屋上にて、「ありがとう」を投げ捨てた。
ユキタカシ
屋上にて、「ありがとう」を投げ捨てた。
一学期終盤の初夏のころ。僕は思い切って、自分の通う高校の授業をサボってやった。
理由なんて特にない。強いて言えば、自分が何者なのかを知りたい、って感じ。いや、それでも意味は分からないが。
キーンコーンカーンコーン。いよいよ昼休みの終了を告げるチャイムが鳴った。それと同時に、僕の中で謎の高揚感が渦巻いた。やっべぇ、なんかテンション上がってきた……!
サボりと言えば屋上。浮ついた気持ちでそう思って、僕はこそこそと屋上に向かう。
そして屋上の入り口まで来たところで、99%の気恥ずかしさと1%の違和感を覚えた。あれ? そういえば屋上って、立ち入り禁止じゃなかったか? でも、扉は開いている……
サボり独特の高揚した気分が僕に無敵のパワーを与えているかのように感じられて、僕は屋上に足を踏み入れた。普段なら、絶対しないだろうに。
呑気なもので、屋上に入った瞬間の違和感に気付けなかった。屋上ってこうなってるんだ、すげえ……僕はしばらく屋上散策に明け暮れた。その時は、何を見ても凄みを感じた。どこでも見られる室外機が立ち並ぶだけの光景であったとしても、未知の世界に来たようなワクワクが止まらなかった。
だからそれを見た時、僕は異世界人なのだと数瞬、本気で思ってしまった。
驚くほど長い黒髪に覆われた、白くて美麗な顔。肌を包むその服装が僕と同じ高校の制服であったため、異世界人ではなく同じ学校の生徒なのだと遅れて分かった。さらに遅れてスカートも見え、女子であることも。
異世界人ではなかった女子生徒と目が合った。遠巻きにもわかるくらい、彼女の瞳は昏かった。しかし、それがいけなかった。日常では見られないその昏さが、いまの僕の高揚感を高めてしまったのだ。
「ねえ、知ってる? たった一言、『ありがとう』で、人は殺せるんだよ?」
極めつけの謎めいたひとこと。僕は一瞬にして彼女の虜になった。
「……ど、どういう、意味? それ……」
「そのまんま。どんな言葉でも、人を殺せるくらいの力はあるよねって。そう思ってさ。それがたとえ人を称賛する言葉でも、感謝の言葉でも」
「へ、へえ。そうなんだ……面白いね、それ」
「面白い? そんな風に思ってくれるんだ。そんな人、初めて。キミこそ、面白いね」
僕の興奮は止まることを知らなかった。彼女が話し、微笑む姿を見れば見るほど、自分に色がついていくような感覚に襲われて、それが最高に気持ちよかった。
「ねえ、もっと教えてよ、キミのこと。キミの考え。もっと、知りたいんだ」
「……そっか。わかった。ならまた明日、ここに来て。そしたらわかるよ、私のこと。私の考え」
「そうなんだ……じゃあ、また明日。話してくれてありがとう!」
「……うん。ありがとう」
そのまま僕は屋上を後にした。なんとなく、そうした方がいい気がして。
すぐに自分が授業をサボっていたことに気付いて、何をするべきかもわからなかったから、結局授業に遅れて参加した。教師にこっぴどく叱られたけれど、そんなことは頭には入ってこなかった。彼女への想いが膨れていって、僕に全能感を与えていたのだ。
だからそれを見た時、その空席こそが正しい姿なのだと数瞬、本気で思ってしまった。
翌日、約束通りにまた昼休みに屋上に行った。しかし、彼女はいなかった。
何やら下が騒がしい。神にでもなったつもりで屋上から見下した——何かの血と臓物が弾けているのを初めて見た。
その肉塊には「ありがとう」と刻まれているように見えた。
了
屋上にて、「ありがとう」を投げ捨てた。 ユキタカシ @yukiyuki20
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