040 標7話 親友ジェントライト男爵第三令嬢エリスセイラ様ですわ 8


 観客たちは立ち上がって広場中央にある鉄檻てつおりを見下ろします。

 縦横二十メートル。高さ十メートル。

 その中央には鎌首を持ち上げたバチヘビ原神が立ち構えています。

 見つめる先、檻の出入り口付近には一人の少女が居ます。


 魔竜は少女目掛けて飛び掛かりますが逃げられます。

 大口を開き目で追うと振り向いた顔の上でファイアーボールがさく裂します。

 その拍子で魔竜は後ろへ倒れます。

 巨体が轟音と地響きを起こします。


 少女はとても小柄です。

 十歳に満たないと聞いても疑う人はいないでしょう。

 そんな子供が魔竜と闘っています。

 人間種対巨大魔竜です。

 興奮しない方がおかしいでしょう。


「なんだ、あれは?」


 公王家専用の観覧席で護衛に付いていたエルフが口を開きます。

 ですがすぐに一つの可能性に思い当たります。

 相手に向かった魔法が消える。

 これと同じものを見た覚えがあります。


「アルフィン!先程のあれはシールドか?」

「いえ、陛下。おそらくは対魔石と思われます」

「馬鹿な!魔法術師が対魔石を持ち歩いてなんとする!」


 控える重鎮が叫びます。

 それを王子が制します。


「違う。セイラ殿は対魔石の効果を無効化できる魔法術を持つ。だからあのような事が出来るのだ」

「静まれ!今はあの令嬢の闘いを見よ!」


 公王陛下はそれどころではありません。

 見ただけで幼いと判るヒューマの少女。

 それが魔竜を魔法術で翻弄ほんろうしています。

 子供でさえあの力なら、国軍の兵士たちはどれほどの能力を持っているのでしょうか?

 あの少女だけと言う甘い希望は捨てています。


「かの国といくさになれば、あの力が我らの敵となる。全てを見定めよ!」

「「「「御意!」」」」

何処どこの国かは判らん」


 陛下は自問自答します。


「だが敵に回す訳にはいかぬ。早々にその名を定める必要があるな」




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 部屋でくつろぐルーンジュエリアは一人の客人を迎えていました。

 王子様の供をしていたコガンです。


「ジュエリア殿。ここにおられたか」


 応えるルーンジュエリアは笑顔です。

 コガンの様子を見てもまずい事が起きている様には見えません。

 彼はお嬢様に、これから行なわれるイベントの案内をしに来たのです。


「コガン様。セイラが何かなされましたか?」

「話によれば公王陛下はいたくセイラ殿を気に入られたご様子。早速に魔竜掌握の儀が行なわれる事と相成った」


 お嬢様の知らないイベントが告げられます。

 内心不安を感じます。

 意外に尾々びびり屋のお嬢様です。


「はて?それは一体どの様なものでしょうか?」

「有りていに言うと我が国の成人の儀だ。その内容は度胸試し。餌を与え、大人しくなった魔竜の前でその胆力を示す事である」


 相手の様子を見る限り大した事はなさそうです。

 それで不安が打ち消えます。


「まあ、それは素晴らしいお話ですね。いつ頃始まるのでしょうか?」

「うむ、じきに始まる筈だ。先程顔を見せたのだがジュエリア殿が不在だった故に連絡が遅れた。申し訳ない」

「構いません。おそらく所用で席を離れた時に入れ違ったのでしょう。その儀式は私も見る事が可能でしょうか?」

「もちろんだとも。そもそも闘技場で行なう催事である。多くの観客が詰めかけていると耳にしている」

「それではコガン様。その闘技場まで連れて行っては頂けないでしょうか?」

「安心せよ。もとよりそのつもりでここへ参った。ぐに移動は可能かな?」

「はい。よろしくお願いいたします」


 お嬢様は先導に従って部屋を出ます。

 向かう先は闘技場です。

 客席に着いた頃には儀式が始まっている事でしょう。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「ヤ‼︎」


 エリスセイラの声は観客達まで届きません。

 けれども何かをしただろう事は察しがつきます。

 何故なら魔竜が苦しんでいます。

 ヤで使うコロニーの大きさは太さ三ミリメートル、長さ三十センチメートル。

 対してバチヘビ原神は全長十メートル、太さ三メートル、推定体重は数トン以上で十トンを超える可能性もあります。

 その巨体では小さな棒が体内に刺さった所で苦しむようには思えません。

 しかし例えるなら自分の体の中に縫い針です。

 その痛みは耐えられるものではありません。


 バチヘビ原神は丸太の様に体を伸ばし、右へ左へ転がります。

 魔竜がぶつかる度に鉄の檻がゆがみます。

 この檻は火魔法で溶接されています。

 ですがその巨体を閉じ込めるだけの太さと強度はありません。


 やがて人々は知る事になります。

 巨大魔竜は閉じ込められていた訳ではありません。

 閉じ籠っていただけだったのです。

 何百年かは分かりませんが、まだ本気を出していなかっただけなのです。

 巨大な鉄のおりが壊れた時、それでも人々には余裕がありました。

 観客席は十メートル以上の高い壁の上です。

 魔竜に羽はありません。

 空を飛べない以上は安全です。


 けれどもバチヘビ原神は跳びました。

 その高さは五十メートル、自分の高さの十倍です。

 四階建て闘技場の壁を跳び越える事さえ難しくは無いでしょう。

 そしてエリスセイラを狙います。

 少女は巨大魔竜に倒すべき敵として認定されたのです。


 観客席は阿鼻叫喚の様となります。

 人々とは我先にと出口を目指します。

 それは公王家の観覧する貴賓席でも変わりません。


「陛下!ご退避ください!」

「バンセー!見届けよ。これはこの国の進退存亡に関わる!」

「御意!アルフィン!陛下を頼んだぞ!」

「殿下もご無事で!」

「ああ、死ぬ気は無い!」


 公王陛下の退場を確認した王子様は闘技場へと目を戻します。

 その王子様の頭上から少女の悲鳴が聞こえました。


「キャー‼︎」


 見上げると見覚えのある少女が落ちて来ます。

 頭を下にして落ちてくるその少女は軽く左腕を振ります。

 バンセーは少女の叫び声が魔法術の短縮呪文であることを知りません。


「ファ、ジャマー」


 突如巻き起こった爆風の中、少女は貴賓席の横にあった観客席へと降り立ちました。


「殿下!あれはなんとした事でしょうか!」


 王子様は少女が手で指し示した広場を眺めます。

 巨大魔竜は何かの棒十数本で地面へ串刺しになっています。

 魔竜と闘っていた少女がしずしずと歩み寄って来ます。

 恐れるべきはこちらの少女であったか。

 思わず心を口にします。


「貴女が神か?」

「お取消し下さい!それは全ての人が信じるそれぞれの神に対する最大の侮辱です!」


 王子様はもくします。

 彼女たちを敵に回す愚だけは避けねばなりません。

 二人は信じる教えが異なるために、『神』という言葉が意味する内容にずれを持っています。

 ですが王子様とお嬢様は共にその事を気付きません。


「ジュエリア様!」


 闘技場の少女は貴賓席の下まで来ていました。


「ご期待に沿えず申し訳ございません。わたくしは殿下とご縁がございませんでした」


 王子様はルーンジュエリアの口元がほころんだ事に安堵します。


「ジュエリア殿。セイラ殿の事は残念に思うがごり押しはせぬ。これを憎む事も無い。次に会う事があるならまた笑って語り合う事を望む」

「殿下の広いお心には救われる思いでございます」


 ルーンジュエリアは王子様に膝を折ります。

 お嬢様とて人の輪を乱す事は善しとしません。

 出来るならなあなあで済ませたいと考えます。

 ですが問題は破談の理由です。


「セイラ。縁無かった理由は何ですか?」

「性格の不一致です」

「大いなる創造神ヤハーよ。ここに束ね授けよ!ワープ!」


 広場に立つエリスセイラの前に転移してその前頭部を顕現したハリセンで真上からはたきます。


「痛あ‼︎」


「申し訳ございません、価値観の違いです」「ヒ」


 ハリセンを焼処分してエリスセイラに問い直します。


「具体的にはどの様な事でしょう?」

「信じる正義と人の命の重さでございます」


 エリスセイラは先程の出入り口前にたたずむリリーアンティークに手を挙げて合図します。

 少女奴隷が笑顔で駆け寄ってきます。

 それを見たお嬢様は軽く息をきます。

 その顔には笑みが浮かんでいます。

 そして小声で呪文を詠唱します。


「偉大なる創造神ヤハーに集いし数多の柱よ。並び支える神々よ、今ここに現前せよ。我が前に来たりて、建ち並べ。我、汝らを呼ぶなら唱えよう、参れヤハー也」

「ジュエリア様、その呪文はヤでございますが、……」


 友人の問い掛けを手で制してお嬢様は王子様へと叫びます。


「バンセー殿下!力無き正義は無意味です。されど正義無き力もまた無意味です。この言葉を、あのはしらを見る度に思い返し下さい!」


 その指は広がる空を指し示しています。

 釣られた王子様は空を見上げますが、見えるのは白い雲だけです。

 柱とはなんの事でしょうか?

 ルーンジュエリアは天空を見上げ、両手を高く掲げて叫びます。


「ヤハー‼︎」


 ゆっくりと両手を下ろし、視線を戻し、息を整えました。

 そして初めて見る少女へ目を向けます。


「セイラ、そちらの方は?」

「こちらはリリーアンティークと申します。今日からわたくしの家族になりました」

「セイラ様……」


 その少女の目が潤んでいます。

 悲しみの涙ではなく、喜びの涙です。

 それくらいはお嬢様でも分かります。


「ふみ。リリアン、ジュエリア達と一緒に来ますか?」

「よろしいのですか?」

「わたくしの家族ですから当然構いません」

「はい!一緒にお連れ下さい!」

「行きますわ、ワープ」


 一塊になった三人は闘技場から少し離れた空の上に転移しました。

 その時、雲の上から何かが落ちて来る事にエリスセイラは気付きます。

 落ち向かう先はおそらく闘技場。

 その細長い鉛筆状の何かがゆるゆりと大地を目指します。

 いえ、落ちる速度が遅いのではありません。

 大きな物だからゆっくり動いているように見えるだけです。

 大気との摩擦の為でしょうか?

 とてもゆるやかに回転しながら落ちて行きます。


「ルーンジュエリア様、あれは……」

「ワープ」


 ルーンジュエリアは答えません。

 太さ三メートル、高さ三百メートルのバターブロンド色の柱。

 闘技場の広場中央、巨大魔竜の上に落ちたそれは大地の奥深くまで突き刺さると太陽神ソラを崇めるにふさわしい巨大な日時計に姿を変えました。

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