第10話 貧乏性の街歩き

 エイイチがなにげなく大広場の中心へと歩みだすと、ぐわっと街の夜景が目に飛び込んできた。城下町は王宮がある山の手から海に面した港まで続くなだらかな坂の上に広がっており、ここからだとそのすべてが一望できるのだった。エレクトリックで現代的な灯りとは違い、松明やランプで表現されるそれは幻想的で、ぼんやりと輝き綺麗だった。


 加えてこの世界の月は元の世界よりもずっと大きく、ザ・異世界という趣がひしひしと感じられた。エイイチはしばらくそんな光景に見惚れていたが、ふと我に返った。


 港で22時だったよな。


 店で結構な時間を無駄にしていたが、待ち合わせまではまだ時間があった。ただ、城下町のどこで何を買えば、効率よく8000リーマンを持ち帰れるのかはわからなかった。


 んー。とりあえず人通りの多いとこ行くのが無難よな。


 そのように思案したエイイチは、広場からまっすぐ海へと続く大通りを下ることにした。日こそ沈んでいたが、なおも商店は営業しており人出は多く、通りはにぎやかだった。


 エイイチはさっそく人の流れに任せ、ぐんぐん通りを進んでいく。通りの両側には高級そうな商店が無数に立ち並んでおり、彼はショーウィンドウ越しに目ぼしいものを物色する。


 どこにでもありそうで、検疫で引っかからないもの。できれば持ち歩きやすい軽いものがいいな……


 と、探してみるのだが、適当なものは見つからず、エイイチは、結構難しいなと思った。そこにあるのは馬具や壺、ガラス細工に風景画と、絶妙に彼のニーズに合致しないものばかりなのである。


 さらに、彼の貧乏性もまた邪魔をした。


 電子機器こそないとはいえ、プラスチックやチタン製の武具があるように、この世界の技術力はエイイチのいた世界にそこそこ近い。近いということは、何かしら持ち帰れそうなものもありそうだが、近いがゆえ物価が高いこともわかってしまう。木製のハンガーなんて1000リーマンで持ち帰ってもかえって損なんじゃないか、もっと換金率の良いものがあるのではないか、そう思って手が出ないのだ。


 まぁそのうちなんかあるだろう、そう思いながらエイイチはひたすら街を下っていく。


 少し進むと、町並みが一気に庶民的となってきた。八百屋に魚屋、雑貨屋など、日用的なものを売る店が増えてくると、今度は世界観はありありしてくる。


 店先には見たこともない果物に、奇妙な色の肉、奇抜すぎる衣装に、魔導具っぽい正体不明のアイテムなどが、所狭しと並んでいた。値段こそ大したことはないものの、絶対に没収間違いない物品たちである。


 それらにエイイチは好奇心を覚えたが、楽しんでいられるほどの余裕もなかった。


 まだ若干の猶予はあるが、王様が指定した待ち合わせの時間は刻一刻と迫ってきていた。オーバーすれば、せっかく節約した8000リーマンがまるまる取り上げられてしまう。


 どうしよう、何かないの?


 唐突に通りから商店が消えてしまい、エイイチは焦った。彼は坂を駆け戻ると、脇道にそれて人混みをかき分け、あたりをキョロキョロ、値札をチラチラした。だが夜が更けるにつれ店も閉じ始め、何も買えぬまま無駄に時間だけが過ぎていった。


 気づくと彼は、なんだか不穏な地域に迷い込んでいた。


 商店はおろか、赤い屋根の建物すら一軒もなくなっていた。かわりに藁葺き屋根の家、有刺鉄線、集められたゴミが燃え上がる一角など、治安の悪そうなムードが漂っている。どうやら城から離れれば離れるほど、そして海に近づけば近づくほど、街は貧しくなるようであった。


 巨大な月も雲に隠れ、ほとんど闇に同化しているドブ川を避けようとしたエイイチは、どんっ、と何者かにぶつかった。


「あん? なんだぁ!?」


 エイイチにぶつかられた男が言った。それはボロ同然の服を着て、ドブよりもひどい臭いを放つ男だった。


 すみません、とエイイチが謝るより先に男は言った。


「っておい、あんた今話題の勇者じゃねーか。ちょうどいい。酒おごってくれよ酒」


「はい?」


「いやー俺、さっきカジノですっちゃってさー、人助けだと思って頼むよー」


「いえ……ごめんなさい」


 男の邪な表情に、エイイチは後ずさったが、


「俺にも奢ってくれー」「アタシも明日までにカネが必要なのよー」「てかてか、その小刀売ればカネになるじゃん。なぁ勇者さまよぉ」


 などと、どこにひそんでいたのか、物陰からわらわらと人が集まり始める。その誰もがみすぼらしい身なりをしていた。闇夜から這い出してくる様はさながらゾンビのようで、「ごめんなさい!」と叫び、エイイチは駆け出した。


「おい勇者待てやコラ!」「貧乏人を救え!」「徳政令や徳政令!」「ベーシックインカム! バラマキ! 給付金!!」「酒よこせ!!」


「ひぃぃ、無理ですー」


 次から次にと湧いてくる住民たちをかわしながら、エイイチは一目散に坂を駆け下りる。


 なんなんだ? なんで追われなくちゃならないんだ?


 彼はわけもわからず海へと続く坂道を走り抜けた。とにかくもうすぐ待ち合わせだ、と港に到着すると手頃な木箱の裏へと身を隠し、忙しく上下する胸をおさえ息を潜めた。


 港は異様に暗く、すぐ側にある海は真っ黒だった。湾を挟んだ反対岸には小さな灯りが一つ、ロウソクのように灯っていて、黒い鏡のような水面に反射しゆらゆらと揺れていた。そんな光景を眺めながらエイイチは、現住民から逃げ回る勇者がどこにいるんだよ、と思った。


 でも、こんなの仕方ないじゃん。そもそも俺は勇者じゃないし、他人に恵んでやるカネもない。というか、酒飲みに酒奢るってのも勇者としてどうなの? 


 そんな罪悪感とそれを否定する感情に葛藤しながら、彼はじっとそこに潜んでいたが、背後から突然、男の叫び声がした。


「おい! 勇者いたぞ!!」


 ヤバい見つかった!


 エイイチがそう思ったときだった。グワリッ、と水面が不吉に揺れた。


「え?」「へ?」


 住民とエイイチの声がかぶったのもつかの間、黒い海から白いなにかがぐんぐんと盛り上がってくる。最初は氷山のように先端だけ見えていたそれはすぐさま全貌を表して、エイイチは恐怖に息を呑んだ。


 それは、巨大なイカの化け物だった。


 白い肌がわずかに発光し、粘液に濡れた表面がテラテラと輝いていた。大きな頭部は自重で後方に垂れ下がり、濁った両眼はどこを見ているのかわからないかった。海の黒に映える白い触手をうごめかすその化け物は、魔王以上にデカく、大型トレーラーはゆうにあった。


「ひぃっ化け物!」「なんでイカがなんでイカが!」


 イカを見た住民たちが転がるように逃げ出していく。


 エイイチが呆然とその場に立ち尽くしていると、イカの化け物が足を持ち上げ、そんなところにあるんだという口を開いた。


「貴方が勇者様イカ?」


「あ、あ……」


 と、気が動転し答えられないエイイチにかわって、イカは続ける。


「大変長らくお待たせし申し訳なイカ。私、クラーケンと申すイカ」


 クラーケンはうやうやしく頭を前に垂らすと、吸盤のたくさんついた触手を一本エイイチの前に差し出した。


「さっそく魔王城までご案内しますイカ。どうぞよろしくお願いしますイカ」

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