第4話 手を繋ぐ、手料理2

 翌朝。

 結城はいつも通り、朝の六時になる少し前に起床した。

 目覚まし時計は六時ちょうどにセットしているのだが、体がこの時間に起きる習慣になっているため、あまりお世話になったことはない。寝起きはそれなりにいい方であると自覚している。だが、今日はいつにも増して元気よく跳ね起きた。


「よっしゃ、彼女の手料理だ!!」


 テンションは遠足の日の小学生並みだった。

 さて、その彼女はというとまだ目覚ましが鳴っていないのでリビングの床に敷かれた布団で寝ている。

 二日前は初白がベッドを使っていたのだが、今回は初白に言われて結城が使っていた。

 結城としては初白に使ってもらいたかったのだが、気にしないと言っても初白が「家主である結城さんが使うべきです」と遠慮したのである。

 さっそく、手料理を作ってもらおう。


「初白、おは……」


 その初白は毛布を両手でギュッと握りしめ、身をすくめて寝ている。表情は硬く、まるで何かに怯えているようだった。


「……ごめんなさい……お母さん……」


 初白はひとみを閉じたまま小さくそんなことをつぶやいた。


「……私……頑張ります……から……だから……」


「……いいさ、ゆっくり休めば」


 結城はそう呟くと、目覚ましのタイマーを切って、音を立てないように学校に行く準備をし、冷蔵庫から昨日コンビニで買った弁当を取り出して、はしと一緒にテーブルの上に置く。

 そして、ノートを一ページ切ってメモを添えた。


「……行ってきます」


 小さくそう言って、結城は部屋を出ていった。



 いつもの通り授業開始一時間前に学校についた結城は、これまたいつもの通り参考書を広げて勉強を始める。


「あいかわらず、ガリガリやってるわね」


 ナイロールの眼鏡をした多分痩せれば美人、大谷翔子である。


「当然だろ。余裕こいてる暇なんかねーよ」


 結城は五段階ある特待生のランクで一番上のSA特待である。SA特待は授業料や施設維持管理費の免除どころか修学旅行の積立金や家賃すら補助される。親からの金が一切期待できない結城にとっては有り難い話であった。しかし、SA特待は定期試験の順位で五位以内に入り続ける必要がある。

 維持するためにはそれなりの努力は必要だった。


「大したもんだわ」


 大谷はそう言うと、自分の席に座って読書を始める。

 いつも教室に来る順番は結城と大谷のワンツーフィニッシュである。そして授業が始まるまで黙々と結城は参考書で問題を解き、大谷は黙って読書をするのである。

 基本的にその間二人に言葉は無いのだが、今日は大谷の方から話しかけてきた。


「で、くいったの?」


「ん?」


「昨日のアレよ」


「ああ、アレか」


 手を繋ぐのと、手料理である。


「えーっと、まだだな。昨日はできなかった」


「なによ、面白くないわね。せっかく教えたのに」


「……俺達には俺達のペースがあるんだよ」


「出会ってすぐに告白する癖によく言うわ」


 それを言われると何も言えなくなってしまう結城である。今考えるとあの時の自分はどうかしていたとしか思えない。

 その時。

 教室のドアが勢いよく開け放たれ、一人の男子生徒が飛び込んできた。

 藤井ふじい亮太りようた。結城の数少ない友人の一人で、二年生にして野球部のエースを張る男である。

 ノリがよく、野球部でも所属するクラスでもムードメーカー的な存在だ。ちなみに将棋は結城相手に六手で詰んだほどの腕前であり、某プロ棋士とはなんの関係もない。

 この男、少々うるさいことを除けば、頭も学年で十位以内だし、顔に関しては校則であまり派手な髪形にできないにもかかわらずテレビに出てくる俳優も顔負けのさわやかイケメンであり、性格もどんな相手にも分け隔てなく接するという完璧かんぺきな男なのだが、一つだけ欠点がある。


「翔子ちゅわあああああん!!」


 この男、なにを思ったのか大谷翔子にアホみたいにアプローチを仕掛けているのだ。いや、確かに大谷は話しやすくてしっかりしているいい女だと思うのだが。


「今日も最高に素敵だね 付き合ってよ!!」


「朝からうるさい。黙らないとアタシの漫画の中できったないおっさんに掘らせるわよ」


「そんな辛辣しんらつな君も素敵さ」


「帰れ」


 当の大谷はこの塩対応っぷりである。

 藤井はヤレヤレと肩をすくめて、結城の方を見る。


「なあ結城。どうして僕の気持ちは伝わらないのかな? こんなにも熱い思いがあるというのに」


「軽薄そうだからじゃないか?」


 そう言って結城は大谷の方を見る。


「軽薄で、うるさくて、思いやりが無いからよ」


 きっぱりとそう言い切る大谷。つえーなコイツ。

 結城は藤井に言う。


「なあ、お前ならいくらでも選べるのに、なんでこんな明確に拒絶するやつにアタックし続けてるんだよ」


「ん? 愚問だね。そんなの翔子ちゃんが好きだからに決まってるよ」


 藤井は恥じらう様子もなく、爽やかにそう言い放った。コイツもつえーな。


「女の子はたくさんいるけど、翔子ちゃんは一人だけさ それとも、もし結城に彼女がいるとして、他のといい感じになったら彼女と別れるか二股ふたまたでもするのかい?」


「断じて、アタシはアンタの彼女じゃないわよ」


「僕の脳内では式場まで予約済みだよ」


「新作は野球部のエースがホームレスのおっさんたちに◯かんされる話にするわ」


 また、アホな言葉の応酬を始めた二人を他所よそに、結城はうーむと腕を組んだ。


「他に女はたくさんいるけど翔子は一人だけ……か。まあ、確かに。アイツ以外の女なんて考えられないしな」


「はい? え? 何その言い方、え、マジで? 結城、彼女できたの?」


 これでもかと目をかっ開いて驚く藤井。せっかくのイケてるメンが崩壊していた。クラスの女子が見たら泣くだろう。

 藤井は確認するように大谷に目を向けた。


「ええ、そうよ。驚いたことにね」


「……マジか」


 何もそこまで驚かなくてもよかろうにと呟く結城。大谷もそうだったが、どうやら結城を知る人物にとっては中々の衝撃ニュースだったようである。

 藤井はふうとため息を吐いて、いつもどおりの美男子に戻ると言う。


「まあ、良かったよ。お前はもうちょっと青春楽しんだほうがいいと思ってたからさ」


「ん? なんでだ?」


「いや、流石に張り詰めすぎだと思ってたからさ。特待生維持するのが大変なのは分かるけど」


「そうか?」


「そうだよ。全然遊んでるの見たことないし」


 入学してから勉強とバイト漬けだったため、あまりその辺は自覚がなかった結城である。


「……つか、結城また野球はやらないのか?」


 結城は少し頭をかくとこう言った。

「まあ、やる理由もないし、それどころじゃねえよ」


「そうか……まあでも、彼女さんとは仲良くな 今度ダブルデートしよう、ね、翔子ちゃん」


「死ね」


 大谷に思いっきりにらまれる藤井であった。

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