第16話 見えないもの

「先輩って、自分のこと知らないんじゃないですか?」

自転車に跨る後輩を見る度に、その言葉を思い出す。


朝倉コーチが来てから1週間が経った。4日目にして、見事に課題とされていた実践練習の準備を3分以内に行うことが出来た。その時は、まるで強豪校を打ち破ったかのような盛り上がりを見せた。

「みんな凄い、よく頑張った!これで、チームになるための第一歩が踏み出せたね!」

あれから、準備に入る前には打ち合わせを行うようになった。タイムを見て、どこに無駄がないかを考え、それぞれが意見を出し合った。やがて、マネージャーに頼んで、作業ごとの完了時間を計測するまでに至り、試行錯誤の末、2分56秒で準備を完了することが出来たのだ。

「準備時間をタイトに設定したのには、いくつか狙いがあったのだけれど、気づいた人はいるかな?」

クリアしたところで、ようやく種明かしが始まった。

「連携の強化だと思います」

「判断力」

「準備の大切さを学ぶ・・・ですか?」

「コミュニケーション能力を試していた」

「バカ、それも連携だろ?」

「同じだけど違うし」

「何言ってんだ、お前?」

「喧嘩すんな」

「自分は、集中力だと思いました。時間が短いって分かってたから、考え事してる余裕がなかったっていうか」

「スケベじゃん」

「前田はむっつりだからしょうがない」

「何も言ってない!」

その時の雰囲気は和気あいあいとしていて、心なしか、今までのじゃれあいとは根本のところで何かが違っていたような気がした。

「うん、ちゃんと意図を汲んでくれたようだね。そう、まさにその通り!時間が短いということは、無駄を省かなきゃいけない。そして、最初にかかった時間との差が大きければ大きいほど、無駄が多かったってこと。つまり、それだけ貴重な時間をどぶに捨ててたってことだね!」

不意に出てくる言葉のキツさにも段々と慣れてきた。

「無駄があるということを正しく認識することから始まる。そこから、どこに時間がかかっているのかを考える。敵を知り己を知れば百選危うからず。聞いたことくらいはあるんじゃないかな?相手がどういう戦い方をしているかを知り、それに自分が出来ることを考えたうえで戦略を立てれば怖いものはないってことさ!」

近年では、高校野球もデータ野球とされ、強いところほど情報収集に余念がない。

いや、そういうことをきっちりやっているから強いのだろう。

ただし、と朝倉コーチが注釈を入れる。

「データは過去のものでしかないということも忘れてはいけない。君たちが日々成長していくように、相手だって練習を重ねているわけだからね。情報を得るだけじゃなくて、その正しい処理の仕方も覚えなければ使い物にならないことも覚えておいて。僕が考える、まず君たちがすべきことは、自分たちの力量を正しく知ること!その上で・・・ちょっと待って、その前に、君たち、勝つ気はあるの?」

一瞬の沈黙。その空いた間が、雄弁に物語る。

もちろん口だけでなら、簡単にはいと言えるだろうが、その程度の誤魔化しが聞かないことが分かっていたのだろう。

「うん・・・ごめんね、少し意地悪をしちゃったかな。お気楽にやっていたことは見ていれば分かるよ。でも、逆に良かったかな。それだけ自覚があるってことだからね。じゃあ、質問を変えるね!・・・皆は、これから勝てるようになりたい?その覚悟はある?」

2度目の沈黙。だが、さっきとは空気が違う。今度は、呑み込むための時間だった。言葉を染み込ませ、そして自分の意志を伝えるための、すなわち覚悟のための時間だった。

「はい!」

その声に迷いはなかったように思う。チームとして勝つことを決意した。全員の表情を見て、コーチも気持ちを引き締めたようだった。

「よし!じゃあ、今回の総括と、今後に向けた話をしていくね!」


課題はクリアしたが、それを当たり前にやれるようにしなければ意味がないということで、準備に対しての時間制限は解除されないままでいた。

そして、僕たちはというと

「何で手を抜いてるんですか?」

今日も元気に煽られている。失礼な、ちゃんと全力だ。

「全力、ですか。もしかしてですけど、全力って言葉の意味知らなかったりします?」

いつにも増して厳しいな。

ちょうどいい機会だと思い、生駒ちゃんに聞いてみることにした。自分を知らないってどういうこと?

「?そのままの意味ですけど」

問答終了。自分で考えろってことか。

ガッカリしていると

「ちゃんと走ればもっと早くなる」

織田が助言をくれた。君も、僕が手を抜いてるって言いたいのか。

「別に。ただ、なんとなく、自分が見えてない気がしただけだ」

「先輩は逆に自己評価が高過ぎる気がします!」

「舐めてんのか?」

なるほど、似たもの同士か。

それにしても、自分を知らない、見えてないって、ますます分からなくなった。

人は、自分のことが1番分からないという。僕が僕を知り、彼が彼と向き合うまでにはもう少し時間がかかりそうだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る