卒業を前に ③

 俺と美影は注文した飲み物とデザートを持って席に移動した。二人掛けのテーブルに向かい合って座った。


「……ねぇ、そろそろ機嫌を直してよ!」

「ん……どうしようかな?」


 実際はそこまで機嫌を損ねた訳ではないが、ちょっとだけ悔しいのでフリをしていた。さすがの美影も余裕がなくなってきたみたいだ。いたずらに続けてもいけないのでそろそろフリをやめることにする。


「うぅ……よしくん……」

「もういいよ、本当はそんなに拗ねてないから」

「ほ、本当に?」


 落ち込みそうになっていた美影は俺の言葉を聞いてほっとした表情に変わる。俺は頼んだコーヒーを一口飲み微笑んだ。落ち着いた様子の美影も飲み物を飲んで一息をついた。

 美影と二人だけでこうやって過ごす時間は今日で最後になるがあまり現実感はない。お互い嫌になって別れる訳ではないからそう感じるのかもしれない。美影もあまり最後だという雰囲気を出していないから余計にそう思ってしまう。


「合格発表はいつなんだ?」

「えっと、卒業式の三日後だよ」

「そうか……それでどうなんだ?」

「ん……五分五分って感じかな?」


 渋そうな顔をして美影が答えた。さすがに最難関の大学を受けているから簡単にはいかないのだろう。


「でも第二志望の私大は受かっているんだろう?」

「うん……だからどっちにしても地元を離れることになるわね」


 ちょっと寂しそうな顔をして美影は返事をした。俺と絢は地元に残る事が決まっているので美影だけ離れてしまう。今は様々な手段があるので顔を見ることは容易に出来るが、簡単に会う事は出来なくなる。


「でも夏休みとかは戻って来るんだろう?」

「うん、もちろん帰ってくるよ」

「……よかった」

「ふふっ、私がいないとやっぱり寂しい?」


 美影がぱっと嬉しそうな笑顔に変わる。その顔がすごく可愛いくて思わず照れてしまった。


「い、いや、絢が寂しがるだろう」

「ふふふ、じゃあ、そういうことにしておこうかな」

「な、な、なんだよ、その顔は……」


 美影はまだ嬉しそうに笑っている。言い訳がましく聞こえたのが俺は少し悔しかった。でも本音はそうなのかもしれない……


「……また三人で遊びに行けたらいいね」


 美影がちょっと寂しそうな顔で呟いた。最後に三人で会ったのはお正月の初詣の日だ。これからはそれぞれがバラバラの進学先になるので三人が揃う機会は限られてくる。でも絢も美影と同じ考えをしているはずだから大丈夫だと思う。


「行けるよ、また三人で……」


 静かに俺が答えると美影は嬉しそうに頷いていた。

 一度お店を出ると、再び手を繋いで歩き始める。最後のデートだけどもともと予定していなかったので何も考えていない。美影も特に行きたい所がある訳でもないみたいだ。


「ごめんね、私のわがままを聞いてもらって……」

「いいよ、気にしなくても……でもなにもなくて」

「ううん、いいの……ただ一緒にいたかっただけだから」


 寂しそな顔をする美影は繋いでいた手をギュッと握ってきた。美影と約束したのは半年前でまだ時間があると思っていたがもう今日で終わりになる。だからと言って明日になると大きく変わるとは思っていないしやはり実感がない。


 小一時くらい歩いていたので近くにあるベンチに座ろうと美影に尋ねると頷いてくれたので座ることにした。


「ねぇ、明日、あーちゃんに会うの?」

「あぁ、卒業式が終わった後に約束はしているよ」

「そうなの……ちゃんと伝えられる?」

「う、うん、たぶん大丈夫なはず……」


 自信なさげに答えてしまったのがいけなかった。美影は大きなため息を吐いて強めな口調になる。


「もう、そんなことでいいの? しっかりしてよ! あーちゃんは三年以上も待っていたのよ!」

「わ、分かっている……ちゃんと決めるから、そんなに心配しなくても大丈夫」


 今度は自信があるのではっきりとした返事をした。美影にこの話をされるとは思っていなかったので少し驚いた。


「……よかった、これで安心して地元を離れられるよ」


 美影は俺の目を見て小さく頷き納得した表情を浮かべた。いつもは凛としたイメージが強い美影だけど、なんとなく寂しげな雰囲気が入り混じったように見えた。

 俺まで暗くなってはいけないとせめて残りの一緒にいる時間は明るく振る舞うことにした。美影も俺の事を気にしてその後はいつものデートの時のように過ごすことが出来た。


 いつもと変わらない雰囲気で時間が過ぎて、気が付くと窓の外は夕焼けで赤くなっていた。まだ明日は本番の卒業式がある。そろそろ帰らないといけない時間だ。美影も察したようで二人でバス停に向かった。

 美影とは乗るバスが違うので、このバス停でお別れになる。まだバスが来るまで時間が少しある。バス停からちょっとだけ離れた場所で待つことにした。


「ねぇ、よしくん……最後の最後にお願いを聞いてくれるかな?」


 辺りはだいぶ薄暗くなってきていたが、美影の表情をはっきりと見ることは出来る。


「あぁ、いいよ」


 美影の顔を見ると断る事は出来ない、余程のお願いでない限り聞くことにする。でも美影は何故かそのお願いを躊躇するかのようになかなか口に出さない。俺の返事の仕方が悪かったのか心配になる。


「……あのね……最後に……キ、キスがしたい……」


 いつも美影の様子とは違って弱々しい声だったが、ちゃんと聞き取ることは出来た。


「えっ……」

「あっ、いや……うん……ご、ごめん、やっぱりいいよ……」


 俺が困った様子で返事をしたのを見て美影は慌てて訂正しようとする。でも美影の顔を見て俺は心を決めた。


「うん、いいよ、最後だから……美影のお願いを聞くのは……」

「えっ……あっ、ほ、本当に、いいの……」


 まさかの様子で美影が俺の顔を覗き込んでいる。俺はそれ以上何も言わずに頷いた。余計な事を言うと気持ちが変わりそうだ。美影を優しく引き寄せて、下手に迷っているとダメだとお互いの顔と顔が近づく。美影も目を瞑っている。そのままゆっくりと優しく唇を重ねた。時間にするとほんの少しの間のキスだったけど長く感じた。

 美影が乗るバスの時間になったのでバス停の手前までお互い俯いて黙ったまま移動する。正直、何を言っていいのか分からないし、美影はたぶん泣いているような気がする。


「……ありがとう、また明日ね……」


 消え去りそうな美影の声が聞こえた。繋いでいた手をゆっくりと離してバスに乗り込む列に並んだ。何も口に出せずに俺は頷くだけで、見送ることしか出来なかった。これまで現実感がなかったが、美影を見送りじわじわと実感が湧いてきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る