等価交換
青山えむ
第1話 一人暮らし
私は二階建ての大きな家に一人で暮らしている。若い女が一人で暮らしているのだから、用心しないといけない。
この大きな家のすぐ横には線路がある。もちろん毎日電車が走っている。電車が通るたびに大きな音がする。夜は特に大きく響く。
ここを通る電車は、田舎にしては終電が遅い。寝ている時の通過音が一番怖い。それに、この音にまぎれて泥棒が入ってきても気づかないかもしれない。だから私は、電車が通りすぎたあとも耳をすませる。足音がしないか、気配がしないか。何も変化がないと分かった時、ようやく眠れる。
たまには二階で寝てみようと思った日のこと。夜中だったか朝方だったか覚えていないけれども、ものすごい電車の音と振動で起きたことがある。地震かと思った。意識だけが急に目覚めて体は動かなかった。
体が動くようになるまでの間、誰か来たらどうしよう、何か見えたらどうしようと、とても長い時間に感じられた。それ以来、二階で寝るのはやめた。
朝も昼もカーテンは開けない。鍵も絶対に開けない。夜はなるべく照明を絞って、テレビの音も小さくする。外で話し声がする時は、照明を消して懐中電灯で過ごす。
ピンポンが鳴っても絶対に出ない。電話も出ない。この家には固定電話が一台、ある。
いつだったか、固定電話にかかってきた電話の呼び出し音がとても大きかった。びっくりしたので音量を一番小さくした。それでも音が響くので座布団をかぶせた。
ある日、ピンポンが鳴った。どきっとした。誰だろう。物音を立てないように気をつけないといけない。私は息をひそめた。
少ししたら、バイクの音がした。去ってゆく音。二階からこっそり庭を覗くと郵便局のバイクに乗った配達員が見えた。
配達員がこっちを見る。私はカーテンの隙間から見ていた。やばい、ばれたか? 急に隠れるといかにも「隠れています」感があるので私はそのままカーテンの隙間から目だけを出した状態にしていた。郵便局員は少しこちらを見たあと去って行った。おばけだと思ってくれただろうか。それか、猫か。
今日は郵便局の人に見られたかもしれないので、いつもより念入りに過ごそう。
照明はつけずに過ごす。トイレもお風呂も照明をつけない。こんな時のためにランタンやインテリア用品のランプを買っておいてよかった。換気扇もまわさないでおこう。
ニュースでは市内の高校の卒業式が報道されていた。念のためにワイヤレスイヤホンにブルートゥースで音声を飛ばしている。
イヤホンはあまり好きじゃない。本当はヘッドホンが欲しいのだけれども、ワイヤレスヘッドホンは高くて買えない。
ニュースで取り上げられているのは市内でも有名な進学校らしい。ここは私の地元ではないので、よく分からなかった。
卒業生にインタビューをしている。大学に行く子、公務員になる子、医者を目指している子。みんな未来への希望に溢れていた。
私にもあんな時があっただろうか。四年前か。
私は高校を卒業後、短大に行った。保育士になるための短大に。
保育士になりたかったわけじゃない。
「普通に就職は無理でしょう」
「せめて短大か、あいつに大学は無理だろう」
「看護師が理想だけれど無理でしょうね、保育士はどう?」
「とりあえず短大で資格がとれる職業にしておけ」
高校三年生のある日、居間で両親が話しているのを聞いた。居間に入る直前、聞いたというか、聞こえてきた。私は本能的に立ち止まった。
両親は私に聞こえる心配など一切していない様子でいつも通りに話していた。
それから二十分くらいしてから、居間に入った。父親は新聞を読んでいて、母親は洗濯物をたたんでいた。
「
母親に聞かれたので「迷っている」と答えた。
「
「就職にしようか進学にしようか」
「どういう理由で迷っているの?」
「進学したいけれど学費がかかるかと思って……」
私は少し申し訳なさそうに言ってみた。
「そんなことで……」
父親が不快感をあらわにした。しまった。
「そうよ! 子どもがそんなことで! そう思ってるならすぐに言えばいいじゃないの!」
始まった、そう思ったけれども態度に出すわけにはいかない。
私の父親は、文句しか言わない。自分の意見は一切言わないけれども、文句だけは発言する。
父親の文句と連動するのが母親のヒステリーだった。今までいつも通りだったのが、いきなり甲高い声で叫ぶ。私を罵倒することを目的として。
「じゃあ短大に行く。学費は気にしなくていいんでしょ?」
面倒くさいので、それで終わらせる。
「何なのその言い方は! 誰がお金を出すと思っているの!」
お金を出すのは父親だろう。母親の甲高い声がしゃくに障る。
五つ年上の兄はすでに家を出て独立していた。
両親は昔から、兄ばかりを可愛がった。二人目の子どもも男がよかったと言っていた。
兄が家を出る時、母親は最後まで兄を引きとめていた。
いつまでも子離れができない母親。それがうっとうしいから兄は家を出て行くというのに、最後まで分からなかったようだ。
分からないということは、その人にとっては「ない」ことだった。
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