幕間

……幕間 ……立腹

 窓からあかね色の陽光が差し込む初冬の美術室、私――目堂めどう沙也さや瓶底びんぞこ眼鏡を取り外し、長い前髪に隠れた額に浮き出た汗をハンカチでぬぐった。


「……ふぅ……やっとできた」


 たった今完成した、目の前の机に鎮座している三十㎝高さ程の猫の粘土細工を見て、安堵あんどと達成感から大きく息を吐く。これは今日の美術の時間中に提出の課題作品だが、何をするにしても鈍くさい私は間に合わず……本日中までなら成績評価してくれるということで、こうして放課後に独り黙々と作っていたのだ。

 絵は得意だけど、こうした立体アートは苦手……造形センス的な問題に加えて、非力すぎて素材を加工するのにイチイチ時間がかかるという、なんとも情けない話なんだけど。芯材しんざいの針金を切れず呆然ぼうぜんとしていた握力一桁kg保持者の私を、授業中近くに居た咲茅さきが何度も助けてくれていなかったら、完全に詰んでいたところ。やっぱりアートは、絵筆や林檎りんごペン一本で描ける二次元に限るね。


「……ふふ……明日は筋肉痛確定」


 粘土を散々こねて凝り固まった腕を見て自嘲じちょう気味にそうつぶやくと、作品を持って美術室を出た。

 職員室で先生に完成報告をした後、展示場所の一階ホールに向かう。ホールに近づくにつれて、「コンテスト作品展示場」と書かれた看板と投票箱、壁沿いに据えられた展示台に並べられた百点を超える作品群が、遠目ながらに見えてきた。このイベントは二年生全員が同じ材料から一品作って出展するもので、教員の審査と生徒による人気投票があり、前者は美術の成績として評価される。

 手元の猫を改めて見れば、眠たげなまなこで暗くうつむいており……ずいぶんと私に似ている気がする。ペットは飼い主に似るとよく聞くが、まさか創作物の猫にまで適用されるとはね。総じて何の面白みもない、良くも悪くもない出来だが、どちらかに大きく振れて注目を浴びるよりよっぽど良い。こうして影の薄い私らしい作品になっている事が、最も重要なのだ。

 そうして、よそ見をしながら歩いていたところ……


「――あたっ……ちょ、と、ととと……」


 足元に落ちていたペットボトルにつまずきかけてしまう。しかも鈍くさい私なので、その拍子に作品が手の上でお手玉状態になり、それを無理につかもうとして……最悪なことにもアンダースローで放り投げる形になってしまった。


「あ」


 作品が宙高く放物線を描いて前方へ飛んで行くのを、ただ呆然と見つめるのみ。私の鈍足では絶対に追いつけないし、奇跡的に手が届いても絶対に受け止められやしない。……ああ、私の美術の成績、サヨナラ。「一」が付くのは体育だけにして欲しかったよ。

 そうあきらめた瞬間――


「――うおおおお!」


 突如後ろから叫び声が上がり、見知らぬ金髪の男子が全速力で前に飛び出し、ヒュンと風が肌をでる。……え、まさか、拾いに? そんなの、絶対届く訳ないのに。

 その男子は前傾すると、両手を前に出して頭から飛び込んで、ホールの床を滑っていき……


「どおりゃぁぁぁ………………キャッチ!!!」


 なんと受け止めたではないか。信じられない――いや、間に合ったこと自体もそうだけど、見ず知らずの他人の何かも分からない物を受け止めるために、普通そこまでする?


「ハイ、どうぞ」


 その男子はすぐに立ち上がると、全身ホコリまみれの汚い格好で、私の作品を差し出してきた。

 見ると……受け止められはしたものの、残念ながら衝撃で猫の顔や身体がひどくゆがんでおり、滑稽こっけいな姿になってしまっていた。名付けるなら、「ひょっとこパリピ猫」かな。


「……要らない……壊れたし……」

「えー! せっかくキャッチできたのに、そんなこと言うなよ~。ほら、少し曲がっちゃったけど、逆に面白みが出たんじゃね? ギャグへ方向転換? とかどうよ?」

「……そんな方向性求めてない……らしくない」

「うーん、そうかなぁ? 僕は結構イケてると思うけどなぁ?」

「……キャラじゃない……私地味だし……調子に乗ってると思われる」

「そんなの周りじゃなくて、君がそうしたいかで決めたらいいじゃん? ……で、嫌なん?」

「……そ、それは……」


 夏恋なこみたいに明るいキャラで、みんなを和ませたり笑わせたり……少しあこがれたりはする。このひん曲がった猫をあの子らに見せたら……ふふっ、何だか少し楽しいかも。


「ほーら! な?」

「っ!?」


 目の前の男がドヤ顔で指先をこちらに向ける。……むむ、何この見すかされてる感じは? バカそうなのに無駄に目ざといわね。


「……うるさい男……少しは黙りなさい」

「ちょ、メッチャ毒舌ぅ!? こんな大人しそうな子なのに……うん、でもそのギャップがまたイイネっ!」


 はぁぁぁ、何なのよ……結構キツイこと言ったはずなんだけど、全然効いてないし……調子狂う。


「……なんで……私なんかに? ……それに普通……そこまでする? ……バカなの?」


 ホコリまみれになった服を指さして、言ってやった。


「ん? そりゃ女の子のピンチは普通助けるもんだろ?」

「……ハイ?」


 この男は一体何を言っているのか。


「だってほら、なんかいいこと――お礼とかあるかもじゃん? それでイイ仲になれたりしちゃったり、むふふ……あっ、いや、別にお礼が欲しいって言ってる訳じゃなくて、えっとそのなんだ」

「…………――ぷふっ」


 あまりに下心丸出しのおバカさ加減に、つい吹き出してしまった。ここまで明け透けだと、いっそ清々しいわね。


「おおぉ~」

「……なに?」

「笑うとすっげぇ可愛いなぁって? いやぁ、早速いいことあったなぁ~」

「っっっ!?」


 なな、なんてこと、こんなアホ男子に……どうせ、女子には見境もなく言ってるに決まってるのに……でも、そんなこと家族以外に初めて言われたし……むうぅ、お世辞だと分かってても、うれしくなってしまったじゃない……不覚。ちなみに、夏恋にはことあるごとに言われるけど、あの子は色々と特殊過ぎてアテにならないから除外。


「んじゃ、僕は友達待たせてるんで」

「…………あの」

「ん?」


 作品を私の手に乗せて去ろうとするそいつを、私はナゼか呼び止めていて……


「……………………またいいこと……あるといいね」


 気づいた時には、らしくもなくそう呟いていた。いつもならうるさい男としか思わなかっただろうし、そもそも話なんてできなかっただろうけど……ナゼかこのおバカ男子と話していると、妙に気持ちが明るくなってしまったのだ。ほんと、不思議。


「君もねっ!」


 アホ男子がそう言って駆け出していくのを、ナゼかじっと目で追ってしまう。そいつは廊下を抜けて、突き当りの食堂の前に立っていた男子の前で止まると、片手を挙げて声を掛けた。


「待たせたな、大地!」

「おせーよ――っておまっ、服きったなっ!? 何したらそうなるんだよ?」

「いやぁ~、可愛い女の子を助けて……名誉の負傷? ハハハ、すげぇだろ?」

「はぁ? 何言ってんだオメェ?」


 それ。まだ近くに居るのに、そんな大きな声で、かっ、かわいい、とか……ほんとやめて欲しい。


「まぁいいか。ヤスだしな」

「ひっでぇ!」


 ふーん、このアホ男子は、ヤス……ふふっ、漫画のモブにでもいそうね。だけどまぁ、服を汚してまで拾ってもらった恩もあるし、忘れるまでは覚えておいてあげる。でも、期待はしないでちょうだい。



   ◆◆◆



「……意味不」


 冬休み直前に成績を受け取った後、展示作品の回収にホールへ来た私は、思わず独りそう呟いた。

 あの後に無駄なあがきもせず、そのまま展示したのだが……ひょっとこパリピ猫の前には、「金賞」と「人気投票一位」の札がかけられていたのだ。なるほど……美術成績に「十」が付いていたのは、誤字ではなかったらしい。

 信じられない思いでわきの「教員講評・生徒感想」のボードを見れば、「成形技術面では荒削りなところが見られるものの、剽軽ひょうきんで愛らしく生き生きとした猫の表情に、人をクスリと笑わせ和ませる素晴らしい芸術的センスを感じた」「静かな目堂さんがこんな面白いの造るなんてビックリ! でも意外性があってイイネ!」などと書かれている。


「……オカシイでしょ」


 進路にも関わるだろう美術部の子らも居る中、こんなただの偶然の産物で受賞してしまったことに、とても申し訳なさを感じてしまう。生徒はともかく、なんで先生までこれ選ぶかな……完全にネタ枠じゃないの。

 そうは言っても決まったものを気にしても仕方がないので、さっさと回収して帰ろうとパリピ猫を持ち上げたところ……その下に二つ折りの紙が置かれていた。一旦いったん猫を横に置いて、その紙を開いて読んでみたところ……


「んなあぁっ!?」


 こんなに出せたのかと自分でも驚くほどの声で、叫んでしまった。

 その紙にはなんと……


『なっ、僕の言ったとーりだろ? 金賞おめでとっ!』


 とミミズがのたくったような字で書かれていたのだった。

 瞬時にそのドヤ顔が脳裏に浮かんできた私は、苛立いらだちにまかせて紙をクシャクシャッと握りつぶすと、少し離れたゴミ箱に思い切り投げつける。だが私のコントロール皆無の投球は、隣の柱に当たって跳ね返り、まるで小馬鹿にするように私の額へぶつかると……左胸のポケット口にポスッと挟まった。ある意味、奇跡のようなコントロール。


「……むぅぅぅ……あの男はどこまでも……!」


 今度こそ確実に始末すべく、ズカズカとゴミ箱の目の前まで移動する。

 そしてポケットに手をやり、取り出そうとするのだが……


「……………………っ」


 気付けばそれをグイと奥に押し込んでおり、苦しい胸を押さえ付けるように上からギュッと握っていたのであった。


 ああ、本当に腹が立つ。

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