041 標8話 許されざる命ですわ 1


 王都ブロッサムロードの空は暗く曇っています。

 立ち昇った土煙が低い空を覆ったのです。 

 ですが明日になれば納まっているでしょう。

 その被害は限定的であり、舞い上った土砂が都上空へ広がっただけにすぎません。

 被害が小さかった事はルーンジュエリアを安心させました。


 お嬢様たち三人はブロッサムロードから十キロメートルほど離れた河原に居ました。

 草原は手を入れる人がいないので背が高い草に覆われています。

 手が入っている所は道です。

 少ないとは言え人の往来があります。

 ちょっとやらかしてしまった自覚があるお嬢様は人目を避けて河原でくつろぎます。


 白くて丸いテーブルに椅子は三脚です。

 ティーセットも三組用意されてあります。

 ですがリリーアンティークは腰かけません。

 エリスセイラの後ろで控えています。


 一方でお嬢様はティーセットをどけてテーブルに突っ伏します。

 そして考えます。

 胸をテーブルに預けるとは楽なんですの?

 大人になったら一度は経験してみたいですわ。

 しかしこればかりはその時が来ないとできるかどうか分かりません。

 あー、駄目ですわ。頭を空にすると逆にくだらない事を考えますわ。

 お嬢様は椅子に腰かけてだらける事が不得手の様です。


「ふみーっ」


 闘技場に残して来た柱に付いて考えます。

 あれは消してきた方がいいんですの?

 大きさは大きいですが、ヤーを使えばいつでも髪の毛に戻せます。

 ルーンジュエリアの魔法術には抗魔石と対魔石の対抗魔法術を組み込んでいますので、お嬢様の関係者以外では処分する事が大変難しくなっています。

 まあいいですわ。苦情が来るか、困っているとの噂が来たら消してしまえばいいですわ。

 苦情が来るって事はばれているんだと言う発想は無いようです。


「今日は魔力を使い過ぎましたわ。一泊して帰ったらキサラに怒られますわ」

「ルーンジュエリア様。残っている魔力で帰れる所まで帰ると言うのはいかがでございましょうか?」


 お嬢様はテーブルに突っ伏したまま顔を上げずに小さく真上を指さします。


「あそこで魔力切れになったら困りますわ」

「それは困りますね」

「そうですわ。困るんですわ」


 あまり困っているように見えないのは、まだどうにかできる余力があるからです。

 ですがもうすぐ暗くなります。

 場所によっては山のせいで日が暮れているでしょう。

 夜中に転移魔法を使う事は賢い行動だと思えません。


 そうこうだらけているとリリーアンティークが体をずらして話に参加します。

 最初は魔法術の大きさに恐れおののいていた少女奴隷ですが、エリスセイラが余りに普通に対応しています。

 きっとこの方たちの国では普通の事なんだろうと気を許し始めています。


「あのー、セイラ様のお国はどちらなのでしょうか?」

「わたくしはウエルスでございます。サンストラック領の隣にございます」

「ウエルスですか。ではもうセントエリモには行けませんね」


 リリーアンティークは南スクリーン大山脈へと目を向けます。

 思う所があるようです。

 それを聞いたお嬢様が体を起こしました。


「ふみ?リリアンはセントエリモですの?」

「はい。私はトリストンコンプですが、父と母はセントエリモの出身です。幼馴染だったそうです。

 母からは生前、セントエリモの陽は素晴らしいから一度は見ておきなさいと事あるごとに言われ続けていました。まだ見た事は無いんですけどね」

「なんじゃそりゃ」

「落日でございます。セントエリモの陽は大きく、美しい事この上ないと言われております」


 エリスセイラが説明します。

 彼女にとってお嬢様は魔法術の大天才ですが、一般常識に疎い所が多すぎます。

 人間だれしも短所は有るものでございますと優しい目をして見守ります。

 セントエリモの陽と言う単語はお嬢様の琴線に触れたようです。

 観光名所があるなら行って、見るのが暇人の行動原理です。


「ふみ。リリアンはセントエリモの陽を見たいですの?」

「見たい事は見たいですが、遥か遠くだから無理です」

「リリアン。セントエリモは何処にありますの?」

「ここから真っ直ぐ東へ行くとグラスホッパーにぶつかります。その南です。

 大山脈が海に突き出して壁みたいな岬になっているふもとと言うか、手前です」


 ここでお嬢様は常識の違いに気を魅かれます。

 知らない物事は知って覚えたいと常々考え、それを実践しています。

 些細な言葉遣いの違いもその一つに含まれます。


「やっぱりリリアンもグラスホッパーですの?」

「はい。この辺りでは南スクリーンの方が判りづらいですよ」

「セイラ、聞いてみるものですわ」

「うふふ。左様でございます」


 お嬢様は椅子をずらして自分の後ろに遥か遠くそびえ立つ青い山脈をながめます。


「グラスホッパー……」


 お嬢様は山育ちです。

 目の前に山があるのだからとりあえず行ってみたい。

 そう考えます。

 だからと言って浜や海、川、湖が違うかと言われればそんな事はありません。

 あるのだから行ってみるのが暇人の発想です。


「セイラ、リリアン、明日あすは夕陽見物ですわ」

「え!」「ルーンジュエリア様。またそう言う事を軽々しく」


 貧乏男爵のご令嬢には遊び呆けると言う発想はありません。

 だから今すぐにでも帰宅して親と家人を安心させたいと考えています。

 ですがお嬢様にはいつでも帰れると言う気持ちがあります。


「リリアンは明日あすを逃せばいつセントエリモの陽を見る事ができるのか分かりませんわ。だから明日あした見ますわ」

「そうでございますね。これも何かの縁でございましょう。わたくしは賛成いたします」

「バンセー殿下とはご縁がありませんでしたわ」

「それはよろしいのでございます。リリーは良いですか?」

「あの、あの、本当にいいのですか?」


 少女奴隷は、なんか自分一人の為に二人が融通してくれている、そんな気になっています。

 しかし、そう言う理由ではありません。

 見に行きたいのは二人にとっても同じでした。


「ルーンジュエリア様が良いと仰っているのですから構いません」

「行きたいです。セントエリモの陽を見たいです」

「それなら決定ですわ。では夕食の準備ですわ」


 もうそろそろ日暮れです。

 少女奴隷はだんを取る為の流木を集めます。

 季節的に暑い夜ですが、初めての土地の夜です。

 リリーアンティークの話だと夜明け前から朝方は冷え込む事もあるようです。


「ルーンジュエリア様。ご夕食は作りますか?出されますか?」

「ジュエリアが出した方が楽ですわ」


 食事はさすがに三人一緒でテーブルを囲みます。

 固辞する少女奴隷を安全の為だからと無理やり同席させます。

 メニューは簡単にサンドイッチです。

 魔法術でリアライズするのですから過去にルーンジュエリアが食べたほぼ全ての料理を顕現できます。

 ですが少女三人では食べる量など知れたものです。

 それでも当人たちは家人の目が無い事を理由に食べ過ぎたつもりです。


「おいしいー!なんですか、このパン!」

「ルーンジュエリア様。このお料理はグランブルの作でございますか?」

「ふみ。試行錯誤でジャガタライモの澱粉を混ぜ合わせたグランブルの傑作ですわ」

「なるほどなるほど、あの料理長の腕はまさに神の腕でございます」

「おいしいです。こんなおいしいパンを食べたのは生まれて初めてです!」


 どうやら二人ももっちり感を喜んでくれているみたいですわ。

 食べ応えと満腹感をパワーアップした、最近のお嬢様一推しです。

 食器を片付けようとした少女奴隷を二人が止めます。

 どうせ明朝には焼却処分する予定です。

 再利用する可能性はありません。

 その時になったらリリーアンティークの驚く顔が見ものでしょう。

 ですがお嬢様たちにとっては当然すぎてそんな事は思い付きません。


「あのー、ルーンジュエリア様?お話を伺ってもよろしいですか?」

「ふみ?ジュエリアでいいですわ」

「ですがセイラ様はルーンジュエリア様と呼ばれております」

「セイラの言葉遣いは趣味ですわ」

「え?そうなんですか?」


 驚く少女奴隷を横目に男爵令嬢はほくそ笑みます。


「うふふ、そうですわね。持って回った言葉遣いをすると考える時間を作れますので話易いと言うのは事実でございます」

「良く分かりませんがそうですか」

「ちなみにジュエリアの言葉遣いも趣味ですわ」

「それはなんとなく判ります」


 席を同じにして気安くなったのか、リリーアンティークはティーカップを眺めながら答えます。


「更に付け加えるとセイラの名前はエリスセイラですわ」

「……!申し訳ございません‼︎」


 転がるように席を立った少女奴隷は平伏し、地面に額をこすりつけます。

 目上の貴族を話に引き合い出す時は愛称で呼んではいけない。

 これは貴族も平民も関係ありません。

 貴族を愛称で呼んでいいのは愛称呼びを許してくれた本人相手か、更に目上の貴族だけです。

 例外と呼べるのは兄弟姉妹とそれに準じるほど近しい相手だけです。

 ここでの会話を説明すると、ルーンジュエリア相手にエリスセイラを愛称呼びしています。

 これは家臣、平民にとって許される行動ではありません。


「ルーンジュエリア様はお人が悪うございますよ」


 ですがエリスセイラはそもそも気にしていません。

 だいたい自分が教えていないのですから相手が知らない事は当然だと思っています。


「申し訳ございません‼︎なんなりと罰はお受けいたします!ですから、命ばかりはお助け下さい‼︎」

「ふみー。セイラが殿下とご縁が無かった理由を納得できますわ」


 価値観の違いの意味をお嬢様は納得します。

 その言葉にエリスセイラは頭を下げます。


「恐縮でございます」

「それはジュエリアの台詞ですわ。ぽんぽんと頭をたたいた事、心よりの謝罪をしますわ」

「お言葉もったいなく存じます。

 思いますに、もしも殿下とのご縁がございましたらわたくしのみならずジェントライトにどれほどの富と名声がもたらされたでしょうか?

 礼を申しこそすれ攻め立てる等ございません」

「そう思ってくれるのなら嬉しく思いますわ」


 流れる空気が自分の知るお貴族様たちと異なります。

 少女奴隷は恐る恐る問い掛けます。


「あのう、申し訳ございません、」

「ふみ?」「なんでございましょう?」

「私への罰はどうなりますか?」


 ああ、そんな話もございましたとエリスセイラは答えます。


「リリーには帰宅したのちに家族を紹介いたします。その後は間違い無い様に気を付けなさい」

「サンストラックの方はセイラと一緒に遊びに来た時にでも紹介しますわ」


 取り合えず助かったのだろうと少女奴隷は息をきます。

 試しに立ち上がって見ましたが、咎める声は聞こえません。


「そう言えば自己紹介もまだでございました。今、済ませたく思いますがいかがでございましょうか?」

「ふみ?セイラが自己紹介をはぶいたとか、意外ですわ」

「時が場合でございました」

「では、順番だとジュエリアからですわ」


 話す順番は身分が高い順です。

 伯爵令嬢は男爵令嬢が立ち上がるのを見届けたあと席を立ちます。

 何故なら家臣と呼べる者はリリーアンティーク、一人だけです。

 彼女はルゴサワールド公王家で働いていただけあって優秀なようです。

 お嬢様の言葉を聞いて椅子を引く順番を瞬時に判断したようです。


「ジュエリアはサンストラック伯爵第二女のルーンジュエリア・オブ・ハッピーレイですわ。知っての通りジュエリアの自己紹介が終わりましたから今後はジュエリアを愛称呼びで構いませんわ」

「い!伯爵家。ご無礼の数々申し訳ございませんでした‼︎」


 少女奴隷は、あまりに二人が互いに気安いので身分は同じで年齢差だけだと思い込んでいました。

 自分が今まで接した対応はとてもではありませんが伯爵令嬢に対するものではありません。

 けれどもお嬢様は別の事が気がかりの様です。

 呆れた声で注意します。


「いや、セイラの自己紹介を邪魔する方が無礼ですわ」

「申し訳ございません‼︎」

「セイラ。ルゴサワールドの王宮内は五月蠅うるさそうですわ」


 男爵令嬢は笑います。

 思わず声が漏れそうです。

 笑い声をあげても叱責される事など有り得ませんが、リリーアンティークが手前です。

 精一杯の格好を付けます。


「わたくしは、わたくしたちの横着にこそ問題があると考えます」

「ふみ。リリアンに落ち度がない事だけは確かですわ」

「ここでキサラなら、ジュエリア様の落ち度ですね、とか言うのでございますか?」

「ですわ」


 ここでもなんとか助かったかと少女奴隷は安堵します。

 もうニのてつは踏みません。

 新しい仕事先に付いての情報収集を始めます。


「キサラ様とはどなたでしょうか?」

「ジュエリアのお付き侍女ですわ」

「そんな!侍女があるじに対してその様な口を使うのですか!」

「ですわ。だからリリアンのここでの無礼は全く問題になりませんわ」

「あ。申し訳ございません!」


 安心するのもつかの間です。

 どうやら新しい仕事先は以前の職場と習慣が違うようです。

 リリーアンティークは更に気を引き締めます。


「では、わたくしでございますね」


 エリスセイラは少女奴隷に向かい立ちました。


「わたくしはジェントライト男爵第三女エリスセイラ・オブ・ローゼンヘレンでございます。嬉しい事にルーンジュエリア様と同い年の八歳でございます。リリーにはセイラと呼ぶ事を許します」


 男爵令嬢はここで一呼吸置きました。

 少女奴隷は次の言葉を待っています。

 まだ話が続く事を察している様でございます。侍女としては有能の様でございますね。

 目の前に立つ少女を見てそう判断します。


「リリーにはいろいろ思う所があると思います。ですが安心しなさい。おかしいのはわたくしたち二人だけでございます」

「ありがとうございます。私は本日からエリスセイラ様の奴隷になりましたリリーアンティーク・ビーチテントです。これからよろしくお願いいたします」


 平民の共通家名は一般的にありふれたものを使います。

 わざと良く分からない長ったらしい名前を使う貴族との違いが出ています。

 どこの国でも同じですが、気高いとか上品な言葉は長いものが使われます。

 対して安っぽいとか汚い言葉では短いものが多くなります。

 その理由としては言葉を略すと短くなる事が挙げられます。

 この世界でもその辺りは変わりません。

 リリーアンティークは海に近い町の出身だから海に良くあるものが共通家名に選ばれたのでしょう。


 それはさて置き、ルーンジュエリアはリリーアンティークの自己紹介に戸惑います。

 聞き慣れない言葉が出て来ました。


「ふみ?奴隷ですの?」


 そうでした。

 お嬢様はまだその事を知りませんでした。

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