第9話 彼女の秘密

 美和の言葉をヒントに、消去法で「美和が牛姫である」という正解にたどり着きはしたものの、いや、まさか、という気持ちが拭い去れない。一夜だけで本名も聞かずに別れたとはいえ、恋人が過去に身体の関係を持った相手だったことに、今の今まで全く気が付かないなんて。


 全裸にガウンを羽織っただけのしどけない姿で僕の膝に跨る美和に、

「あの時、君らはタメの大学一年生だと言っていたはずだけど」と聞いてみた。

「高校生だと都合が悪いこともあるので、遊ぶときは大学生ということにしてたけど、本当は高二だったの。私やねこちゃんはともかく、紗理奈はあの通り見た目が大人っぽいから、三人でいるとまず疑われなかった」

「あ、紗理奈っていうのは猿じいのことね。佐藤紗理奈、さるなだから猿じい、遊ぶ時だけの二つ名みたなものね。ねこちゃんは、金子真由、名字がかねこだからねこちゃん、猫娘。私だけ名前は関係なし、単にぼっちゃり系だったから牛姫」

 

 全く気付かなかったのは、年齢のせいだけではない。見た目の印象が全く違う。

「十キロくらいダイエットしたから。それと、普段はコンタクトだけど、豪くんと会うときは眼鏡をかけていることが多かったから」

「それに、豪くん、あの日は紗理奈が本命で、私はただのおまけだったから。私のことなんて最初から眼中になかったんだよ」


 それにしてもどうして僕と付き合おうと思ったのか、美和の発言を促した僕は、さらに全く予想もしなかった告白を聞くことになった。

「あの日、私は一目で豪くんのことを気に入ったの」

「ルックスもだけど、話を聞いてますます好きと思った。あの雰囲気の中で堂々と童貞と言える、自分のことをすごくしっかりと持っていて、背伸びをしたり、状況に流されたりしない、自分とは正反対の人と思った」


 中高一貫の女子校で、高一の時に紗理奈と同じクラスになって、誘われるままに派手に遊ぶようになったそうだ。

「紗理奈たちの中で浮かないように、遊び慣れた風に見られるために、私はいつも周囲の空気に気を配って、自分を作っていた。そんな自分が嫌いだった」

 あの日は、先に猿じいが僕を指名してしまったために、何も言えなくなってしまったそうだ。

「紗理奈は、ああ見えて面倒見のいい子だから、私が正直に豪くんを気に入ったといえば、私と豪くんを二人にしてくれたはず。でも、紗理奈は美人でスタイルもいいから、そうなったら豪くんはきっとがっかりする。私は自分に全然自信がなくって、どうしてもそれを言い出せなかった」

 それでも、彼女は、僕と猿じいの間に、せめて何とか割って入りたいと思い、小幡にわざと濃いハイボールを作って飲ませたのだそうだ。

「小幡くんが酔いつぶれれば、紗理奈はきっと部屋に呼んでくれると思った。彼にもひどいことをしちゃった」


 それからの美和の話は、僕をさらに仰天させた。美和は、僕の大学のバレーボールの試合を見に来たこともあるそうだ。

「インターネットで検索して、豪くんの大学のバレー部のホームページの選手紹介ページで、豪くんの名前と写真も見つけた」

「大学のバレーボール連盟のホームページで試合日程を調べて、秋のリーグ戦を、見つからないように観客席の一番隅っこで観戦した。私たちがあんなにひどいことをしちゃった直後だったのに、そんなことは全然関係なしに、あなたは躍動していた。本当にすごいと思った」


 その試合を見て、美和は、自分も変ろうと思ったそうだ。猿じいたちのグループから距離を置き、遊びも止めた。内部進学を止めて受験もし、大学では教職を取って小学校の先生になった。

「もう一度豪くんみたいな人に出会ったら、今度はちゃんとそばにいられるような、そういう人になろうと思った。私が変れたのは豪くんのおかげ、今の私があるのも豪くんのおかげなの」


 確かに外観は様変わりしているし、僕が牛姫のことを、あの日偶然に肉体関係を持っただけの女性としか認識していなかったことも事実だ。でも、雰囲気が変わったというレベルではない、僕がかろうじて覚えている「牛姫」を構成していたものが、美和という女性からは全く感じられなかった。それくらい彼女は変わっていたのだ。

 それが、僕のため、僕のおかげというのであれば、それはもう、男として本望じゃないか。


 ん、体育館で? もしかして、体育館で会ったのも、偶然ではないのか。

「ううん、あれは本当に偶然、でも、私はひと目で豪くんだと分かったよ。ずっと思い続けてきた人だもの。もう会うことはないと思っていたのに、これは奇跡と思った。神様が会わせてくれたと思った。こんなことは一生に一度、だからこのチャンスを絶対に逃しちゃいけないと、勇気を振り絞ったの」


「とんとん拍子で豪くんとお付き合いできるようになって、本当に夢みたいで、楽しかった。でも、絶対に私があの時の牛姫だってばれちゃいけない、ばれたら絶対にフラれると思っていたから、それはそれで苦しかった」

 自分は変わったなどと言っておきながら、過去を隠している自分に自己嫌悪し、何度か正直に打ち明けようとした。でも、結局今の幸せを失うのが怖くて、先延ばしにしてしまったそうだ。


「でも、さすがにセックスをしたら気が付かれてしまうと思った」

 確かに、あの最中にボディシザーズをされたら、多分気が付いただろう。

「あの時は思いっきり絞めちゃってごめんなさい。私、あんなに気持ちよくなったこと初めてで、自分でもあんなことをしちゃうなんて、全然思ってもいなかった」

「伊豆旅行の時は、胸のほくろとか、あの時の声とかは、部屋を真っ暗にして、声を出さないように我慢すれば大丈夫と思ったけど、豪くんに身体を触られて、すごく気持ちよくなって、自分を忘れてしまいそうで急に怖くなって、つい突き飛ばしてしまったの」


 あの後、高校時代の悪友と飲みに行くと知って、僕は気が付かなくとも、事情を聴いた御堂か小幡が先に気が付いてしまうかも、これはもう潮時だと思って覚悟を決めたそうだ。

「あんなことをして、それを隠して付き合ってきた。許してもらえるとは思っていない。正直に打ち明けて、一度だけ抱いてもらって、それで終わりにしようと決めたの」


 美和は僕の肩に回した手に力を込めた。

「最後に、今夜だけ、抱いて」



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