007 標2話 敵は家族と家臣達ですわ 3
ルーンジュエリアの慟哭は続きます。
床にお尻をつけてしゃがみ込んだままして立てません。
「なんで……」
漏れ出る声がつぶやきます。
「なんでですの?」
問い掛ける先に相手はいません。
「なんでなんですの……」
八つ当たりもできません。
「キサラ。――ジュエリアはどうなったんですの⁉」
潤んだ瞳がメイドを見上げます。
キサラはそれに応える言葉も知識も持っていません。
ルーンジュエリアのお付きメイドであるキサラは奥方たちに今回の計画を知らされていません。
それは主従の関係を壊さないようにする対処でした。
「ヒ」
ルーンジュエリアは再度ファイアーの魔法術を使ってみます。
けれども魔法が起動する気配はありません。
ルーンジュエリアは泣きません。
ただ黙って立ち上がります。
メイドを置いて部屋を出ます。
子供が従者を置いてどこかへ行くのは良くある話です。
ルーンジュエリアの妹たちはしょっちゅうやっている様です。
ですがキサラは困惑します。
ルーンジュエリアのお付きになって三年。
このお嬢様にそちらの
だからキサラにはこの様な時に対処する経験値が足りません。
取り合えず
ルーンジュエリアはとある部屋の前に立ちます。
そして黙って扉を開けます。
母・ルージュリアナの私室です。
夫であるポールフリードでさえ許可なく、断りなく入室はできません。
無断で入室できるのはその母の成人前な子供たちだけです。
「どうしましたジュエリア」
「抱っこ……」
母の前に立ち、両手を差し出します。
ルージュリアナは膝に抱きかかえて後ろ髪を撫でてあげます。
「もう、」
声がします。
小さな声です。
「だめぽ」
娘の髪の臭いに心を和ましている母親の耳にその声が届きました。
「もうだめ。ん?」
母は言葉の先を促します。
それは訊ねたいのではありません。
言いたい事を言えない事は苦しい事です。
言えば楽になると知っているのです。
母に対してなら何を言っても許されるのです。
「ポールに」
ルーンジュエリアの口が開きます。
出てきたのは父の名です。
娘の愛する初恋の相手です。
「ポールフリードに、会いたい、ですわー!」
ルーンジュエリアは声を上げて泣き始めました。
ウエルス王国では父親を名前で呼ぶ習慣があります。
貴族のほとんどは一夫多妻なので母親は名前で呼び分けます。
父親は一人ですが母親に準じて名前で呼ぶようになりました。
この辺は人それぞれです。
そしてその習慣は一夫一妻の両親を持つ子供たちにも広がりました。
ルーンジュエリアは自分を普通の子供だと思っていました。
けれども頭の中をよぎるのはそれを否定する言葉です。
飛ばねえ豚はただの豚だ。
ジュエリアは自分を特別な存在だと思っていたのですわ。
意外な事実に驚きます。
他の人達にとって魔法は有って当然の存在でしょう。
しかしルーンジュエリアにとって魔法は有るのがおかしい存在です。
ルーンジュエリアにとってここはファンタジー世界です。
あっちの世界で生きた覚えはありませんがここをファンタジー世界にしか思えません。
魔法は無くて当然の存在です。
だから魔法術が使えなくなっても困らない様に剣と武術の鍛錬を怠りません。
ならば何故悲しいのでしょう?
そしたらなして悔しいのでしょう?
ジュエリアも所詮はこの世界の住人ですわ。
ルーンジュエリアの涙は止まりません。
「母はここに居ますよ」
ルージュリアナは娘を優しく抱き締めます。
それでもしゃくる声は止まりません。
ルーンジュエリアはいつまでも泣きじゃくり続けました。
「アーバンセーヌさん、よろしいでしょうか?」
キサラはルージュリアナお付きメイドの一人に話しかけます。
アーバンセーヌ・ラインフェリス。
ウエルス王国の隣国であるハンタストン合州王国の出身です。
この周辺諸国一帯はほぼ同一人種であり外見上の大きな差異はありません。
体のメラニン色素が薄い為、肌は体を流れる血の色でピンクに染まるほど色が薄く、目と髪の色は様々です。
ルーンジュエリアの知識で例えるなら日差しの弱い地域に住む北ヨーロッパ人です。
ルージュリアナに仕えるもう一人のメイドも耳を澄まします。
「ルーンジュエリア様ですよね?何がありました?あのようなルーンジュエリア様は見た事が有りません」
「それが、良く分からないのです」
「分からないとは
アーバンセーヌの様子も心配そうです。
ルーンジュエリアは自分が使える
ですからそれも当然の事でしょう。
「ルーンジュエリア様が急に魔法を使えなくなりました。本当にいきなりです」
「あ!ああ、そう言う事ですか」
相手の合点がいった様子にキサラが食いつきます。
それ程までにルーンジュエリアが心配です。
「アーバンセーヌさんは何かご存知ですか?」
「魔法は繊細なものです。そう言う事もあるでしょう。心配する程ではないと思います」
「そうなのですか?わたしは心配です」
「落ち着いてもう少し見守りなさい。ルーンジュエリア様に仕えるのが貴女の仕事です」
「判りました。ありがとうございました」
心配するなと言われても心配です。
それは原因も理由も分からないからです。
もし治らないと言われても理由が判れば安心できる。
人間とはそう言うものです。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「もし」
「どうぞ」
キサラの呼びかけに扉の中から声が入室を許します。
ここは執事室です。
サンストラック伯爵が内務で使う執務室の隣です。
「失礼いたします。ルーンジュエリア様です」
「これはこれはジュエリア様。何かご用でしょうか?」
「セラフィン。ジュエリアは剣の鍛錬をする相手を探していますわ。ガルガントかエルバトルを使いたいですわ」
この場に居る二人の侍従の名を挙げます。
共に朝の鍛錬では付き合いが深い相手です。
「おや?昼後に剣の鍛錬ですか?珍しい事もあるものですね」
「ふみ。ジュエリアは体の調子がおかしいのですわ」
「「え!」」「なんと!」
部屋の中に居た三人が慌てます。
それはそうでしょう。
腐ってもこの館のお嬢様です。
ルーンジュエリア自身も自分が腐っている自覚くらいはあります。
「身体の調子がおかしいとはいかがなされましたか?剣の鍛錬などして大丈夫なのですか!」
「心配は不要ですわ。今日は魔法術の起動が上手くできないだけですわ」
「「え?」」「ああ」
「そう言う事もあるでしょう。ですが今日はちょっと都合を付けられる相手がおりません。申し訳ございません」
「ふみー。空きが無いなら諦めますわ。セラフィン。邪魔をしましたわ」
「ふむー。お待ちくださいジュエリア様」
「ふみ?」
執事長はほんの少し黙り込んだ後、自分の部下に確認を取ります。
「エルバトル。わたくしがいなくても問題はありませんね?」
「え?あ!はい、大丈夫です」
「ジュエリア様。不肖このわたくしがお相手をしても構いませんでしょうか?」
「ふみ?んー。ジュエリアはセラフィンと手合わせをしていませんわ。胸を貸してくれるのなら喜びますわ」
「よろしくお願いいたします、ジュエリア様。貴方
「はーい」「分かりました」
「では行きますわ、セラフィン、キサラ」
セラフィンは領有騎士団出身ですがサンストラックで副団長を務めていた叩き上げです。
時間が合わないとか、そもそも鍛錬をしないとかの理由でルーンジュエリアは手を合わせた事が有りません。
伝説の豪傑が胸を貸してくれるなら願ったり叶ったりです。
屋敷の中庭。訓練場にある石畳に向かいます。
試合形式の組手はこちらでする事が多いです。
「セラフィンは槍士ですわ。ジュエリアは棒も極めたいので今日は棒にしますわ」
「ふむ?ジュエリア様も槍をお使いになられるのですか?その様な話はまだ聞いておりませんぞ」
「棒でも槍でもなく、鎌ですわ」
「鎌ですか?」
日本の鎌は腰を折って草を刈ります。
対してウエルス王国の鎌は腰を折りません。
長柄の先に付いています。
言い表わすなら逆反りの薙刀です。
「ふみ。セラフィンは麦刈り鎌を知っていますわ」
「存じておりますが、槍と鎌でしたら大差ないように感じますが」
「セラフィンが同じだと思うならジュエリアが未熟と言う事ですわ」
「成る程。理想の形は既にまとまっておられると考えて良い訳ですな」
「あれが武術になるとどうなるか?胸を貸して欲しいですわ」
「畏まりました。麦刈り鎌、拝見いたします」
セラフィンは棒を水平に構えます。
対してルーンジュエリアは棒の先を地面まで下げて構えます。
訓練場の石畳に棒の先がこすりそうです。
共に棒の長さは二メートル程で中間を握っています。
一見するとルーンジュエリアが棒の重さに負けているように見えます。
しかしセラフィンは考えます。
そんな優しい相手ではないですな。
(ふむ。足を払うか、棒の巻き上げ狙いでしょうか?ではこちらは胸を狙いましょう)
ルーンジュエリアは棒先を上げて払うだろうと考えます。
ならばこちらが巻き上げれますね。
そう計って繰り出した棒が石突で跳ねられます。
「なんと!」
手の中で柄を滑らして上を握りましたか。
ではこちらも石突で。
セラフィンは逆手でルーンジュエリアの頭へ突き下ろします。
普通なら穂で狙うタイミングですが距離に合わせて石突です。
空振っても棒を立てて防御できます。
しかしルーンジュエリアは棒の握りを手放し、両手首で中央部を上下から叩いて横回りさせた防御をします。
子供の回す力ならセラフィンは耐えられます。
ですが打撃の回転力では押され負けます。
「くは!」
「セラフィン、強すぎますわ。もう少し手を抜いて隙を並べて欲しいですわ」
「ではそちらもゆっくり打って下さい。全く勝てる気がしません」
「ジュエリアから逃げ足を取ったら、どう闘えばいいか分からないですわ」
ルーンジュエリアは柄を長く持ち、上段から大きく振り下ろします。
と見せて、袈裟懸けから薙いでセラフィンの右手握りを突き狙います。
「く!」
「セラフィン!」
巻き込みを狙ったセラフィンの棒が先の芯を突き弾かれました。
握りを緩めて手首への負荷を避けたもののルーンジュエリアは滑らした棒先で右足甲を突き打ちます。
運悪く執事長は逃げ切れませんでした。
お嬢様はセラフィンに治癒魔法術であるヒールを短縮呪文で掛けます。
「ハン!大丈夫ですか、セラフィン」
「大丈夫です。もう回復しました。続けますぞ」
「良かった……。行きますわよ」
「どうぞ!」
武術の鍛錬に怪我は付きものです。
鎌を模すとか模さないとか以前にルーンジュエリアの棒裁きはセラフィンの予想を超えてスムーズです。
ふむ。これは気を抜けませんね。
執事長は気を引き締めます。
棒で接近戦なのに競り合うのではなく絡め合うとか思い切り気が張ります。
結局三十分程打ち合いました。
「ジュエリア様は薙ぎる時に撫でる癖がおありですな」
「ふみ。そう言う
「では剣も同様ですかな?」
「ですわ」
「ふむー。打撃の繋がりが滑らかで
「ジュエリアはまだ子供。まだまだですわ」
「ご謙遜を」
想定している武器が違いますな。
執事長は考えます。
武器を見ない限り、ジュエリアお嬢様の動きは本当の意味で理解できないでしょう。
そう結論付けます。
「ではセラフィン。大儀でしたわ」
「失礼いたします、ジュエリア様」
執事長が見えなくなった先を見詰めながらと、右手を横に突き出しました。
そしてルーンジュエリアは呟きます。
「ヤ」
真横に伸ばした手の甲から手の平に向けてバターブロンド色の棒が貫通しています。
太さ三ミリメートル、長さ三十センチメートル。
髪の毛を大きくした物です。
「ジュエリア様!魔法が使えてますよ!」
「ヤー。ハン。試合中にヒールが使えましたわ。さっきは何故駄目だったのか分かりませんわ」
手に刺さっている髪の毛を元の大きさに戻して抜いた
そしてルーンジュエリアはふと考えます。
自分をあやすルージュリアナはともかく、お付きメイドのラインヒルデとエリーゼリアが落ち着き過ぎていました。
何故騒がなかったのでしょうか?
そう考えると執事長も落ち着き過ぎです。
ウエルス王国では魔法術の価値は優先されます。
ルーンジュエリアは自分の魔法術の価値を理解しています。
サンストラックのバケモノはサンストラックにとって宝の筈です。
「キサラ。セラフィン達の様子を見ました?」
「いえ。
「ジュエリアが体の調子をおかしくしたと聞いて慌てていましたが、魔法の事だと知って安堵していましたわ」
「そうでしょうか?気付きませんでした」
「ジュエリアは自分の魔法術の価値を理解していますわ。ジュエリアが魔法を使えなくなったと聞いて慌てないのはおかしいですわ」
「それについてはわたしでもそう思います」
キサラも言われて気付きます。
確かにみんなが落ち着き過ぎだとは思っていました。
ですが、騒いでいるのは自分たちだけ。
ここまでは気付きませんでした。
「
「あの。――それは無いのではないでしょうか?この屋敷にジュエリア様への不穏を企む不忠者はいないと確信いたします」
「キサラ。それは思い違いですわ。この屋敷に居ないのはジュエリアの為にならない事をする者です。ジュエリアの為になると信じるならジュエリアの意思に反する事を行なって、何か支障がありますの?まったく無いですわ」
「ではジュエリア様。この
「もちろん、大人達を説得しますわ」
説得はいいですが、どうしましょ。
ルーンジュエリアは考えます。
これはきっと、自分の為にみんなが組んで何かしている。
そう推測します。
思い込みによる行動は説得できるものではありません。
聞く耳持たず、です。
「敵は家族と家臣達ですわ」
ルーンジュエリアはその巨大な敵を前に苦悩します。
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