5-04 払拭

 足取り重く玄関へと向かうと、戸の向こうに映る小柄な人影が見えてきた。少し迷った末、身構えながらも鍵を開き、ゆっくりと引き戸をスライドさせる。途端、夕が飛び掛かってきた――ということもなく、うつむき加減で静かに立っていた。先の脅迫メールからして、開けるなり怒りだすかもと思いきや、これはまた随分としおらしいご様子だ。


「……おはよ、パパ」

「ん、おはよう」


 挨拶の声も弱々しく、いつもの元気な夕らしさが全く感じられない。


「良かった……開けてくれた」


 夕はほっと胸をで下ろして、わずかに口元を緩める。


「いやいや、あんなメール送ってきといてよ? 仕方なく脅しに屈しただけだ。そもそもだ、お前は入りたきゃ勝手に入れるだろうに」

「……んーん、入るだけじゃダメ。こうしてパパから開けてくれることにこそ、意味があるの」

「ふむ?」


 自分で開けて入っても仕方ない、という意味だよな? ナゼ?


「だってね、絶対に開ける気が無い、つまり、その、あたしと……もう二度と話したくないって思ってるなら……あたしが何しようと絶対開けないでしょ?」

「そうかも、な」

「だからこれは、パパの気持ちの確認だったの。ごめんね、試すようなことしちゃって?」


 夕は少しバツが悪そうに、こちらを見上げてくる。


「はぁ……いいよもう」


 窓越しに見かけた時から俺に迷いがあったわけで、そのすきを突かれてまんまと誘い出され、戸を開けた時点でゲームセットだったのだ。参った参った。


「あー、ちなみに、開けなかったらどんな悪さを? メールで物騒なこと言ってたが」


 聞かない方が良いかもしれないが、気にはなる。


「……そうねぇ」


 凶悪犯による犯行の手口が、いま明かされる。


「泣きながら帰ってたわね」

「え? えっと……それは、脅しになってるのか?」

「うん、なってると思うよ? だって、絶対に話す気が無いなら、そもそも何言っても何しても意味がないけど……でも、もし少しでもその気があるなら……少しは気にしてくれる、はず、よね?」


 夕はそう説明すると、少し不安そうに上目遣いで確認してきた。試しに俺は、断固とした拒絶を受けて、涙をたたえて寂しそうに帰っていく姿を想像してみる。


「……っぐ」


 それは、なんというか……ダメだ。何がダメなのかよく分からないが、こう、心をえぐるものがある。幼い少女ゆえにそう感じるのだろうか。お嬢さん、こいつはちょいと卑怯ひきょうじゃないですかね?

 そうして俺が渋い顔をしているのを見て、夕は心なしか頬を緩めるが、まだぎこちなさが残っている。喧嘩別れの後ということで、緊張しているのだろうか。


「こういうのちょっとズルイし、あんま好きじゃないんだけど……嘘でもハッタリでもないから許してね?」

「お、おう」


 やはりただの脅しではなく、本気なのだった。ナゼだか分からないが、夕は俺に対して決して嘘をつかない……そう、常に誠実であろうとしているように思う。


「というのもね、その……昨日あんな酷い別れ方しちゃったし……昨晩も、さっきも、本当にもう……ダメかもしれないって、悪い想像ばっかり、しちゃって……」


 夕は辛そうな表情でぎゅっと胸を抑え、どれほどに悩んでいたかを、たどたどしく語る。


「だってね――」


 そこで夕は、俺の目を真っ直ぐに見据えると、ハッキリとこう告げた。


にとってのすべてだから」

「ええ!?」


 いやいやいや、どんだけだよ……そんなこと言われたら、追い返し辛い事この上ないんだけど?


「だからね……またっ、こうしてぇ、お話してくれてぇ……ほんとに、よかったってぇ……」


 夕は涙声になりながらそう言うと、最後には一筋の涙がつうっとほおを流れ落ちた。


「ちょちょ、おい……なん、だよ……あーもう、どっちにしたって泣くのかよ!?」


 それを見て、どうしようもなく気が動転してしまう。夕に泣かれると、何故こんなにも心がザワザワするんだ。


「ごっ、ごめんなさい……これは、ほっとして、思わず、なの……えへへ、恥ずかしいなっ」

「――っ!」


 夕は両手を胸にあて、こちらを潤んだ眼で見つめながら、照れ臭そうにはにかんできた。その夕があまりに、――過ぎて、思わず目を逸らしてしまうが……すぐに冷静になって、心と口元を引き締める。

 落ち着け大地、これは危険が危ないのやつだ! 気をつけろ!


「あとさ、『私にとってのすべて』とか、どんだけ大げさなんだよ……ほんと俺を何だと思ってるわけ? 神でも仏でもないぞ?」

「ぜんっぜん、ちっとも、大げさじゃないんだけどなぁ」


 涙をふきふきしていた夕は、口をとがらせて「ほんとだもん」とでも言いたげだ。

 たしかに、夕は「大地」と呼んできた。これまでの経験からして、夕が俺を名前で呼ぶのは、特別真剣に何かを伝える時のようなのだ。つまり、この言葉は本気も本気ということで……あのー、それはちょいとばかし、重すぎませんかね?


「あと、あたしは神様とか崇拝してないわよ。神頼みとか大嫌いだもん。だって道は自分の努力で切り開くものじゃない? なので、どちらかと言うと敵――んや、ライバルかも?」


 これまた大胆かつ不敬なことを言うものだ。女の子に言うのもアレだが、漢気があるというか、粋だなと思う。


「信じるかどうかはさておき、ライバルって言うヤツも珍しいもんだな――ってあぁぁ……」

「えっ、急にどうしたの?」


 突然の俺の嘆きに、夕は少し驚いて目をぱちぱちさせている。


「いやな、お前を追い返すつもりで出てきたはずなんだけど、気付けばこうしていつもの調子になってたんでな?」


 夕と話すといつもこうで、こちらの意思などまるでお構いなしに、いつの間にかこの子のペースに巻き込まれている。


「ん……でも、それはあたしと話すのは嫌じゃないってことで、いいのよね?」


 そりゃまぁ、夕と話すのは嫌じゃないどころか、すごく楽しい。だがそう正直に言うと、ただでさえ追い返しにくい状況がさらに悪化するので……ここはノーコメントとさせてもらおう。


「……それで、早朝からこうして会いにきたってのは?」


 余計な追及を受ける前に、話題を変えにいく。このまま、はいさようならと追い返すのは不可能な雰囲気になってしまったので、向こうの話をそれなりに聞いてあげるしかない。


「えっ? あーその、実はこうして話してくれただけで、ほぼミッションコンプリートというか……あたし的には、大手を振って凱旋がいせん帰宅してもいいくらいよ」


 予想外なことにも、夕はとても満足げにそう言って、大きく頷いている。


「でもせっかくだし、もう少し欲張らせてもらおっかな?」


 ひょっとしてこれ、強気でいったら帰ってくれたパターン? なんてこった、追い返す好機を逃したぞ!


「――っとその前に……上がってもいいかしら?」

「あ、あぁ。どうぞ」


 夕が俺の背後となる家の中を指さしてきて、玄関先で立ち話しを続けていたと気付く。なにぶん玄関から出たときは、追い返す気マンマンだったので――ってぇ、今も追い返す気あるからな!?

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