乙女の心は荒れ模様


「は?」


 茶野ちゃんの口から、動揺が短く漏れる。


「そ、ん……。え? だって」

「ありゃ、さーちゃん気づかなかったのん?」


 あっけらかんと告げる栢野さん。

 

「だって、そんな。私とあいつしか知らないようなことばっか書いてあるんだぞ!??!」

「そうなんだ? じゃあどういうことなんだろうねー」

「栢野さん」


 今のは、さすがに意地が悪いと思う。

 だって、どういうことかなんて、そんなの言うまでもなく——。


「なんか鳴ってないか?」

「なに?」


 急に汀くんが壁のほうを向く。そっちは茶野ちゃんの部屋の方だ。壁は分厚く、とても音が聞こえるような薄さではない。

 

「どういう音?」

「なんか、電話の呼び出し音みたいな」


 スマホのアラームだろうか。だとしても。


「良く聞こえるね」

「ま。耳はいい方だし」

「駄犬も少しは役に立つねー。んじゃあーさーちゃんの部屋戻ろー。ここにいてもしょうがないしー」


 言って、栢野さんはみほちゃんの部屋から出て行ってしまった。

 汀くんも、それが当然という風に後に続く。

 そんな二人には身もくれず、茶野ちゃんは日記に目を落としていた。

 部屋に戻ると、けたたましい鈴の音がリビング脳から聞こえる。確かにスマホの呼び出し音だった。しかも僕の。

 誰からだ? 


「もしもし」


 スマホを手に取って、耳に当てる。


「遅い!!!」


 鼓膜が破れるかと思った。


「なんです。し……お姉ちゃん」

「ねえ、それどうしても誤魔化さなきゃいけないこと? まあ別に私をどう呼ぼうが勝手だけどさ」

「あの、なんですか? もしかしてもう遅いから帰って来いとか言うんですか? この現代社会の高校生に?」

「私としてはだからこそそう言いたいような気もするわ。……ともかく。今あなた、依頼人ちゃんとは一緒?」

「はい」

「そいつは重畳。ちょっと代わってくれる?」

「ええ。いいですけど」


 何の用だろうか。いつの間にか座っている三人を見る。

 唐突に繰り広げられたやり取りに困惑した顔をする茶野ちゃんにスマホを渡す。少し戸惑うような手の動きの後、パシ、と取って「もしもし」と語気を強めに言った。


「あんた誰……は? ああ、あんたが……。そうだ、あたしがそのさっちゃんだけど。……それ、本当か。行きます。すぐに行きます。はい。……はい。そうっすか。……それならそれで、いいです。あたしはあいつが無事なら、それでいいんです」


 いぶかしそうな顔から、納得したような顔になり、何やら警戒するよな顔を経て、決心したようにうなずく。目まぐるしく変わる表情に、すこしおかしさを感じる。


「じゃあ、はい。またあとで」


 茶野ちゃんはそういうと、スマホを返してくる。


「もしもし?」

「愚弟子、とりあえずいろいろ聞きたいことができたからいまから家に戻ってきてもらえると助かるわ。詳しいことはそこの”さっちゃん”に聞いて。じゃ」


 一方的な指示をだして、それきり通話は切れた。


「またあのおねーさん?」

「そう」

「もしかして、これから会う感じ?」

「そのとおり」


 栢野さんはうへーと、あからさまに嫌そうな態度をとる。

 汀くんと栢野さんの二人は、師匠には一度だけあったことがある。僕はその場にはいなかったが、相当よろしくない状況で出会ったようで、のちに師匠から二人について根掘り葉掘り聞かれた。


「私、あの人苦手なんだよなー」

「そうか? 俺には割といい人そうに見えたけど」 

「だからだよー。ああいうお人好しな人って、多分私みたいな人種は嫌いだろうからさー」


 栢野さんにとっても、あまりいい対面ではなかったようだ。


「まあ、別に嫌だったら二人は来なくてもいいよ? 此処まで手伝ってもらったのは成り行きだし」

「そうだぞ、そもそも探偵はともかく、お前たち二人にはこれ以上対付き合う理由はないんじゃないのか?」

「ん、まあそうなんだけどねー。でもここまで来て引き下がるのはなー」


 ……なんというか、僕よりよっぽど探偵マインドしてるな、栢野さん。


「確かに私たちは部外者だけどー。でももういろいろ知っちゃったしねー。ここにきて仲間外れにされちゃったら、いじけてあることないこと尾鰭に背鰭に胸鰭に、よけいな手足までくっつけて、ネットの海に流しちゃうかもなー」


 最悪の提示だった。

 ていうかもはや脅迫だった。


「……」

 

 茶野ちゃんもさすがにそれは避けたいようで、「まあ、べつに今更だしな。うん」といった。


「汀くんは?」

「俺も、あの女には色々とお礼しねーといけないしな。芽衣が言うならもちろんついてくが」


 というわけで、クアドラプルで僕の家へと向かうことになった。

 もちろん日記持っていく。最後に、みほちゃんの部屋の惨劇を写真に収めて、僕たちは女子寮を出た。

 そういえば、友達と呼べる存在を家に招くのはこれが初めてだ。こんな状況ながら、少し緊張する。家族ですらない、しかし無関係ではない他人をプライベートスペースに挙げるということは、割と考えることなのかもしれない。

 今まで家に上げてきたのは訳アリの人間ばかりだったので、こういう事態は本当に知らないことだった。

 うーん、ちゃんと片付けてあったかな。

 そんな不安がつい浮かんでしまう。

 が、道中他愛無い……なくもない話をしながら(例えば結局ドッペルちゃんは何がしたいのかとか、これについては結論は矢張りでなかった。文殊の知恵より一つ多くても駄目らしい)向かっていると、そんな思いはきれいにさらわれてしまうものだ。

 部屋の様子についての考察もしていたが、あの日記については茶野ちゃんはあまり触れなかった。

 思うところがあるのだろう。

 ありすぎるほどに。


「っと、着いた」

「え、これ? ……まじか。探偵お前ブルジョアか?」

「うわーすごい。首都圏の一等地に立ってるやつとあんまり変わんないんじゃない?」


 という女性二人の意見。


「おーん、家なんて住めればどこもおんなじじゃねーか? 昼間に見たアパートの方がこじんまりしてて俺は好きだ」


 という男性一人の意見。

 いや、女性二人はともかく、汀くんのその価値観はどうなんだ。段ボールのテントとタワマンの4LDKがおんなじっていうのは無理があるんじゃないのか。

 こじんまりしてるほうが好きというのはわかるけど。

 ひそひそと進められる会話を背に受けつつ、呼び鈴を鳴らす。

 スピーカーからは若干ノイズ交じりの「なごむ?」という声。流石に人前で愚弟子は不味いとの判断だろうか。


「はい」

「ちゃんと連れてきたの?」

「ええ」


 と言うか言わずかのタイミングで扉が開く。

 毅然とした面持ち、切れ長の眼はあたりの状況を把握するように右から左へと流れる。艶やかにつやのある緑の髪を後ろで束ねている。

 

「大丈夫。尾行はされていませんよ」


 さらりと言う汀くん。

 まさか道中ずっと気にしていたとでもいうのだろうか。それともジョークかな。

 

「ふん、君か。ということはあの悪趣味な美少女も来ているのかな」


 そんな彼のジョークは無視し、師匠は言う。

 そんな師匠の視線から逃れるように、栢野さんは「悪趣味は余計なんですけど……」と顔を出した。


「……ドーモ、一か月ブリデスネ」

「君が”さっちゃん”かな? うん、いいね。私好みではないが、格好のいい女の子は嫌いじゃないわ」


 栢野さんの挨拶を無視して、師匠は茶野ちゃんの方を向きそう言った。


「外ではなんだから、入りなさい」


 そういって、すっと廊下の奥へと引っ込んでいった。「あ、ちょ」茶野ちゃんは後をついていく。


「あうー。やっぱりあの人苦手だよー」


 そんな栢野さんの嘆きに苦笑しながら、僕らは敷居をまたいだ。

 普段は家に帰ると、一日の終わりを実感するが、今日に限ってはむしろ逆なんじゃないかとも思う。

 短い廊下を抜けて、リビングに出る。窓を背にしたソファに、みほちゃんが寝かされていた。

 寝顔は穏やかながら、額には汗がにじんでいる。呼吸は正常のようだ。薄い掛布団から除く手を、茶野ちゃんは傍にうずくまって優しく握っている。

 ようやくの再開だが、めでたしというわけではない。依然として彼女の記憶は戻ってはいないし、美作との関係も結局のところどのようなものだったあのかということもわかっていない。

 茶野ちゃんはみほちゃんに起こったことの解明をしてほしいといっていたが、何をもってして解決とするのか、それすら不透明だ。

 彼女に起こったことを明らかにして、それがみほちゃんにとって良いことなのかどうかは、誰にだってわからない。

 

「さ、どうぞ」


 僕の思考は、師匠のその声で中断した。師匠は全員分の麦茶をグラスに注ぐと、テーブルにかけるように促す。師匠の隣に僕。向かいに茶野ちゃんと栢野さん。栢野さんの隣には忠実な付き人の如く汀くんが控えている。

 栢野さんはちらちらと師匠の方を見たり、みほちゃんの方を見たり、せわしなく目をきょろきょろさせる。

 茶野ちゃんはまっすぐ師匠を見据えて、

 誰も声を発しようともしない。

 相手がどう出るかを窺っている。さながら剣士が間合いを図るかのように。タイミングを間違えば、その瞬間に言葉という刃が喉元へと延びるだろう。

 そんな緊張感のなか、最初に動いたのは茶野ちゃんだった。


「で、聞きたいことっていうのはなんd……ですか」


 それを受けた師匠は麦茶を口に運び、のどを潤して言った。


「その前に、確認しておきたいのだけれど。今そこのソファで横になっている女の子は、逆佐原みほその人で間違いないかしら?」


 それは、気になっていたことではある。


「……間違いなく、みほ本人……です」

「その確証は?」

「首の左側に、ふたつほくろがあったんで」

「どういうふうに?」

「吸血鬼に咬まれたみたいな感じです」


 それで納得したのか、「なるほど」と頷く師匠。

 そうか、昨日の身体検査で見てるのか。それはともかく、茶野ちゃんはなんでそんなところ知ってるんだ……。

 首筋だって髪の毛で隠れてしまうのでは。

 という疑問が浮かんだがすぐに消失する。栢野さんがこっちを向いていたから。それ言った駄目だよ。みたいな眼で。

 

「うん、一応の本人確認もとれたし本題に入りましょうか」


 師匠は言いつつ、懐から何かを取り出した。



 


 



 

 

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