第39話 巫 侑 ①

 哀しみ、苦痛、口惜しさ、怒り、無力感――

 思い出したくなかった数々の記憶が唐突に脳内で再生され、心が激しく軋んだ。焼け付くような感情が一気に蘇る。額に冷や汗が滲み、手先が痺れ始めた。頭の中でサイレンのような音が鳴り響く。まずい兆候だ。蓮と愛に気づかれないうちに対処せねばならない。

「――話の途中ですまない。ちょっとトイレに行ってくる」




 網膜にこびりついた記憶の映像を洗い流すように、蛇口から流れる冷水を両手いっぱいに掬い、バシャっと顔にかけていく。

 自分の中にある、どうしようもない傷。治ったかと思えば、あるとき何の前触れもなく突然痛み出す。

 堂々と胸を張って生きてさえいれば、克服できると思っていた。

 誰に理解されずとも、自分の「好き」や「興味」を追究しているうちに、忘れられると思っていた。


 しかし現実はこの有様だ。


 忘れたくても忘れられない。平気な顔をしていたいのに、こうして制御できない感情の波に翻弄されている。そんな心の弱い自分に苛々する。人から遠ざけられたり、攻撃されてしまう性質を抱えているなら、せめて心が強ければよかった。気は強くいられても、心は依然として弱いままだ。

 仕上げに口をゆすぎ、乱暴に口元を拭った。


『大丈夫か?』


 全然――という言葉を呑み込んだが、愛好家相手には無意味な行為だ。侑の思念や意識はすべて愛好家と共有しているため、全部筒抜けだった。一切の隠し事ができないというのはなかなかにばつが悪い。


 タオルハンカチで顔を拭きながら、三秒大きく息を吸い、五秒かけて息を吐く。吐き気はない。よかった。醜態を晒さずに済みそうなことにまず安堵した。


『だいぶ落ち着いてきたみたいだな』


 洗面台に飛び散った水滴を備え付けのペーパーで丁寧に拭き取り、くしゃっと丸めたそれをスウィング式ダストボックスへと押し込んだ。


 愛好家は何も言わず、気遣わしげな微笑みだけを浮かべている。


 思い返せば小学五年生のあの日から、愛好家には随分と助けられてきた。もっとも、最初に『ずっと見てたぞ』と声をかけられた時は自分の頭がおかしくなったのではないかと思い、その呼びかけに応えまいと頑なに聞こえないふりを貫こうとしたのだが、


 ――二人と三人では全く違うよな。三者関係に焦点を当てることで、初めて社会の力が個人を超えていく瞬間を捉えることができる。ジンメルの考え方、面白いのになあ。


 と、話しかけられて侑はあっさりと陥落してしまった。



――――――――――――

【プチ解説】

 愛好家の台詞に登場したジンメルとは、ドイツの社会学者(彼は有名な哲学者でもあります)ゲオルク・ジンメルです。彼は、社会――集団を考える際には、二人の人間(=二者関係)だけではなく、三人(以上)の関係(=三者関係)に注目する必要があると主張しました。

 二者関係は「私」対「あなた」の関係(たとえば夫婦など)で、自分の存在があるかないか(つまり、自分が関わるか関わらないか)で集団が形成されたりされなかったりします。

 三者関係は二者関係にもう一人加わることで、「私たち」対「あなた」/「私」対「あなたたち」といった関係が生じることになるのですが、ここで初めて、「個人と集団」との関係という問題が生まれるのです(二者関係は「私」対「あなた」――つまり、「個人」と「個人」の関係)。

 ジンメル社会学、とっても面白いですので、ここから先はぜひ、書籍を通じてジンメルに会いに行っていただけたらなと思います^^


【ブックガイド】

 おすすめの本はたっくさんあるのですが、以下の2冊を厳選してみました


 ゲオルク・ジンメル(著)、清水幾太郎(訳)『社会学の根本問題 個人と社会』岩波書店、1979年出版

 菅野仁『ジンメル・つながりの哲学』NHK出版、2003年出版

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