7-30 変化 (第4幕前編最終話)

「完成か!? 完成だなっ!? ヨシ食べよう!!!」


 夕の華麗なるフランベでステーキが焼き上がったところで、もはや我慢の限界とばかりに、ヤスが腰を浮かせてステーキへ顔を近付けてきた。


「ちょ待った待った! 少し寝かさないとだぞ?」


 夕は片手をヤスの顔の前に出して制止すると、低温部となる鉄板端に敷かれて待機していたアルミホイルの上に、全員分の肉を手早く乗せて包む。するとヤスは、おあずけを食らった犬のような悲しげな顔で、「ナンデ?」と首を傾げる。


「少し寝かせると肉の中の水圧が抜けるから、切った時に無駄に肉汁が飛び出さなくなるんだ。それにボクはこの予熱込みで焼き加減調整してるし、このまま食べると希望よりレア寄りになるぞ?」

「ぐぐぐ……さらに美味くなるというならっ! 座して待とうじゃあないかっ!」

「……ぷふっ」


 ヤスが気難しい顔で両腕を組んで大仰にそう告げて座ると、そのあまりに似合わない言動が滑稽こっけいだったのか、目堂が吹き出している。

 そうして一同がワクワクしながら完成の時を待っていたところ……


「……なぁなぁ大地、これは食えるやつか?」

「オメェなぁ……」


 座して待てない食いしん坊ヤスが、スキレットの底に残ったカリカリの赤唐辛子をはしで一本摘んで聞いてきた。舌の根も乾かぬうちにとは、まさにこのこと。

 それで俺はあきれつつも、中には辛くないタイプもあるので一応確認すると……小ぶりで曲がっているので、恐らくはたかの爪。死ぬほど辛いヤツだ。

 辛さでヤスの舌の根が焼けて乾くのを見るのも面白いが、後で文句を言われても面倒なので教えてやろうとしたところ……先んじて目堂が代わりに答えた。


「……大丈夫…………」

「おっけー、あむっ、むぐむぐ」

「――かは人による」

「え? …………か、かっっっるるぁっ!!! みずっ! みずっ!」


 目堂の言葉を最後まで聞かずに食べたヤスは、すぐさま顔中から汗をダラダラ流し始め、大慌てでペットボトルの水をがぶ飲みする。


「ひー、ひー……目堂さん、大事なワードを、もっと早く、言って!?」

「人によるっ」

「そんな早口できたの!? ――って素早くじゃなくて順序ぉぉ! てか手遅れだよ! もぉヒドイことするなぁ!」

「……?」

「いやいや、可愛く首傾げてトボケてるけど、絶対ねらってたよね!? いつもよりがあったし!」

「!」


 目堂は常時ゆっくりしゃべるので気付かなかったが、言われてみればそうだった気がしてくる。見れば目堂は驚いているっぽい表情をしているので、ヤスの予想通りワザと間を置いてのイタズラ……結構お茶目なところあるんだな。


「……ふふ……しらない」


 それでその微妙な差に気付いてもらえた事が嬉しかったのか、目堂は小さな口元を微笑みに変えると、優しい声でそうつぶやいた。……おいおい、こりゃ割と冗談じゃなく、ヤスに春が来たか?



   ◇◆◆



 そうして五分ほどステーキが寝かされたところで……


「さて、こんなもんかな……カットと味付けもボクがする?」


 夕がアルミホイルを開けつつ尋ねてきた。


「「「ヨロシクッ!」」」


 もはや料理長への信頼度はカンスト状態、当然プロにお任せとばかりに皆がうなずく。


「あいよぉっ!」


 夕は粋な職人のような相槌あいづちを打つと、瞬く間に六枚のステーキを綺麗きれいな短冊切りにする。次いでわきで温められていた鉄皿に乗せ、各皿の半分にはお手製ステーキソースを、残り半分には粗塩をいてかけた。

 そして各々のオーダー通りのステーキが、皆の手元へ提供されたところで、今日一番の歓声が上がった。


「おおお~!!!」「めっちゃ美味そう!」「わわわ、まるでレストランです!」「……期待しかない」


 表面はフランベによってコンガリ焼き色が付いて香ばしいにおいを放ち、断面は外側の暗褐色から中心の赤色へ美しいグラデーションがかかっており、そこから薄っすらと染み出す肉汁が食欲をそそる。他メンツの肉を見れば、なーこのレアは八割ほど、ひなたのミディアムウェルは一割ほどが赤く、見事にオーダー通りの焼き分けがされている。さす夕と言う他ない。


「いやぁ、この見た目と匂いだけで、ぼかぁご飯三杯イケル自信あるぞ!」

「ならヤスは匂いだけで、肉は貰うな?」

「おう、ちんはまけてくれよ――ってウナギかーい!」

「あはは~、落語はいいから~食べよぉ~?」

「「デスネ」」


 熱い鉄皿に乗っているので冷める心配はないが、最高級ステーキを前にノンビリしている場合ではないな。

 それで皆が箸を伸ばしたところで、真っ先に飛びついたヤスが叫んだ。


「ぶおおぉぉ、うめえぇぇ、うべへぇよぉぉぉ……こんなうめぇ肉が、この世にあったなんてぇぇ……ぼかぁもう、いつ死んでも悔いはないぃぃ……」


 こ、こいつ、泣きながら食ってやがるっ!?

 ドンダケだよと呆れながら、俺も口に運ぶ。


「ンンンンッ!?」


 な、なんじゃこりゃぁぁぁ!?


「こっ、このステーキ――あ、いや……何でもねぇ」


 先ほど叱られたばかりなので、ベタ褒めは自重して、心の中だけに留めておくとしよう。

 夕の巧みな調理の賜物たまものか、肉汁が漏れること無く極限まで詰め込まれており、柔らかくも弾力ある表面に歯を立てれば瞬時に吹き出して口いっぱいに広がる。その肉汁と溶けた半レアの内部が、かつて味わったことのない壮絶な旨味を舌に送りこんでくるが、脂身の欠点とも言えるしつこさが全く無いという摩訶まか不思議な味わい。加えて夕特製の濃厚なステーキソースの配合がまた神がかっていて、単体でカンストレベルの肉の旨さを、さらに限界突破させて数倍引き上げるという奇跡を起こしている。

 そうして最高級肉に最高峰調理技術が合わさった結果、今俺たちが食しているこれは、もはやステーキであってステーキではなく、完全に別次元のナニカ――異次元ステーキへと昇華された。これはヤスが泣き出すのも分かるというもの……ああ、恐ろしい。俺は本当に恐ろしいぞ。


「……こりわぁ~、やばやばぁ~だよぉぉ~」

「たしかに……」


 なーことマメも同じことを思ったのか、美味しそうなのにツラそうという、何とも器用な顔でそう呟く。


「え、焼くの失敗……してた? ご、ごめんなさいっ!」


 多様な意味を持つ「ヤバイ」を取り違えた夕が、料理長シェフ失格だと言わんばかりにガバッと頭を下げる。……夕よ、そうじゃない、そうじゃないんだ。


「ぎゃ~くぅっ! これ以上ないってくらい〜、焼き方~かんっぺき! だからぁ~、もう美味しすぎて~、こんなの~食べちゃったらぁ……」

「オレたちは、もう二度と普通のステーキで満足できない舌に……」

「そ~そ~……」

「そこまでぇ!? んじゃボクも……あむっ――んんんっ!? ふわあぁぁぁぁ……」


 夕がステーキを口に運んで咀嚼そしゃくした瞬間、デロンデロンにとろけてしまわれた。そのサングラスの隙間すきまから見える視線は、はるか遠くの空を向いており、まるで天に召されようとしているようだ。


「――っはっ! ……うあああ、松坂シャトーブリアン、ヤバすぎるんだけどっ!」


 ややあって、空の彼方から戻ってきた夕が叫ぶ。


「だろ? んまぁ、素材だけでなく朝の腕もあってこそだが」


 ああ、今なら解かるぞ。これを適当にノリで焼こうとしていたなーこ&ヤスバチ当たりを、正気の沙汰ではないとばかりににらんでいた夕の気持ちが。


「そ、そうかな?」

「ええそうです! それに朝君のおかげで、最高のステーキだけじゃなくて本格スペイン料理まで食べられたんですから。ほんとスゴイことですよねっ!?」


 周りの全員がウンウンと首を縦に振ってひなたに同意すると、夕はとてもうれしげに指で鼻下をこする。


「あっさくんは~、こぉんなに~お料理上手で~…………いいお嫁さんに~なるねぇ~? うらやましいねぇ~?」

「ちょ、なーこさん!?」


 なーこは一瞬だけ俺へ目線を寄越した後、夕の白いほおがポッと染まるところをニヤニヤ眺める。


「おいおい、鉄人は男だぞ? それを言うならお婿さんだろー」

「あはは~、そーだったぁ~、てへ☆」


 くっそ白々しい……夕をからかって遊ぶのはやめなさい!

 さらになーこは立ち上がると、スススとこちらに寄って耳打ちしてきた。


「(いいお嫁さんに~なるねぇ~? 羨ましいねぇ~?)」

「(んなことワザワザ言いに来んな!)」

「(くくく)」


 くっそぉ、俺をからかって遊ぶのもやめなさい!



   ◇◆◆



「ふいぃ~、食った食ったぁ。ぼかぁもう腹がはち切れそうだよ」


 皆で料理を美味しく平らげてご馳走ちそう様をしたところで、ヤスが苦しそうにそう言って腹をさする。目堂作のくしやサイコロステーキ等を、目堂からホイホイ渡されていたのが効いたのだろう。それは一見すると好感度の高まりからのご奉仕的なアレに見えるが……ヤスが「ちょ、もう入らないよ!」と言いつつも全部食べるので、面白半分――ヤスいじりの一環だったのかもしれない。


「……BBQはこれで終わりですけど、この後はどうしましょうか?」


 ひなたの問いかけで時計を見れば十四時半、このまま解散するにはもったいない時間だ。


「んー、キャンプファイヤーするにはまだ明る過ぎるし――あっ! なーこちゃんが何か用意してるんじゃ?」

「おおっ、鋭いねぇ~ヤスくんっ! もっち~、用意してるよぉ~?」


 さすがは名幹事殿、午後の予定もバッチリ組んできているらしい。


「オリエンテーリング……とはちょっち~違うけどぉ~、プチ謎解き探検~するぅ~?」

「「「するするー!!!」」」

「よぉ~し、お料理班に負けないくらい~みんなを楽しませちゃうぞぉ~!」


 催しの内容を聞いて皆がノリ良く歓声を上げ、特に謎解きが好きそうなリケジョの夕はワクワクオーラを全面に出している。ちなみに目堂だけは体力的に不安なのか、「……行き倒れ」と呟いているが……なーこのことだ、その辺はきっと上手く調整していることだろう。


「……の前にぃ~、まずはタノシイお片付け~だけどねぇ~?」

「うへえぇぇ、だーよなぁ……」


 ワクワクから現実に引き戻されて、ヤスがげんなりして呟く。周りも気持ちは同じなのか苦笑いだ。


「ま、全員でやればすぐだろ。さっさと片付けて皆で遊ぼうぜ!」

「「「おー!」」」


 口から自然に出た言葉に内心驚き、それに皆がノリ良く応える中……隣の夕は俺を見つめて優しく微笑みながら、「よかったぁ」と独りごちる。俺は夕への再度の感謝を心の中だけに留めて、その真意に気付かなかったフリをしてあげた。

 つい数日前までは名前も知らなかった人たちと、こうして和気藹々わきあいあいとイベントを楽しめており、夕が安心したように俺も変われた――成長したものだなとしみじみ思う。そうして一歩外に踏み出せたおかげで……男装してもやはり可愛いハイスペック料理長の夕、お節介が加速する頼れる名幹事なーこ、幼少期より成長し強くなったひなた、意外な好みのお茶目な目堂、あと面倒くさいマメヤス――はどうでも良いが、皆の色々な一面を見ることができ、より一層仲が深まったと感じる。

 思えばなーこの半ば脅迫な誘いから始まり、夕の飛び入り参加や輩の襲撃など想定外なことも沢山あったBBQだが、そう言った新たな気付きという点でも大成功を収めたと言えるだろう。この後の探検とやらでも、また一波乱ありそうなものだが……それもまた皆となら楽しい思い出となるに違いないと、俺は大きな期待を寄せるのであった。




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第4幕前半までお読みいただきまして、誠にありがとうございます!


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第4幕後半は、ちょっと頭を使った謎解き探検イベント、そして薄っすらと見え隠れしているシリアスシーンが待っております。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

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