第3話 訪問者

「市役所の者です。入ってもよろしいですか」

 女の人は身分証を見せてそう言った。


「はい。でも女性二人は玄関で。ドアは開けたままにしますので、男性はそのまま外でお待ちいただけますか」

 私の申し出に、市役所の人間三人は一瞬「?」な表情をした。けれどもすぐに了承した。


 この家は広い。玄関も広い。玄関だけで、たたみ三畳分ほどある。

 外開きのドアを限界まで開いて固定する。私の左側はドア、私の前方には市役所の女性が二人。私たちの横顔を見るように、男性が外に立っている。

 女性のうち一人はメモとペンを用意した。もう一人の女性が私の目を見て話し始める。


「お名前をうかがってもよろしいですか」

石野いしの彩未あやみです」

「こちらにはいつからお住まいですか?」

「一年ほど前からです」

 なんだろう、何しに来たんだろう。私は冷静を装って答えながらも心臓はばくばくしていた。


「石野さん、こちらのおうちはご実家ですか?」

「いえ、違います」

「ではどなたのお家ですか? 石野さんの親戚のお家ですか?」

「……」

 私は答えられなかった。

 答えたくない、のではなく答えられないのだ。

 この家が誰の家かなんて、知らない。


「石野さん?」

 私が黙っているとメモをとっていた女性が顔を上げて、話している女性を見た。二人とも困惑している。

 このまま黙っていて解決するはずがない。

 ここが誰の家か? 私が言えるのは「知らない・分からない」だけだ。勝手に住んでいるのがバレてしまう。

 おかしいと思ってはいた。こんなに大きくてきれいな家が空き家で出入り自由、しかも電気も水道も通っている。それでも一年間住んでいた。誰とも接触することなく。いや、一人を除いて。


「場所を変えて話してもいいですよ?」

 外で待っている男が口を挟む。場所を変える? 警察にでも連絡するつもりだろうか? 嫌だ。そんなことになるくらいなら正直に言ってしまったほうがいいと思った。


「あの……」

 言いかけた時だった。ぽつんっ。

 なんだろう、しずくが落ちてきた? 市役所の女性も上を見る。やっぱり何か、落ちてきたよね。

 上を見ると再び落ちてきたしずくが顔に当たった。勢いがよくて目に入りそうだった。二階から水漏れ? でも位置的にトイレでも洗面所でもない。

 顔に当たったしずくをこする。色がついている。赤い。


「きゃああああ」

 女性が悲鳴をあげる。どうしたんだろう、私も上を見る。

 うっ。血だ。

 天井に血がにじんでいる。しかも結構な範囲で。どうして? さっき二階に行った時は何もなかったのに。


 外で待っていた男が入ってきた。女性が天井を指さし、男の表情が変わる。

「け、警察……」

 男はすぐにスマホを取り出した。

「まだ警察は待ってください。石野さん、この血はなんですか?」

 メモをとっていた女性が言う。

「わ、分かりません。さっき二階に行った時は何もなかったです」

「例えばですよ、赤い絵の具が入った水をこぼしたとか、そういった可能性はないですか?」

 メモの女性は落ち着いていた。赤い絵の具? そうか、これは血ではなく赤い水なのか。


「絵の具は持っていません。それに、二階のトイレも洗面所とも位置が違います」

 私は答えた。

「では、血の可能性があるので警察に連絡します」

 メモの女性は男に目線を送った。男は震えた指でスマホを操作する。

 警察? いきなり警察が来るの? 私は次々に起こる展開に考える余裕が全然なかった。どうしよう私、勝手に人の家に住んで警察に連れて行かれちゃうのかな。



「あら、どちら様?」

 玄関から背の高い女の人が登場した。そう、登場という単語が当てはまる女の人が。

 その人は女優がかぶるようなつばの広い帽子をかぶり、サングラスをしていた。真っ赤な口紅を塗った唇の横にホクロがあった。小さい顔に大きなイヤリングをしていた。

 ひざ上丈のワンピースを着こなし、白いジャケットを羽織はおっている。スタイルがよいのが分かる。迫力のあるボディに、長い脚の先はハイヒールだった。

 市役所の職員三人も私も、その人に見惚みとれていた。


「市役所の者です。失礼ですがどちら様で……?」

 メモの女の人が最初に口を開く。

「この家の者ですが、市役所の方がどんなご用ですか?」

 全員驚いて、その女の人を見た。


「あ、あの天井から血が落ちてきてまして……」

 メモの女性が天井を指さした。

「ああ、鶏肉とりにくをさばいていたんですよ。昔よくお祖父さんとか家でさばいてませんでした? 慣れないから出血量とか分からなくて」

 サングラスの女はそう答えた。


「あら? でもさっき石野さんが二階に行った時は何もなかったと……」

 メモの女性が私を見る。

「そう? 新聞をかけておいたから見えなかったんじゃないかしら」

 サングラスの女は口元に手を添えて答えた。レースの手袋をはいている。本当に女優みたいだった。


「でも……」

「気になるんでしたら二階に上がって確認していただいてもかまいませんよ?」

 サングラスの女は促した。

 市役所の職員は三人集まり小声で「どうしようか」と話している。


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