしくチート能力を駆使して異世界を満喫しているようだった。

 仲間を増やし、魔王討伐に向けて旅をした。


 その一部始終は語るも涙、聞くも涙……かどうかは知らないが、見るものをはらはらどきどきさせ、友情、努力、勝利、あとほんの少しのラブロマンスで構成された……そんな感じの王道異世界冒険譚だった。

 最後は魔王を道連れに火山に飛び込むと、親指を突き出しながらマグマの中に沈んでいった。


 おそらくその親指は、彼女の仲間にも……そして傍観者たる私にも向けられたものだろう。

 やりきったぜ、的な。私は女神の間で一人、彼女に拍手と賛辞を送った。

 ブラボー。いや、ブラバーか。

 壮絶な人生(神生?)だったろうが、本人が満足ならそれが一番だ。


 前任の女神が死んでからと言うもの、私は退屈を持て余しはじめた。

 お気に入りのドラマが終わってしまったような……そしてその主演俳優が死んでしまったような、そんな感覚が近いかもしれない。


 女神の身体は、食べることも、眠ることも必要なかった。

 することと言えば、たまに現れる転生者の案内と、転生先の異世界の映像を小さな水鉢から覗くくらいだ。


 何人か送り出した転生者の行動を追いかけてみたりもしたが、魔王が倒されたこともあって、前任の女神よりも面白い異世界ライフを送るものはいなかった。


 端的に言えばつまらなかった。

 退屈に辟易した。話し相手もいなければ、暇を潰すものもない。


 この部屋から出られないことはすでに確認した。

 ドアもないし、窓もない。転生者が入ってくる扉も、転生者が出て行く扉も、私はくぐれなかった。


 ぼんやり水鉢を眺めるだけの日々。

 前任の女神が言っていたことが分かった。これは地獄だ。ゆるやかな地獄だ。


 部屋の中に鐘の音が鳴る。

 転生者が来る合図だ。


 以前は心待ちにしていたこの鐘の音にも、今は特に何も感じない。

 ほんの一瞬、僅かな時間の退屈しのぎだ。

 長い長い時間の中の、ほんの一瞬。

 それが何になると言うのだろう。


 だらりと椅子に腰掛けたまま、転生者を待つ。

 扉が開く。転生者が、ふわりと部屋の中に降り立った。


 天使かと思った。


 女神の元に天使が降り立つとか、これは出来すぎではないだろうか。

 私は確かに、彼女の背後に白い翼と後光を幻視した。


 亜麻色の髪は肩より少し下くらいのストレートで、柔らかく風を含んでいる。

 こぼれそうなほど大きな瞳は色素が薄く、きらきらと光を取り込んで輝いていた。

 睫毛は長さも密度もエクステ級だ。


 丸みのある頬はほのかに桜色が挿し、唇はほころび始めた薔薇の蕾のよう。

 そのすべてが最高級のパーツが、小さな顔に完璧に配置されていた。


 華奢な身体に、白い肌。

 細いけれど健康的な曲線を描く長い脚。

 制服のスカートと白い三つ折ソックスの間のすべてが絶対領域と化している。


 何年も1人ぼんやり過ごしたことですっかり語彙力の溶けてしまった私が一言でまとめるなら、「は? 顔良っ」である。


 残念ながら私は、天使が目の前に現れたときに掛けるべき言葉を持っていなかった。

 しばらく口も目も開きっぱなしで目の前の存在を凝視する。


 一瞬にしてこの部屋の空気がものすごく美味しいものに変わったように感じられる。

 彼女を生み出したこの世界が素晴らしいものに思えてくる。


 陳腐な表現をするのであれば……モノクロ2階調だった私の世界が、彼女を中心にRGBフルカラーに書き換えられていったようだった。


 顔が良い、ああ顔が良い、顔が良い。とにかく顔が、素晴らしく良い。


 まったく風流を解さない人生を送ってきた私が、思わず一句読みたくなってしまうほどの美少女が、そこにいた。

 ちなみに季語は「顔が良い」である。春の季語だ。今決めた。


「あ、あの。ここは、一体、どこなんでしょうか……?」


 さやさやと鈴蘭が揺れるような音――声がした。

 目の前の天使からそれが発されたのだと気づいた瞬間、私は脳内で五体投地して神に感謝した。


 声まで可愛い。

 無理。可愛い。


 甘くやさしい響きを含んだ、特徴的でありながら万人受けするような声だ。

 この顔の、この見た目の女の子からこの声がしたら、全人類が思わず神に感謝しちゃうだろうな! という声だった。

 僭越ながら全人類を代表して神に感謝しておいた。


 あ、私女神だったわ。神、私だったのか。サンキュー私。やるじゃん私。

 女神になってよかった。地球に生まれてよかった。

 ここたぶん地球じゃないけど。


 声に感動しすぎて理解が遅れたが、彼女は私にここがどこかと問いかけているようだった。

 無視をするわけにはいかないので、何か返事をしようとする。

 だが、頭の中の自分が猛烈にブレーキを踏むせいで、言葉が喉につかえて出てこない。


 え? 今ここで万が一私が何か言葉を発したら、この素晴らしい声の余韻が失われてしまうのでは?

 ていうか彼女が吸って吐いた空気を私が吸って吐いたりしていいものか?

 私のようなゾウリムシごときが?


 そも、私の吐いた空気を彼女に吸わせているかもしれないこの状況、万死に値するのでは?

 すみません、息止めます。いや、息止めたら死ぬわ。


 私は脳内の自分を黙らせて、えへんえへんとわざとらしく咳払いをしてから、彼女に話しかけた。


「こ、こういうところ、初めて!?」

「え? えっと、はい」


 間違えた。

 初手、間違えた。キャバクラじゃねーか。


「ど、どこ住み? 会える? 通話しよ?」

「え? ええっ!?」

「な、なーんちゃって!」


 ダメだ、口を開けば開くほど墓穴を掘っていく。掘削機に生まれていたら天職だっただろう。


 親父ギャグと「ナンチャッテ(舌を出してウインクする絵文字)」を多用するおじさんの気持ちを理解してしまった。出来れば一生知りたくなかった。


 後ろを向いて彼女から視線を外し、深呼吸する。直視してはダメだ。斜め上か下を見よう。

 くるりと振り向いて、彼女の斜め5センチほど上空に視線を固定する。


「な、名前は?」


 やっと、まともなことが聞けた。

 彼女は少し間を置いて、また薔薇の蕾のような美しい唇から、小鳥の囀りのような愛らしい声を発する。


「い、伊月いつき星空せいらです」

「せいら」


 せいらたん。


 お名前も世界で一番可愛い。天才か?

 月と星と空が1人の名前に同居してるとかそんなことある?


 女児アニメの主人公じゃん。宇宙コスモじゃん。ユニバースじゃん。

 私は宇宙の真理を彼女に見出した。


 産んでくれたご両親と名付け親に感謝しかない。毎年お歳暮で蟹とか贈りたい。未来永劫。


「えーと。セイラさん。残念ですが……あなたは亡くなりました」

「えっ!?」


 セイラたんの顔が曇る。


 ああ、胸が痛い、張り裂けそうだ。

 こんなにつらい宣言をしなければならないなんて、女神になんかなるんじゃなかった。


 これは前世で何かひどい悪行を積んだ私に対する罰なんじゃないかと思うくらいだ。

 子猫を助けてロードローラーに轢かれただけの善良なOLだったのだけど。

 じゃあ前々世で何かしでかしたのだろうか。もしくは前々々世?


「そ、そっか……わたし、死んじゃったのかぁ……それは、えと。残念です」


 寂しげな表情で笑うセイラたん。

 きゅっと胸が締め付けられる。


 こんなときまで笑わなくたっていいんだよ、という気持ちにさせられた。

 きっとつらいときも悲しいときも、いつも笑顔で過ごしてきたのだろう。

 よく知らないが、そうに違いない。だってこんなに美少女だから。

 うんうん分かるよ。泣いていいんですよ、お姉さんの胸で。


「ええ、ほんとうに残念ながら。世界の損失です。今頃あなたの元いた世界では、天が泣き地が割れ株価が暴落し桶屋が倒産して魔界の門が開いて地球温暖化が進み隕石が降り注ぎ阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられていることでしょう」

「そ、そんなことが!?」


 彼女がいなくなってしまった後の地球を思うとやりきれない。

 そのぐらいの天変地異が起こっていてしかるべきだろう。これでも生ぬるいくらいだ。


「ですが、セイラさんには厳正なる抽選の結果、第二の人生がご用意されました。剣と魔法とファンタジーの世界に転生して、チート無双するもよし、田舎でスローライフをするもよし、魔法学園で甘くて酸っぱい恋愛体験をするもよし、新たな魔王となって君臨するもよし!」

「魔王!?」

「転生にあたって、まずは職業を選んでもらう……の、でーすーがー」

「ですが?」


 私の前フリに見事大正解の相槌を打ってくれるセイラたん。

 打てば響く。素直な反応が実に心地よかった。


「あなたの職業ジョブは私が決めました。ええ決めました、今決めました」

「えっ」


 私は握った拳を天高く突き上げる。

 今女神権限を行使せずして、いつするのか。今でしょ。


「アイドルです!」

「あ、アイドル!?」


 セイラたんが目をまんまるに開いてぱちぱちと瞬きをした。

 ああ、きっと今発生した風で、どこかの桶屋が儲かったに違いない。倒産してるかもしれないけど。


「で、でもわたし、そんな、地味だし。アイドルって、もっと、きらきらした子がなるもので」


 は――――????????

 何を言ってやがるのかな??????


 ダイヤモンドの原石どころか磨き上げられてあとは台座に嵌まるだけみたいな輝きあふれる華のかんばせをしておいて、何を言ってやがるのかな?

 謙虚は美徳とかいう考え、駆逐されろ。今すぐ。ライトナウ。


 セイラたんもしかして家に鏡なかった系? 買ってあげるよ?

 女優ライトついたやつ、買ってあげるよ? フラン○ランのやつでいい?


「そ、それに……せっかくなら魔法使いとか、勇者とか」

「分かりました」


 ちょっと恥じらった様子で言われて、私は即行で手のひらドリルした。


 そうだよね、せっかく剣と魔法の世界に転生するんだから、魔法とか使ってみたいよね。

 うん、分かる分かる。魔法に憧れちゃう無邪気な少女性、尊い。守りたいこの笑顔。


「ではあなたの職業ジョブはアイドル勇者です!」

「アイドル勇者!?」


 一見相反するようだが、アイドルも勇者も「救済」であるという点は共通している。

 その存在が人々の心を支え、見るものの心を奮い立たせる。

 誰かにとっての希望の象徴なのだ。

 勇者に救われた人間がいるように……アイドルに救われた人間がいる。私とか。


 そう。私は前世でそこそこのオタクであった。

 いろんなジャンルを広く浅く履修していた私が、唯一どっぷり肩まで浸かった沼。それこそが「ドルオタ沼」である。


 ステージに立つ彼女たちを現地で応援するために積んだCDは数知れず。

 もっと大きな箱で躍らせてあげるために溶かした諭吉も数知れず。


 目の前に立つ素養しかない少女を前にして、女神として退屈している間に忘れかけていた熱い情熱が蘇ってきた。


 そうだ。

 推しがいないから、私の生活はつまらなかったのだ。


 そう思うと、ぱっと道が開けた気がした。

 前任の女神がいたときは、自覚がないなりに彼女のことをそれなりに推していたのだろう。

 それがいなくなって、私は退屈していた。供給に飢えていたのだ。


 推しがいないなら、作ればいい。生み出せばいい。

 DIYだ。Do it myself!

 だって私は、女神なのだから。


 地球の神様だって7日間あれば人間を作ってしまうのだ、私がアイドルを作ったっていいだろう。

 Do it 神self!


 自分で作れば、私のチケットがご用意されないなんてことはない。

 ライブビューイングのクソみたいなライティングとクソみたいなカメラワークにブチギレることも、推しの歌割が少なくて泣くこともない。

 SNSで推しが他担から「お荷物」とか叩かれているのを見てスマホの画面を叩き割ることも、地上波放送で推しの出番がほぼ全カットされてハンカチを噛むことも、ない。


 それどころかそのあたりの不満をすべて解消した、推しやすく推し甲斐のある最高のアイドルを生み出すことだってできるかもしれない。

 何てったって女神である私が総合プロデュースを手掛けるのだ。事務所のしがらみも芸能界的な制約も一切存在しない。


 女神の女神による女神のためのアイドル。もはや女神アイドルだ。

 女神アイドル育成計画、略してVVenus.IIdol.PProject。ナンチャッテ(舌を出してウインクする絵文字)。


 セイラたんを見つめて、私は力強く頷いてみせる。

 セイラたんも、私に頷き返した。


 安心してね、セイラたん。絶対にスターダムを駆け上がらせてみせるから!


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