第6話 旅行とミルク②

「ぷはーっ!」

「くぅー!」

「ふぅ……」


 三者三様の反応で、私たちは牛乳を飲み干した。桜ちゃんはフルーツ牛乳、香澄ちゃんはコーヒー牛乳、私は普通の牛乳だ。私としては普通の牛乳が一番美味しいと思う。異論は認めない。


「やっぱりフルーツ牛乳が一番だよね」

「は?」

「あ?」


 桜ちゃんの何気ない一言が、銭湯を戦場へと変えた。三人の表情が引き攣り、一触即発の空気が流れた。普段は自己主張しない私でも、こればっかりは引けない。徹底抗戦だ。


「あのね、桜ちゃん。コーヒー牛乳こそが至高だから」


 香澄ちゃんがまず主張する。


「いやいや、コーヒー牛乳飲むくらいならカフェオレでいいじゃん」

「は?」

「あ?」


 二人はメンチを切りあう。二人の間には稲妻が走る幻覚が見える。しかし、一番は普通の牛乳だ。そこは譲れない。


「そもそも、ベースは牛乳なわけですよ。フルーツ牛乳もコーヒー牛乳も普通の牛乳ありきの飲み物。つまり頂点は普通の牛乳なのですよ」


 フルーツ牛乳もコーヒー牛乳も言わばパロディだ。本家本元が一番に決まってる。私はそれを声を上げて主張する。


「いやいやいや、ゆい。牛乳単体じゃ大したことないからフルーツ牛乳が産まれたわけ。分かる?」

「そうそう。普通の牛乳じゃ魅力がないからコーヒー牛乳が産まれたの」

「はぁ?」

「あぁ?」

「おぉ?」


 それぞれが正三角形の頂点に立って、他の二人を睨みつける。湯けむり部は部として認められるよりも早く解散しそうだ。


「コーヒー牛乳なんて、コーヒーと牛乳の混ぜもんでしょ? 良さを殺しあってるんだよなぁ」


 桜ちゃんが再び香澄ちゃんに矛先を向けた。私も加勢する。


「コーヒーとか言いつつ甘すぎるよね。そもそもコーヒーなのか牛乳なのかハッキリしろって感じ。コーヒーからも牛乳からもハブられてそう」

「ぐぬぬ……」


 香澄ちゃんは苦虫を噛み潰したような顔で反論する。


「ふ、フルーツ牛乳だって混ぜ物でしょ! だいたいフルーツとか曖昧すぎるんだよ! 何味なのかハッキリしろ!」

「フルーツ牛乳は販売終了してる会社多くない? やっぱ人気ないんだよね」

「うぐ……」


 桜ちゃんは今にも泣きそうな顔をしていた。


「その点、普通の牛乳はこれといった欠点がないから、最強は普通の牛乳だよね」

「いやいや、ゆいちゃん、普通の牛乳が給食で出ても残す人多いからね。コーヒー牛乳が出た時のあの盛り上がりを思い出しなよ」

「そうそう。普通の牛乳は飲めなくてもフルーツ牛乳なら飲める人はいるし! てか私がそうだし!」

「むむむ……」


 議論が一周したことで、また状況は振り出しに戻った。


「コーヒー牛乳」

「フルーツ牛乳」

「普通の牛乳」

「「「ぐぬぬぬ……」」」


 どうしてこうも二人は分からず屋なのだろうか。牛乳の魅力を解さないとは、人生の半分を棒に振っている。


「「「……」」」


 二人も状況が硬直したまま動かないことを悟ったのか、私たちは黙って休憩室のソファに座り込んだ。きっとこの冷戦はずっと続くだろう。私たちが分かり合うことはない。


 ◇


 次の日の昼休み、私は桜ちゃんに拉致されて隣のクラスに連れてこられていた。隣の教室の前に二人で立って、教室の中を覗いている形だ。


「ねぇ、桜ちゃん、何があるの?」


 私は小声で桜ちゃんに尋ねた。昼休みだから周りはガヤガヤしてて、別に小声で話す必要はないのだけど、桜ちゃんが隠れるようにして教室を覗いてるの見ると、なんとなく小声になってしまう。


「ゆい、見てあれ」


 桜ちゃんが指差す先には、香澄ちゃんが立っていた。香澄ちゃん、隣のクラスだったのか。


「香澄ちゃんがどうしたのさ」


 一見、なんの変哲もない小松香澄だ。しかし、微妙な違和感を感じた。それが何か分からないので引っかかりを感じるが。


「松葉杖、無くない?」

「あ……」


 本当だ。引っかかりが解消された。香澄ちゃんの足には依然、包帯が巻かれたままであったが、松葉杖はどこにも見当たらなかった。


「桜ちゃんよく気づいたね」

「今朝、普通に歩いてるとこ見かけてね」


 香澄ちゃんの心境に何かの変化があったのか、松葉杖は消え失せていた。包帯は巻かれたままだから、怪我したふりは続けるんだろうけど、一体どういうことやら。


「香澄ちゃん、陸上部に戻っちゃうのかな」


 なるほど、桜ちゃんはそれが心配だったわけだ。湯けむり部としては、たった一人でも貴重な人員だ。今抜けられてしまっても困る。


「あ、こっち見た」


 桜ちゃんと二人でコソコソとやっているとやはり目立つのか、呆気なく香澄ちゃんに見つかってしまった。まぁ、私は隠れていたわけではないのだが。


「二人ともどうしたの?」


 香澄ちゃんはスルスルと机の合間を縫って入り口まで来た。


「松葉杖どうしたの?」


 桜ちゃんはすかさず聞く。


「……これね。いつまでも杖だと面倒だし」

「なるほどね」


 香澄ちゃんは周囲を確認して、一応怪我したフリだからか小声で教えてくれた。


「え、それだけ?」


 香澄ちゃんは桜ちゃんが帰ろうとしたのを見て、ポカンとした顔をした。


「うん。松葉杖突いてないの見て気になっただけだから」

「そうなんだ。……二人がよければ一緒にお昼食べない?」


 香澄ちゃんははにかんでそう言った。


「おぉ、いいね! 温泉旅行の計画も話さなきゃだしね」


 さっきまでの神妙な様子はどこへやら、桜ちゃんは尻尾を振る子犬のように喜んでいた。


「せっかくだし屋上に行こうよ」

「いいね! 青春っぽい! ゆいも、いいよね?」

「もちろん」


 諸手を挙げて大歓迎だ。まさか私に友達と昼ごはんというイベントが発生するとは。それも屋上で。まぁ、毎日桜ちゃんと食べていたけど、屋上となれば話は別だ。こんな青春っぽいことができるとは、湯けむり部も捨てたもんじゃない。


「やっぱ人多いかぁ」

「屋上、人気なんだね」


 教室二つ分程の広さの屋上には、ざっと三十人はいて、座れるスペースは残り僅かだった。こうも人が多いとクラクラしてくる。


「ぐへぇ……」

「あ、ゆいが人に酔ってる」

「端っこに行こっか」


 桜ちゃんと香澄ちゃんに腕を引かれ、人の少ない端の方へと連れて行かれた。


「それじゃあ、いただきまーす」

「いただきまーす」

「いただきます」


 手を合わせて、私たちはお弁当を広げた。桜ちゃんは相変わらず可愛らしいお弁当で、香澄ちゃんは意外にも大きなお弁当だった。


「それでさ、温泉旅行どうしよっか」


 桜ちゃんがタコさんウインナーを頬張りながら話し始めた。


「どうするって、草津行くんでしょ?」

「そうだけど、交通手段とか、集合時間とか決めとかなきゃ」

「交通手段かぁ」


 私たちはまだ学生だから、電車で行くしかないと思うのだが。それか親に車を出してもらうか、だ。


「私のお父さんに言えば車出してもらえるけど。多分」


 私はそう提案した。


「ゴールデンウィークはメチャメチャ混むから、駐車場に停められないと思うんだ」

「なら、電車?」

「それしかないね」


 桜ちゃんは以前にもおじいちゃんと行ったことがあるらしく、ゴールデンウィークはやはり混むらしい。


「集合場所は駅前?」

「それがいいね」


 駅はこの高校の前の通りを真っ直ぐ行ったところにある。その駅から東京まで行って新幹線に乗り換えるのだろう。


「集合時間は八時、日帰りの弾丸ツアーで!」


 具体的なことが決まり、いよいよ湯けむり部最初の活動が見えてきた。ゴールデンウィークまであと一週間。お楽しみはもうすぐだ。


「ところでさ」


 桜ちゃんがポツリと言う。


「香澄ちゃんや、その手に持っているものはなんだい?」

「ぎくり」


 香澄ちゃんが手に持っていたのはアンパンと牛乳。弁当だけでは足りなかったのか、購買で買えるドリンクとパンだった。


「コーヒー牛乳じゃないんだね」

「いやぁ、アンパンには普通の牛乳かなって……」

「ははは、これで二対一。普通の牛乳の勝利でよろしいですな」


 コーヒー牛乳派の香澄ちゃんが我々に寝返ったことで、湯けむり部第一次牛乳戦争は、普通の牛乳の勝利で幕を閉じた。


「ぐぬぬぬ……」

「あはは……」


 桜ちゃんは憎悪の籠った目で香澄ちゃんを睨み、香澄ちゃんはそれを見て苦笑いをしていた。


「桜ちゃんも飲みなよ」


 私は密かに用意していたビン牛乳を桜ちゃんに差し出す。さぁ、勝利の美酒を味わおうではないか。


「私普通のは飲めないんだって!」

「まぁまぁ」

「無理無理無理!!」


 香澄ちゃんは私からビン牛乳を奪い取って、桜ちゃんの頬にグリグリと押し付けていた。香澄ちゃんはドSらしい。


「ちくしょう、簡単に寝返りやがって、覚えてろよ!!」


 三下のようなセリフを残して、桜ちゃんは教室へと走っていった。その様子を見て、私と香澄ちゃんは顔を見合わせて大笑いしていた。

 香澄ちゃんとビン牛乳で乾杯した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る