第43話

「――高校生の途中で大工や建築に関心をもって技術学校に編入しているんだ」

「へぇぇ、技術学校にいたんだ。社会学のしゃの字も出てこないじゃない」

「それが面白いんだよ。いろんな経験があっての『人』だからね。技術学校を卒業した年の秋に、軍関係の農工大学に入学している」

「軍関係の農工大学? なにかその分野に興味があったのかな?」


 蓮が不思議そうに訊ね、侑は首を軽く横に振った。


「それが、ミルズの生涯を紹介した論文によると、当時恥ずかしがり屋で引っ込みがちだったミルズを『男にする』っていう彼の父親の言葉が入学の発端になっているらしいんだ」


 愛の眉がぴくりと動いた。 

「えええ?! 21世紀の令和なら毒親認定案件じゃない?」


 そう言うと、愛は向かいの空席あたりをきっと睨み、まるでそこにミルズの父親が座っているかのように食ってかかる。


「なによ、男にするって! 別に恥ずかしがり屋で引っ込みがちでも男は男でしょ。自分の進路くらい自分で決めさせてよね!」


 当時のミルズが愛のこの反発を聞いたらどう思うんだろうと侑は興味をそそられる。嬉しく思うのか、それとも「父の考えはもっともなのに、なにを反発しているんだろう」と困惑するか――


「あ、でも、案外新しい出会いや経験があったり……」


 とりなすように蓮が言い、「そうよね! ミルズのお父さんも親心だったんだろうし、きっといい方向に――」愛が見事な掌返しを見せたタイミングで侑が割って入った。


「残念なお知らせかもしれないが――入学先のレスリングクラブの練習試合中に起こった事故の波紋、それに、軍隊組織や訓練のもとでミルズはひどい情緒不安定、神経症に陥ったそうだ」

「……やっぱりあかんがな!!!」


 テーブルをひっくり返しそうな勢いで愛がつっこんだ。蓮が忍び笑いをしている。侑は「まあまあ」とか「人生いろいろ」とか「ちゃんとその後テキサス大学に移ったんだよ」とか、「積極的で逞しくなったミルズは新しい学問生活をスタートさせてるんだ」「大学院にも行ったし、なんならドイツにまで留学だってしている」などと情報を小出しにしながら愛を宥めすかし、ミルズのプロフィールをあらかた紹介し終えた。


「やっと社会学の研究者としての道筋が見えてきてホッとしたわ」 

「うん、ミルズはやがて社会学部の教員となるんだけど、いきなり社会学的想像力を打ち出したわけではないんだ。ミルズ社会学の研究をざっくり三つ――初期・中期・後期と分けたなら、社会学的想像力は後期に位置づけられる」


「積み重ねの先に生まれたんだね」

 蓮が誰にともなくつぶやいた。


「だな。ただ、実際は中期の著作において、その考え方はすでに活かされているんだ。本音としては初期から後期までじっくり語り尽くして社会学的想像力へと繋げたいところなんだが、さすがの僕でもそんな無茶はしない――が、ミルズの土台ともいえる初期の研究から一部を紹介させてくれ」


「聞くわよ聞くわよ、なんたってやっとの思いで辿り着いた研究者の道だもんね!」


 愛はすっかりミルズに肩入れしているようだった。侑が提供した情報以上に過酷なミルズ伝が愛の中で展開されているのかもしれない。


「そうだよね、やっとの思いで掴んだ研究職だ」


 愛に乗っかっているだけなのか、それとも本気でそう思っているのかいまいち分かりにくい調子で蓮が続いた。いずれにせよ、寄り道に次ぐ寄り道を二人ともすんなり受け入れてくれることに心の中で改めて深く感謝しながら、侑は問いを投げかけた。


「さて、ここで質問だ。『どうして君はそんなことをしたんだ?』といったふうに、動機の表明を求めたくなる場合というのは、人がどんな行動をとったときかな?」

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