6-14 逃走

 ひなたと別れて廊下の突き当りまで来たところで、ついでにトイレで用を足しつつ、戻る時間をひなたとズラしておく。それから射場に戻る道すがら、夕と無事に再会したときのシミュレーションをしていたところ……


「こぉ~」

「──っ!?」


 背後から無駄に陽気な一音が届けられた。

 悪魔のささやきを知覚した刹那せつな、全身を電流が走り抜け、肌が粟立あわだつ!

 待ってくれ、なんで道場にいんの!? イッシキ、ナンデ。

 その声が左から聞こえたので、即座に全力で体を右にひねってみると……


「す~も~く――っとゎととぉ?」


 数瞬前に俺が居た位置で、手袋を着けた右手が空を切る。

 ヨシッ、悪魔がバランスを崩したぞ!

 チャンスとばかりに直ぐさま駆け出そうとしたが……


「まーちーなーさいっ!」


 背後から両肩をガッチリつかまれ、その場に急静止させられてしまった。

 半ば諦観と共に恐る恐ると振り向けば、案の定と一色が非常に不機嫌そうに俺をにらんでおり、その頭頂部両脇でクリンと短く跳ねた二房ふたふさの髪も、まるで悪魔の角のように禍々まがまがしく感じる。……そりゃまぁ、出会い頭で逃走したらそうなりますよね。

 その恐ろしさから目線を下げれば、指定制服の白ワイシャツと赤チェックスカートが目に入る。また両肩からは色鮮やかな革ベルトが下へと伸びており、工具の詰まった大小二つの腰袋が、両腰位置にられていた。この格好から察するに、何かの作業中だったのだろうか――ってそんなこと考えている場合じゃねぇ!


「あはぁ〜、どこぉ~行くのかなぁ~、宇宙こすもくぅ〜ん? うふふふふ」


 その悪魔の角が、深海生物の触覚よろしくウネウネと絡み付き、「なんで逃げられると思ったのかなぁ~?」と愚者を笑っているかのようで……そう、大魔王からは逃げられないのだ。


「おおお、一色じゃないかぁ! 気付かんかったわ、すまんすまん。こんなとこで奇遇だな?」


 反射的に言い訳をしてはみたが、この一色の前では、ただの無駄な抵抗に過ぎないだろう。


「(ニコニコ)」


 無言で見せつけてくる、このり付けたような笑顔の圧力よ……うっは、マジで怖すぎる。普通に睨まれる方が、よっぽどマシってもんだ。


「…………すんません、逃げました」


 そして即降伏。例えクソ雑魚大地とそしられることになろうが、命は惜しい。


「もぉ~! 宇宙君ってばぁ~、こぉんなか弱い女の子から~逃げるとかぁ~? ひっどくなぁ~い? あたし~そぉんな嫌われることした……かなかなぁ~?」

「ソンナコト、ナイゾ?」


 嫌われること、怖がられること、絶望させること、いっぱいしたよね? 自覚ないのかな? あと、か弱い女の子ってのが見当たらないんだけど、どこに居るん?

 そんなツッコミ待ち発言はさておき、一色がこうして道場に来てまで声をかけてきたのは、また何かを探りにきたに違いない。しかも俺が逃げたこととは別で、すでに相当怒っているご様子……つまり開幕からクライマックス。俺の脳内スクリーンには、(ジ・)エンドロールが流れ出そうとしている。短い人生映画ダッタナー。

 ただ、こうして青天の激おこ強襲されたことについて、今回は本当に心当たりが無い。もしあるとすれば、一色が俺を敵視している理由から考えて、ひなた案件かとは思うが……一昨日のヤラカシからは何も悪いことしてなくね? それどころか、さっき勇気を出して誠意を込めて謝ったんだから、むしろ頑張りを認めて欲しいくらい! ……と言うかさぁ、夕の件だけでもほとほと困ってるってのに、ナゼこういう時に限って想定しうる最悪のヤツが現れるんだ!? 厄日かよ!


「そうだよねぇ~、嫌ってなくてもぉ~? 逃げたりすることも~、あるもんねぇ~?」

「な」


 何のこと、だ……? ひなたの件じゃ……無いのか?

 こいつは意味の無いことは絶対言わない……早く言葉の裏を考えるんだ……逃げる……俺が……誰かから……ダレカ……ああっ! もしかして今朝の一件──ってえ、ちょ、よりによって一色に見られてたってのか!? うっわ最悪だ………………いや待て落ち着け、まだ憶測の域を出ない。焦って安易に結論を出してはいけない。

 そう、まだ慌てる時間――


「ロリコン」


 だったわ。


「――ってどう思う~?」

「…………え、と?」


 ただ仮に俺がそうだとしても、一色が怒る理由は無いはずで、この怒りの真の矛先は一体何なのだろうか。


「何を突然――」

「じゃなくってぇ~、どういう『イメージ』って聞いてみよっかぁ~?」

「っ!?」


 この言い方からして、これはあえて選んだワード……つまり、先ほどのひなたとの会話まで聞かれていたことを意味する。えっ、待って待って、この子ひなたのストーカーか何かなの? 普通にヤバない?

 そもそも盗み聞きを自白しても良いのかと思うが、こちらも同罪の前科があるので、ひなたに言えるならどうぞ、と言う訳なのだろう。ただ一色にとって不利な情報カードには違いなく、それをわざわざ開示したとなると、この後の本題に入るために必要……であってる、のか?


「聞いてるぅ〜? こすもくぅ〜ん?」


 未だ問いの目的が全く分からないが、黙秘やごまかしが通用する相手ではないので、ここは正直に答えるしかない。


「そう、だな……良し悪しで言えば、良いもんじゃないだろうな。ただ、人の好みはそれぞれだし、人様に迷惑かけなきゃいいんじゃ。あとは相手さんの気持ち次第、とかでどう?」


 自己弁護のつもりもないが、夢で前科がある俺が言ったところで、病人の都合の良い妄言にしか聞こえない。カナシイネ。


「あはは~、宇宙君ってぇ~面白いこと言うよねえぇ~?」


 両目をクワッと見開き、表面上は楽しげな声で答える一色を見て、「対応失敗! 一色の怒りゲージがまった!」と脳内緊急警報が流れる。普通に考えれば、女子高生がロリコン=絶対悪と判定するのは当然だった。


「…………でもまぁ、そうねぇ〜? 一途に想ってたらぁ~別にいい……かもかも~?」

「え!? ……そか」


 その非友好的な雰囲気に反して同意が得られて一瞬驚くが、一色も同じくマイノリティ側の人間のようなので、多少は理解があるのかもしれないと納得した。その点については少し安心したのだが、その同意の前提条件の「一途に想って」が、一体何を意味するかが一番の問題だ。

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