第5話 手を繋ぐ、手料理3

 結城は授業が終わったらすぐさまバイトに向かう。

 せっせと汗水流して働き、仕事を終えた結城は帰り道を歩いていた。

 時刻はすでに午後九時を過ぎている。

 朝早くに学校に行って勉強し、この時間までバイトをして帰ったらまた勉強をして寝る。いつもどおりの一日である。


「こうして考えてみると、ほんとに俺、勉強とバイトしかしてないかもな」


 やらなければならないことをやっているだけなので、不満に思っているわけでもないのだが、藤井がああ言うのも分からなくはない気がする。


「まあ 今の俺は彼女いるからな!!」


 もう青春してないなどとは言えまい。


「まあ、まだ、恋人らしいことなんもできてないけど。これからやこれから……」


 そんなことをブツブツとつぶやきながら歩いていると、アパートに着く。階段を登って自分の部屋のドアを開けた。


「あ、おかえりなさい。結城さん」


「……」


 エプロンを着けて長い黒髪をポニーテールにまとめた初白が出迎えてきた。

 昨日もそうだったが、いつもは帰ると真っ暗だった部屋に明かりがついている。


「……どうしました?」


「あ、ああ、いや。なんでもない。ただいま初白」


「……はい。それで、結城さん……今朝は申し訳ありませんでした。約束していたのに寝過ごしてしまって」


 初白は沈んだ声でそう言って深々と頭を下げる。

 その体はやはり小さく震えている。結城としてはそもそも自分が目覚ましを切ったので、怒るもなにもないのだが。これはそのまま言ったほうがいいのかもしれない。


「怒ってないから顔上げろよ」


「……本当ですか?」


「おう」


「……そう、ですよね。結城さんは、そういう人ですもんね……」


「また時間のある時に食わせてくれればいいよ」


 結城がそう言うと、初白は少し表情を明るくして言う。


「はい。準備できてますよ、上がってください」


「ん?」


 結城は言われるがままに初白の後についてリビングに歩いていく。すると、ほんのりと漂ってくるダシの匂い。

 ……こ、これは。

 まさか……


「冷蔵庫の中にあったもの、勝手ながら使わせてもらいました。あまり凝ったものは作れなかったのですが」


 彼女の手料理きたああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。


 心の中でガッツポーズを取る結城。


「わっ、ど、どうしたんですか、急に」


「あ、すまねえ」


 どうやら心の中だけでなく、ほんとにガッツポーズしてしまったらしい。

 だって仕方ないではないか。

 手料理だぞ 彼女の 手料理だぞ

 さっそく、結城は手を洗ってテーブルの前に胡座あぐらをかいて座る。

 メニューは煮込みうどんである。


「あの、ほんとに、あまり凝ったものは作れなくて……すいません」


「いやいやいや 全然、うれしいから メチャクチャ嬉しいから 俺の人生で嬉しかったことベストスリーに入るから」


 では、いただきます。と結城は両手を合わせてはしを手に取る。

 まず、つゆを一口すする。

 あ、うまい。

 なんだこれ。全然俺が作るのと違うじゃないか。

 と、極稀まれに自炊する冷凍麺れいとうめんを戻して麺つゆを適当にぶっかけただけの男料理との味の違いに驚きを隠せない。使っているのは同じ冷凍麺のはずなのだが、一体何がここまで違うというのだろうか。入っている具材も一つ一つ全部ダシが染みていて美味しかった。

 ……ああ、みる。心に沁みる味だわ。

 こんな料理を食わせてくれる彼女がいるという幸せをみ締めながら、夢中で煮込みうどんをすする。


「……」


 初白はそんな結城の姿を不安げな表情でじっと見つめていた。

 ああ、そうだったな。と、結城は気がつく。

 あまりに美味しくてつい大事なことを忘れていた。


すごく美味しいよ。初白、ありがとう」


「……は、はい。ありがとうございます。嬉しい……です」


 そう言って照れたように顔を赤らめる。

 ぬおお、可愛いな。

 結城はその姿を見て、そういえば髪をポニーテールにしてエプロンをつけた姿が死ぬほど似合っているということに今更ながらに気がつく。なんだこの新妻感は。

 脳みそが幸せに侵食されていくのをひしひしと感じる。

 スゲーな彼女の手料理イベント。これほどとは思わなかった。

 そして、あっという間に食べ終えてしまう。


「……う、かった。正直もっと食べたいわ」


「さ、さすが男の子ですね……多めに作ったつもりなんですが。あの、材料はあるので、もう一杯作りましょうか?」


「え? いいのか?」


 作った分が余っているならまだしも、もう一度一から作らせるのは気が引ける。

 だが……。うん、やっぱりもっと食べたいわ。この味を前にして自分の気持ちに嘘はつけない。


「じゃあ、おかわりお願いします」


「はい」


 その時、結城が初白に丼を渡そうとして伸ばした手と、初白が丼を持っていこうと伸ばした手が偶然にもあたってしまう。


「……あっ」


 そして、どちらからともなく、お互いの手のひらを合わせていた。初白の手の柔らかい感触が手のひらを通して伝わってくる。


「……」


「……大丈夫、か?」


 触れ合っている初白の手は、やはり少しだが震えている。

 結城は手を離そうとしたが、その手をなんと初白の指が包み込んだ。

 驚いて顔を上げて初白を見る。


「……怖くないと言えば、嘘になりますけど……」


 初白はさっきよりも一段と赤くなった顔で言う。


「でも、それ以上に嬉しいですから……」


「そうか……」


「……はい、そうです。ですから、もう少し、このまま……」


「ああ」


「……」


「……」


 静寂がリビングを優しく包み込む。一方、結城の内心は一言で言うなら。

 ぬおおおおおおおおおおおおお。

 となっていた。

 なんだよ、俺の彼女可愛すぎるだろ。ついに手もつないじゃったし。ああ、いいのかこれ? 俺今日死んだりしないか?

 そんな、結城の内心も知らず、初白は繋いだ手をギュッと握ってきた。そして、目尻めじりを下げ嬉しそうな安らいだ表情になってこう呟く。


「……あったかい」


 ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!

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