第39話 世界を救わないと帰れません!
エイイチたちは暗い森の中を歩いていた。
松明片手の魔王が先頭に立って木々をかき分け、クリスタリナの指示した地点を目指す。あれだけ渋っていたオルディアもエイイチの剣や鎧を身に着け、文句を言いながらついてきていた。
目的地までは思った以上に距離があって、大きな木の根を越えるたび、エイイチの頭から汗が滴る。心もとない灯りのなか、柔らかい土をひたすらに踏みしめ続けていると、体の輪郭がぼやけてくるかのようで落ち着かなかった。
森はどこまでも深く、そこに来るものを拒んでいるかのようであった。ここは非現実的な異世界の中でも、さらに外界から隔絶されているようにエイイチには思われた。夜空も月も生い茂る木々に隠され、女神たちの戦いもまるで見えなかった。
ただ時折、外れた火球が隕石のように落下してきて、そのつかの間の明るさ、刹那的な現実感にエイイチは恐怖した。森には火が回りつつあるようで、炎上し黒煙が立ち込めているところを何度も迂回する必要もあった。どこからともなく聞いたことのない動物の奇声が聞こえ、キュラキュラキュラキュラ、とオルディアがリアカーを引く音が頼りなかった。
これで良かったのだろうか?
夜道を歩きながら、エイイチはずっと葛藤していた。
良かったに決まっている。
と、彼は幾度となく自身にそう言い聞かせる。ウメコを治すにはエリクサーしかないのだ。あの医者が言っていた治療法というのも、結局はエリクサーのことだったのだろう。みんなカネのため、俺を騙していたんだ。これくらいなんだってんだ。三十五回の密輸が三十六回になったとて、一体何が違うというんだ。
そうやって歩き続けたところに、それはあった。
「ホンマみたいやな」
魔法陣は本当に存在していた。
鬱蒼と生い茂った森の奥、土の上に魔法陣が直接描かれていた。マルパスのマンションのものと同じくらいの大きさである。魔法陣は淡く青く発光し、まだ機能しているようであったが、ところどころ土をかぶって薄くなったり、周囲の木々に火が燃え広がっていたりしていて、残された時間が少ないのが見て取れた。
一同が魔法陣の中央に移動すると、魔王が言った。
「エイイチ、自分がカプセル全部飲めや」
「え?」
エイイチは耳を疑った。
「全部って?」
「魔王様、なに言ってるシカ?」
これにはオルディアも驚いた。
「それはこっちのセリフや。ワイの胃やとすぐに消化されてしまうやろが! ちゅうかお前も飲み込んだもん反芻するんとちゃうんか? 知らんけど」
「あ、そうシカ」
「それにな、ワイにはまだやらなアカンことが残っとんねん。逃げ遅れた魔物がまだぎょうさんおる。そいつら救わんで何が魔王や。マルパスのアホも絶対にしばいたる。勝手に世界壊されてたまるかいな」
「うぅ!」
オルディアが感嘆の声を上げた。
「魔王様ぁ、私もついていくシカぁ!!」
「邪魔や邪魔や、さっさと逃げぇ。エイイチ、自分も早よそれ飲めや。飲んで逃げ延びろ。んで絶対カネ払えや。
「わかりました」
エイイチがそう答えると、魔王はいつものようにヨダレをリアカーにぶちまけた。
その甘ったるい匂いが、今のエイイチにはほっとした。
やろう。
魔王たちが見守るなか、一個、二個、とエイイチは慣れた手付きでエリクサーを飲み込んでいく。十個飲んだところで頭上から恐ろしい爆発音がして、顔を上げる。
しかし、空には何も見えなかった。そこにあるのは生い茂る木の葉だけだった。それらは魔法陣の光を受けて黒い陰を形作り、濃紺の空を覆い隠していた。
再び、耳をつんざく破壊的な音。
王都はどうなったのだろう? この世界はどうなるのだろう?
そんなことを考えながらも、エイイチはカプセルを飲み込み続ける。
思い出してみると、魔王城を破壊したマルパスのパワーは半端なかった。仮に魔王が加勢したとて、クリスタリナには勝てないかもしれない。となるとマルパスの言う通り、この世界は破壊されつくしてしまうだろう。
だけど、俺には関係ない。
と、エイイチはまたしても胸の中で繰り返す。俺にはそんなことどうだっていい。だって俺はウメコを救わなくちゃいけないんだから。
でも、この世界の人はどうなる? クリスタリナはどうなる?
ついにすべてのカプセルを飲み込んだところで突然、エイイチの舌にスパイシーな味覚が蘇った。ヨダレの甘ったるさ、クールミントの風味を打ち消すそれは、『ドラゴンイーター』のフライドチキンの味であった。
連鎖して彼は、そこで一緒に飲み食いした街の人々を思い出した。あのダークエルフの色気を、鍛冶師のタトゥーを、引きこもりの悪臭を思い出した。
あの人たちは救わなくていいのか? 俺に妹がいるように、この世界の人々にも生活が、大切な人たちがいるはずで、彼らは本当に関係ないのか?
そんな疑問に、彼は答えた。
「すみません。やっぱり剣と鎧は返してください」
オルディアにそう言ったエイイチは、自分でも何を言っているのかよくわからなかった。
けれど、言わずにはいられなかった。
「気が変わりました。俺も戦いに参加させてください」
「は? いまさら何言ってるシカ?」「なんやと?」
オルディアが答え、魔王も驚き眉をしかめる。
「世界がこうなったのには俺にも責任があります。魔王様だけに戦わせるわけにはいきません」
「いやでもお前弱いシカ、それにカプセルはどう――」
「黙れ」
魔王がオルディアを制し、野太い、しびれるような声で言う。
「本気か?」
「本気です」
エイイチはそう言いきった。この世界を見捨てられない。彼は強くそう思った。世界を救ってからウメコを助けたってまだ間に合う。そうでなければ後味が悪すぎる。
魔王は目を細めエイイチを見た。そのままじっと食い入るように睨み続けたあと、裂けた口をニッとさせて答えた。
「まぁええわ」
エイイチがオルディアから返してもらった鎧兜を身につけ、剣を腰に据えると、魔王が背を向けかがみ込む。
「乗れや」
エイイチには、その声がとても頼もしく感じられた。
「世界、救たろやないかい」
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