消えた家族

木沢 真流

失踪した子どもは3人

「わかりました、では今までの話をまとめるとこういうことですね」


 目尻の垂れた、優しい町のおまわりさん。恰幅のいいその警官は、交番の椅子に腰掛け、カオルにそう声をかけた。


「あなたは結婚して10年、3人の子どもに恵まれたものの、子どもとの生活に正直疲弊していた。そんなある日の夕方、家にいた小さなクモ、ええ1cmくらいでしたかな?」

「正確には2.5cmくらいでした」

「失礼しました。その2.……その2センチくらいのクモが夕焼けの差し込むリビングで突然語りかけてきたと」


 カオルはゆっくり頷いた。


「内容は昨日助けてくれたお礼に願いを叶えてあげると。そこであなたは日々の生活に疲れていることをそのクモに話した。そうですね?」

「ええ、そうです」


 あたりはすっかり暗くなり、街灯がぽつぽつと点き始めた。時折車道を仕事帰りらしき車が何台も通り過ぎる。踏切の音はこちらの状況もお構いなしにカンカンカンカンと遠くに聞こえる。


「旦那さんも毎日帰りが遅く、子ども達も……ええと10歳と5歳のお兄ちゃんは喧嘩ばかり、2歳の娘さんはお母さんに甘えてばかりで大変だ、と言った。するとそのノミが……」

「いいえ、ノミではなくてクモです」

「失礼しました。クモが、わかりましたと言った。すると突然子ども達が姿を消した。そこで急いで旦那さんにも相談したのだが、何かの間違いだろうと言われた。そうですね?」


 カオルは唇を噛み締め、拳を握った。そして必死な形相で警官を見上げた。


「ええ、そうです。信じてくれませんよね、こんな話。正直話していて私も何だか夢を見ているようで——」


 警察官はにこりと目尻をたらし、カオルの顔を覗き込んだ。


「信じますとも。警察官が町の人を信じなくてどうしますか、大丈夫です、お子さんは無事ですよ。パトロール中の警官をあたらせますので、少々お待ちを」


 カオルはほっと胸を撫で下ろした。よかった、色々悩んだけれどここに来てよかった。信じてもらえなかったらどうしよう、そんなもやもやした不安が一気に晴れるのを感じた。

 警官は隣の部屋に向かい、戸を閉めた。バタン、という音が鳴り響いた直後、カオルは言い忘れていたことを思い出した。長男は10歳ではなく11歳で、茶色の短パンだった、ということを言うために少し扉を開けた、するとそれに合わせて中から警察官の誰かと電話で話す声が聞こえた。


「……ええ、そうです。ちょっとノイローゼ気味なんでしょうね。内容が常識をこえています、はい。いやいや、犯罪を起こすような気配はないですけどね、専門家が来たほうが……」


 それを聞いて扉をバタンと閉めた。

 だめだ、やっぱり信じてもらえない、そう思ったカオルはがっくりと肩を落とした。そしてすっかり暗くなった家路を重い足取りで辿った。ふと見上げたアパートがいつになく寂しげに見えた。

 力なくアパートの玄関を開けた。溢れ出る暗闇に、カオルはまた一つため息をついた。出かける時はまだ夕方だったので電気なしでも部屋が見渡せたが、今はもうすでに何も見えない。この電気をつけたら、みんなが突然出てきて、


「お母さん、びっくりさせてごめんね」


 なんて言ってくれないだろうか。そう思って電気をつけたが、返事は沈黙だった。一体子どもたちはどこへ行ってしまったのだろう。クモにあんなこと言わなければよかった。子育てが大変だから、子どもがいなくなればいい、そう思われたのだろうか、そんなことは願ってないのに。

 確かに毎日大変だった。

 長男、慶太の手が離れたと思ったら、次は次男。その次は長女。最後の長女、美代子は特に母親依存が強い。料理を作ってもお母さんお母さんと大声で泣き叫びながらしがみつく。次男の正二郎はいつも不機嫌であまのじゃくばかり。長男は思春期なのか、だんだん何を考えているかわからなくなってくる、確かに毎日が苦痛だった。

 でもいなくなってしまうのは辛い。大変な毎日の中でもどれだけあの子らが自分の心の支えになっていたのか、いなくなって改めて身に染みたのだった。


——お願い、お願いだから帰ってきて——


 そう願った直後だった。


「母さん、ただいま」


 大人の男性の声が響いた。しかし夫ではない。

 警察官が来てくれた? でもただいまって今。


「どちらさまですか?」


 玄関に向かうと、そこには見知らぬ若い男性がスラッと立っていた。それだけではない、横には頭ひとつ低い女性。足元には見たことのない子どもまでいた。カオルは目を丸くしてその親子を見つめた。そのまま立ち尽くすカオルを見て男性は口を開いた。


「どうしたの? 母さん。知らない人見るような目をして」


 カオルはじっとその男性を見た。誰だろう、でも何故かその男性の表情から優しい、温かみを感じた。


「あなた、まさか——」


 カオルの理解が追いつく前に、別の男性の声が響いた。

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