第十五話 共倒れ


「クジでペアを決めないかい?」


 この戦もらった。


 香夜は静かに瞳を閉じた。

 この歓喜を決して表に出してはいけない。


 レナは言っていた。

 ある仕掛けを施したクジで、必ず香夜と詠をペアにすると。


 仕掛けの内容は教えてもらえなかった。一家相伝の愛の秘法らしい。

 彼女の一家にはラブゲームを制するためのに、ありとあらゆる技が伝えられている。王様ゲームで必ず王様になる秘法や、野球拳で自分は一枚も脱ぐことなく相手を剥く秘法。今回は肝試しで意中の人と必ずペアになる秘法の応用だそうだ。


 彼女の家系は業が深すぎると思う。

 まあ、そのおかげで香夜は詠の心を手中にすることができるのだが。


 呼吸が早まらないように意識してから瞳を開ける。


「どのような結果になったとしても、文句をつけないのであれば、わたしは構いません。──もちろん兄さんとペアになるのはこのわたしですけれど」


 ここで視線を梨紅にやる。

 彼女は好戦的な笑みを浮かべると、足りない胸を張った。


「こっちのセリフだよ。後で吠え面をかかないようにするんだね」


 馬鹿な女だ。

 開戦する前から戦いは始まっているというのに、それに気づかないなんて。


「まあまあ、二人とも落ち着いて、ね」


 由希が宥めるようにクジのやり方を説明する。

 男性グループ、女性グループに分かれてクジを引く。

 レナは男性陣としてカウントすると告げられる。

 レナは同性愛者でも男役タチだから男性陣にカウントされた方が色々と楽しめると無表情に声だけで笑っていた。

 自身はまりあとペアを組むように仕組むらしい。

 怖いと言いつつ、まりあの巨乳を揉みしだくのだろう。

 まりあはとても良い人だ。あの梨紅《アバズレ》の友人にしておくのは惜しいほどに。

 だが、詠とペアになるためだ。

 生贄になってもらおう。

 たとえレナの毒牙にかかり、その後の人生観が変わろうとも、香夜が詠と結ばれるためだ。尊い犠牲だと割り切る。


 由希の説明は続く。

 まず男性陣からクジを引く。

 その後に、女性陣だ。


 クジは紙をさいて作られていた。

 男用、女用とそれぞれ三本ずつ。

 番号が振られていて、同じ番号の人がペアだ。


「では、詠からどうぞ」


「一番だ」


 詠が引いたクジを皆に見えるように上げた。


「次は、レナさん」


「三番」


「じゃあ残り物である僕は、二番だね」


 男性陣のターンエンド。

 これからは女性陣のターンである。


 まりあが由希からクジを受け取る。数字の書かれた部分を握り込み、香夜と梨紅の前に差し出す。


 場の空気が張り詰めた。


 どちらが先に引くかで、香夜と梨紅の視線がぶつかりあう。

 空気が張り詰め、互いの魔力で空間が軋んだ。

 二人の中心点で火花のように光が瞬くのは、想いがせめぎ合い魔法の前兆として顕れているからだ。


「……ふ、二人同時に引けば良いと思うっ!!」


 まりあが悲鳴をあげるように呼びかけた。

 ファインプレーであった。


 二人は示し合わせたわけでもないのに同時に動き、それぞれ別のクジに指をかけた。


 そして──


「一番です」


 当然の如く、香夜が勝利した。


 声もなく梨紅が崩れ落ちるように膝をつく。

 彼女が握っているのは二番のクジだった。

 それを見て由希が少なくない驚きを顔に浮かべている。唇が戦慄くように動く。

 どうやらイカサマを見破ることができず、本当に偶然なのかと判断がつかないでいるようだ。それに意中の梨紅とペアになれたこともあり動揺しているのだろう。


 本当にレナはどんなトリックを使ったのであろう。

 気にならないと言えば嘘になるが、この際使えるのだから良しとする。


 魂が抜けたように身体から力が抜けた梨紅がそのまま倒れそうになる。


「梨紅ちゃん!」


 咄嗟にまりあが梨紅に駆け寄り、肩を支える。

 彼女は人の心配をするよりも、ウォータースライダーに乗るとき、どうやって自身の貞操を守るかを考えた方が良いと思う。

 その思考を、最後に梨紅たちから視線をきる。


「兄さん、よろしくね」


 はにかむように香夜は言った。

 兄攻略はここからが正念場である。

 表面上では兄と戯れる可愛い妹を演じながら内心ではかなり緊張していた。


 雲でつくられたかのようなふわふわした白い台にのぼる。

 そのには、連結された浮き輪のようなものがセットされていた。


「香夜は前と後ろどっちがいい?」


 少し悩む素振りをみせてから香夜は彼を見上げた。


「前がいいんだけど、ちょっと怖いな。後ろから落ちないように抱えてくれる?」


 無邪気を装って詠に言う。


「ああ、いいよ」


 妹相手にドキドキする兄はそこにはいなかった。

 だがそれも──これまでだ。


「ありがとう!」


 兄の手を引いて、乗り込む。

 そこで詠の胸に背中から大胆に寄り掛かる。彼の腕を持って自身のお腹にまわさせる。


「…………っ!」


 兄の動揺が触れた肌から伝わってきた。

 二人は水着である。衣服を介さずに肌がここまで触れあう機会など普通に生活していたらあり得ない。

 だが今はプールという非日常。下着よりも面積の小さい布しか身につけていないのだ。


 見上げると、詠は顔を赤くして香夜を見ないようにしていた。


「兄さん、ちゃんと腕に力を入れて。──落ちたらどうするの?」


 詠の耳に吐息をかけるように囁く。

 びくりっ、と詠の肩が揺れた。


 恐る恐る香夜のお腹にまわした腕に力が入る。ちらりとこちらを見た視線がばっちりとあった。

 香夜はすかさず艶然と微笑んだ。

 先程までの無邪気な妹の笑みではない、女を全面に出した会心の微笑みである。

 ──詠の心にダイレクトアタック。これは効いている!

 そんなナレーションが聞こえた気がした。


 ──ギリギリギリギリギリギリッッ!


 音がする方を見やると、後ろで由希と順番待ちをしていた梨紅が血涙を流さんばかりに歯を軋ませていた。

 由希がその表情に慄いている。


 それを鼻で嘲笑い、香夜と詠を乗せた浮き輪は流れだした。


 後ろで梨紅の怒号が聞こえた気がしたが、そんなことに意識を割いている場合ではない。

 浮き輪はドンドン加速していく。


 これ幸いと香夜は小さい悲鳴をあげて詠により密着する。

 背中につけた頬から詠の激しい鼓動が振動として伝わる。

 それが恐怖からなのか、それとも香夜と肌をあわせているからなのか、どちらでもよかった。


 恐怖に鼓動を早めているのであれば作戦通りだし、香夜にドキドキしてくれているならばこのまま押すだけだ。


 スライダーの終わりが近づいている。

 出口から飛びだす。


 ここで香夜は、さらに作戦を進めた。水着の上の紐も解いたのだ。まるで衝撃で水着が脱げたかのように演出するために。


 ──着水。


 梨紅はわざとバランスを崩して詠とともに水面に落ちた。

 詠に胸に縋りつく。腕を首にまわし決して離れないように。

 それに気がついた詠が彼女の腰に手をまわしつつ声をかけてきた。


「ぷはっ! 大丈夫か、香夜?」


「……ごめん、離さないで」


 潤んだ瞳で詠を見上げる。


「水着がどっかいったみたいで……」


 香夜の上半身が裸なことに気づきた詠はその身を固くした。

 香夜の勘違いでなければ下も硬くなったような気がした。


「兄さん……」


 触れあった胸から互いの鼓動が伝わる。どちらの心臓を激しく動いていた。

 視線が絡み、目が離せなくなる。


 ──ここが勝機!


 香夜が想いを告げようと口を開いた瞬間──


 衝撃がその身を襲った。


 悲鳴をあげ、その身が宙を舞う。

 まるで走馬灯のようにすべての動きがゆっくり見えた。

 その視界の端に信じられないものが映る。梨紅の勝ち誇った顔であった。

 そこでようやく何が起こったかわかった。

 梨紅と由希の乗った浮き輪に衝突されたのだ。


 後で知ったことだが、嫉妬に狂った梨紅は、想いの力魔法で浮き輪を加速させ、このウォータースライダーの最高速レコードを叩き出した。

 その速度のまま出口を飛びだし、香夜を詠もろとも轢いたのであった。


 もちろん、ぶつかった衝撃で梨紅と由希も水面に激しく身体をたたきつけられた。

 四人は仲良く意識を失い、プールに浮かぶことになった。


 ちなみにレナはこのウォータースライダーをまりあの巨乳をこれでもかというほど堪能した。

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