友に乾杯

猫ノ介

友に乾杯


 夕暮れに染まる港町『ヨコハマ』

『魔都』と揶揄されるこの街には、軍や警察には頼れない危険な依頼を取り扱う探偵たちがいる。異能を用い、昼と夜の世界を取り仕切る薄暮の武装集団『武装探偵社』だ。

 その社員寮の一室の前に一人の男が立っていた。

「まったく。珍しく仕事が早く終わってゆっくり寝られると思ったのに、一体何の用ですかね」

 彼の名は坂口安吾。内務省異能特務課で参事官補佐を務めている役人だ。そんな彼がなぜこの場所にいるのか。この部屋の住人に呼ばれたからである。嫌な予感を抱きながら安吾は部屋の呼び鈴を鳴らした。


           ◇


 社員寮の一室に、片膝を立てて壁に寄りかかる様に座る一人の男がいた。男の名は太宰治。武装探偵社の調査員でこの部屋の住人だ。「そろそろ来る頃かな」太宰は呟いた。

 その数秒後、部屋の呼び鈴が鳴った。

「入り給え。鍵は開いているよ」太宰は体勢を変えずに答えた。

「失礼しますよ」そう言いながら安吾が入って来た。

「やぁ安吾。君のほうから訪ねて来るなんて珍しいじゃないか。一体どういう風の吹き回しだい?」

「あなたが僕を呼んだんでしょう、太宰君」太宰からの問いかけに、安吾はため息混じりの口調で答えた。

「相変わらず冗談が通じないねぇ、安吾は」太宰はやれやれと言わんばかりだ。

「いきなり人を呼び出して、一体何の用です?」ずれた眼鏡を直しながら安吾は問いかけた。

「そう緊張しないで楽にしなよ。さてと、私はちょっと用事を済ませてくるから、座って待っていてよ」そう言うと太宰は立ち上がり、部屋を出て行った。

 太宰と安吾。探偵社員と内務省の役人。立場の違う二人がなぜこうも親しげなのか。

 安吾はかつて、異能特務課のスパイとしてポートマフィアに潜入していた時期があった。そして、当時ポートマフィア史上最年少幹部だった太宰と酒を酌み交わすほどの親交を持っていたのだ。

「まったく。相変わらずなのはどちらですかね」そう呟いた安吾は、一通り部屋を見渡してみた。空の酒瓶が数本乗ったちゃぶ台が置いてあるだけの、何の変哲もない普通の部屋だ。

 ふと、部屋の片隅にある一つの小さい棚が目にとまった。正確には"棚の上に置かれた何か"だ。安吾は棚に歩み寄り、それが何なのか確かめた。

 棚の上に置かれていたのは、黒い二丁の拳銃だった。

なぜこれが太宰の部屋にあるのかーー、と安吾は疑問に思った。


           ◇


 部屋の外では、太宰が夕暮れに染まる空を見上げていた。

「あれからもう四年が経つんだね」空を見上げながら呟く太宰。その表情はどこか悲しげだった。

「あのとき君は私に『人を救う側になれ。弱者を救い孤児を守れ』と言ったね。その言葉通り、人を救う側になるために探偵社に入った。敦君を助けた。どうかな、今の私は。上手くやれてるかい? 君の目に、今の私はどう映っているかな?」空を見上げながら問いかけた。

 しかし、その問いかけに返事はない。

「どうせ君のことだから『よくやってる』って言うだろうね」太宰の問いかけは、"この場にいない誰か"に向けてのものだった。

「まぁいいさ。私はこれまで通り、自分のやれる事をやっていくだけさ」そう言うと、太宰は部屋へと戻っていった。

 部屋に戻ると、安吾が棚に置いてある物を不思議そうに見ていた。かなり真剣に見ているのか、戻って来た太宰に気づく様子はない。

「何をそんなに見ているんだい?」

「ーーッ!」


           ◇


 銃に見入っていた安吾は突然の声に驚き、声がした方を向いた。そこにはいつの間に戻っていたのだろう、太宰の姿があった。

「いつの間に戻ったんですか? もう用事はいいのですか?」冷静を装いながら問いかけた。

「大した用ではないからね。それより、私が戻ってきたことにも気づかないくらい見入ってるなんて、そんなにそれが気になるのかい?」太宰はそっと微笑みながら問いかけた。

「ええ、少し気になったものですから。自分の銃を持たないと聞いていましたが、いつから持つようになったんですか?」ズレた眼鏡を直しながら問いかけた。

 安吾が問いかけたのも無理は無かった。

 太宰治は自分の銃を持たないーー

 そう安吾は聞いており、自身もそれを見ているからだ。

「いつからも何も、これまで持っていたことも無いし、これからも持つつもりはないよ。私には銃なんて似合わないからね」太宰は笑みを浮かべながら答えた。

 実際太宰は、マフィア時代にも銃を持っていなかった。銃を使ったことはあったが部下から借りた銃を使った程度で、自分の銃を使ったことは無かった。

「ではこれは一体誰のーー」そこまで言って何かに気付いたのか、安吾は棚の方へ向き直った。

「なるほど。そういうことですか」安吾は懐かしむような表情を浮かべた。

「そうだ。君はその銃に見覚えがあるだろう?」

「ええ。この銃には助けられたことがありますから。正しくは"この銃の持ち主に"ですけどね」

 太宰の言うとおり、安吾はこの銃に見覚えがあった。

 安吾が口にした"銃の持ち主"とはポートマフィアの最下級構成員だった人物で、二人にとって大切な"友達"のことである。彼と三人で過ごす時間は、お互いに立場を気にせずいられる大切なものであった。

 しかし彼の死がきっかけとなり、二人は仲違いした。

「その銃は今でも彼の物だ。だから私が持っていても、私の物ではないのだよ」太宰はどこか懐かしむようだった。

『彼がいなければ、私は今でもマフィアで人を殺していたかもしれない』

 以前、探偵社の部下にそう語っていたことから"友達"というよりも"恩人"に近い存在なのだろう。

「そうでしたか」彼の存在を感じたくなったのだろうか。安吾はおもむろに銃へと手を伸ばした。

 そのとき、安吾は背筋が凍るような感覚に襲われた。

「それに触れることは許さないよ」背後から太宰の声がした。

「その銃に触れる資格が君には無いと言っているんだ」太宰の言葉には怒りに近い感情がこもっていた。

「君にその銃は似合わない。君にはあのグラオガイスト灰色の旧式拳銃がよっぽどお似合いだよ」太宰は本気なのか、冗談なのか分からない口調で続けた。

 しばしの沈黙が二人を包んだ。

「わざわざ僕を呼んだのは、この銃を見せてそれを言うためですか?」手を下ろし、安吾は重い口を開いた。

 それを聞いた太宰は薄っすらと笑みを浮かべた。

「私がそんな意地の悪いことをする人間に見えるかい?」

「ええ。もちろん」そう安吾が答えたのは、太宰が言い終えるのと同時だった。

 安吾の答えに、太宰は一瞬言葉を失った。数秒後、呆れたように太宰は微笑んだ。

「まぁいいさ。さて、とーー」安吾に背を向け、玄関へと歩き出した。

「無駄話はこのくらいにして出かけるよ」早くしたまえ、と、安吾に呼びかけた。

「いったいどこへ行くんです?」安吾は振り返り尋ねた。

 安吾の問いかけに、太宰の顔から笑みがこぼれた。

「私たちが集まる場所といえばあそこしかないだろう。今日が何の日か忘れたのかい?」

 安吾は驚き、困惑の表情を浮かべた。

「太宰君、あなたは僕をまだ許したわけではないのでしょう?」安吾は問いかけた。

「もちろん。私はまだ君を許してなどいないよ」太宰は表情を変えずに答える。

「ではなぜーー」

「大した理由はないさ。ただ、今日くらいは君がいた方が彼も喜ぶだろうと思ってね」

安吾の言葉を遮るように太宰は答え、部屋を出た。

 安吾は一人、部屋に残された。

「日々の忙しさに忘れていましたよ。太宰君に呼ばれなければ、行くことはなかったかもしれませんね」そう呟くと、安吾は玄関へと向かった。

 "待っているぞ、安吾ーー"

 誰かに声をかけられた気がした安吾は振り返った。しかし部屋には安吾以外に誰もいない。だが、その声はハッキリと聞こえていた。

 不思議とその声に恐怖を感じることは無く、どこか懐かしさを感じた。

「ーー気のせいですかね。それともまさか・・・・」そう言うと玄関へ向き直り、部屋を後にした。

 外は夜の闇が、ヨコハマの街を飲み込もうとしていた。

「なかなか出てこないから心配したよ。何かあったのかい?」待ちくたびれたよ、と言わんばかりの表情をした太宰がいた。

「ええ・・・。いえ、何でもありません」中での出来事は話さないでおこう、そう安吾は決めたのだ。

太宰は不思議そうな顔をした。しかし、それ以上は追及しなかった。

「ほら、早く行くよ。待たせちゃ悪いだろ」

「幹部殿の仰せのままに」



 太宰と安吾は、夜の闇へと歩き出した。

 夜の闇が青かった頃へ。懐かしい友に会いに行くため・・・・・

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