124 標19話 お姉ちゃん育成計画2ですわ 5


 玉子と砂糖で作った素麺そうめん

 メイドたちはその魅惑的な言葉の響きに興味を惹かれます。

 その一方でグローリアベルは右手の人差し指をこめかみに当てて円をき続けています。

 侯爵令嬢ほどの存在であればお嬢様が何をするのかくらいはなんとはなく分かると言うものです。

 そしてグローリアベルはここにいるメイドたちのうち二人のあるじでもあります。

 当然のように向けられる彼女たちのまなざしの意味も理解できています。

 だからお嬢様に訊ねます。


「ユーコ。その砂糖と玉子で作った素麺そうめんの料理名を教えてもらえるかしら?」

「もちろんですわリア様。その料理の名は!」

「その料理の名は?」

「その料理の名は……」

「料理の名は?」

鴨卵素麺かもらんそうめん?」

「なんで疑問形なのよ!」


 最初ルーンジュエリアは胸を張ってその料理名を答えるつもりでした。

 ですが考えました。

 ウエルス王国には鶏がいません。

 家禽として飼育されているのは鴨と雁、つまりアヒルとガチョウです。

 この卵を使って作った料理に鶏卵の名前を冠してもいいんですの?

 ですがお嬢様は更に考えます。


 ルーンジュエリアは、優柔不断で思い切りが悪く決断力が乏しい現状を打破し潔い裁定を下す自分の姿を夢に見ます。

 けれども侯爵令嬢が今のお嬢様を見る限りでは、ただちに成ることを期待しても望みうすにしか思えません。

 ゆえに胸の前で腕組みしながらお嬢様を眺めていたグローリアベルは決断します。


「調理場に行きましょう。食べてみないと感想も言えないわ。あなた達もそうでしょ?」

「「「はい!ベル様!」」」


 お嬢様の決意をよそに三人のメイドたちは未知の料理への期待に胸を膨らませます。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 調理場では昼食の準備が行なわれていました。

 そこに邸宅のご令嬢が現れた訳ですから誰もがその動きを止めて注視します。

 慌てて走って来たのは調理長です。

 駆け寄ると帽子を脱ぎます。


「おぃ様、御用でしたらこちらから伺いますが?」

「ああ、いいのよ。かまどを一つと人を一人借りたいんだけど」

「おぃ様の御用とあらば何一つ問題はございません。配膳室の方にあるかまどでもよろしいのでしょうか?」

「無理を言いますね。感謝します」


 調理長は胸に腕を当てて一礼すると、調理場で仕事をする一人に声を掛けます。


「おい、マチルド!おぃ様の御用を頼む。配膳室のかまどを使ってくれ!」

「へえ?あたしがかまど使っていいんですか?」


 呼ばれた少女は驚きの声を上げます。

 彼女はまだ煮方、焼き方の仕事を任される立場にはありません。

 ですが調理長は賄い扱いであるなら問題はないと考えていました。

 この少女なら問題は起きないだろうと判断します。


「おぃ様を初め全員が女性だ。不敬はするなよ?」

「おぃ様にだけはしませんからご安心ください」

「よく見ろ!おぃ様のご友人もおられるぞ。粗相のないようにな」

「はい!」


 調理長は調理場の奥に消えて行きます。

 グローリアベルは紹介された少女に言葉を掛けます。


「手間を掛けさせますねマチルド。頼みますよ」

「はい。なんなりとお申し付けください。それで、何をいたしましょうか?」

「風邪で臥せっているユーコ、――ルーンジュエリアの妹のために小さな女の子でも美味しく食べられるお菓子か食事を考案する事になりました。彼女の指示に従ってください」

「心得ました。

 ルーンジュエリア様、ご指示をお願いいたします」

「ふみ。自分ではしっかりしているつもりですがジュエリアは成人された方々から見ると未だ幼い子供だと考えます。マチルドの力添えを期待しますわ」

「分かりました。何なりとお申し付けください」


 マチルドと呼ばれた少女は十四、あるいは十五歳に見えます。

 もしかしたら彼女は成人していないかも知れないとは考えましたが、自分よりは年上である事に間違いありません。

 だからルーンジュエリアは自分が調理に手を出さないと宣言します。

 続く言葉は料理の概要と、その調理方法です。


「ジュエリアの考えている料理は多くの砂糖を使う豪勢なものです。白砂糖か黄砂糖を小さな鍋で煮いて白蜜を作ります。玉子が固まる温度まで熱した白蜜に卵黄だけの溶き卵を垂らして細い糸の様な砂糖漬けの玉子焼きを作ります。この糸をなん十本も重ねて砂糖漬けの束ができたら完成です。

 マチルド。白砂糖か黄砂糖はありますの?」

「申し訳ありません、ルーンジュエリア様。私の一存ではさすがにそれだけの量の黄砂糖は準備できません。調理長に許可を受けるか、黒砂糖の代用ではいかがでしょうか?」

「マチルド。ではわたしが調理長に話します」


 侯爵令嬢は当然のように高価な材料を使おうとします。

 ですがルーンジュエリアは考えます。

 お嬢様が作ろうとしているのは妹のための料理です。

 それは王侯貴族が食べるごちそうとは違うものでなければなりません。


「お待ちくださいリア様。高価な材料を湯水のように使えば美味しい料理になるのは当然です。それしかない材料でいかに美味しい味を作り出すかが最も大切なところですわ」


 一般的に男の料理は美味しいと言われます。

 ですがルーンジュエリアはそれに反論を唱えます。

 考えてみれば当たり前な事ですが、一家の主婦が予算や家計簿、家事炊事の時間を無視して料理に専念したら男の料理よりももっと美味しい料理を作れることに間違いはありません。

 いかに安い予算で、いかに少量の材料を使って相手を満足させられるかが重要なことなのです。

 グローリアベルはお嬢様の言葉を理解します。

 ルーンジュエリアと同じ知識を持つ侯爵令嬢は当然ですが鶏卵素麺の作り方を知っています。


「ん?ユーコ。なら黒砂糖で作る?」

「それは駄目ですわ、リア様。鶏卵素麺を作るのに適している砂糖が氷砂糖なのは何故か?それは玉子の味のインパクトが思っている以上に弱いからですわ。玉子とは味ではなく、食感を楽しむ材料です。そうであるからこそ鶏卵素麺は全卵を使わず、卵白を除いた卵黄だけを使いますわ。全卵では砂糖の甘味に玉子の味が負けるからです」


 お嬢様は考えます。

 卵白で作ったお菓子であるメレンゲは確かに美味しいものですが、それは主役になるものではありません。

 玉子の白身はほかの味を引き立てる存在です。


「リア様もご存じのように黒砂糖には多くの糖蜜が含まれています。それは黒蜜の風味そのものであり、とても素晴らしい味ですわ。だからこそ卵黄の味が負けてしまいます。黒砂糖では美味しい鶏卵素麺はできません」

「でしたら、どするの?」

「蜂蜜を使いますわ。蜜蝋を取り除いた香りの弱いものです。

 マチルド。そう言った蜂蜜はありますの?」

「小鍋一つ分でしたら問題はありません」

「マチルド。花の種類は何?」

「おぃ様?花の種類とはなんでしょうか?」

「ん?花の香りが蜂の集める蜜にも移っているから、花の種類で蜂蜜の味が変わるでしょ?」


 花の香りと言うよりは樹液や草汁くさつゆと言った植物自体の味です。


「申し訳ございません。その様な管理はしておりません」

「リア様。ウエルス周辺にいる種類の蜂では、蜂蜜の採集は年に一度です。つまり花の種類ではなく、産地で語るべきです」

「そか。それはもっともな話です。

 ではマチルド。甘みや味が優しい蜂蜜はありますか?」

「はい、おぃ様。それでしたらすぐに用意いたします。

 ルーンジュエリア様。蜂蜜は水で煮ますか?蜂蜜だけで煮ますか?」

「調理中に素麺が沈んではまっすぐなたばに出来上がりませんわ。水を加えず、蜂蜜だけで煮ましょう」


 名前によるイメージや市販商品の出来栄えが先行する鶏卵素麺ですが、自作するのならモンブランケーキのようにぐるぐる巻いてもおかしな事はありません。

 お嬢様は素麺そうめんが同じ太さの細い糸である事こそを重視します。


「んー。これは加熱中の蜜が焦げない様にかき混ぜていなければならないんだけど、そうすると素麺も掻き回されるわよね。どうすんの?」

「黄身の固まる温度は七十度ですわ。火から降ろして余熱で調理するのが一番簡単です。けれどもたくさん作る予定があるなら二重鍋が都合良いですわ」

「「「二重鍋!」」」「ああ、あったわね」

「おぃ様、二重鍋とはなんですか⁉」

「ん?マチルド、湯煎の事です。ただし普通の湯煎ではありません。加熱を続けながら行なう湯煎です」

「ああ、なんとはなく分かります。ですが、それは実用的な調理法なのですか?」

「もちろんですわ。例えばカスタードクリームを作る時にこげの混入を気にしなくて済みます。そして何よりも、鍋プリンを作る時に必須の調理法です!」

「なるほど!鍋プリンを作る上でネックとなる大量のプリン液を準備する事が簡単になると言う事ですね?」

「ふみですわ。

 二重鍋は直火ではなくお湯で鍋を加熱する調理法です。ですから加熱温度は百度を超えることがありません。バター溶かしやチョコレートのテンパリングみたいな低温で数度以下の温度幅は湯煎調理の範疇ですが、焦げる事だけを対策したいのなら蒸し調理と違って見ながら調理ができます。

 そして蒸し調理よりも比熱による安定した高温で料理を作れます。密封袋調理と違って食材は煮詰まり、九十九度以下での煮炊きが容易です」


 ルーンジュエリアの説明をマチルドは違えることなく飲み込みます。

 そして調理が始まります。

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